2009年12月07日

竹本越道師の「油屋」

女流義太夫の話題ですが、義太夫ということで、「文楽」コーナーに書いておきます。

12月6日(日)

 友人のTさんから、久しぶりにメールをいただいた。彼は、女流義太夫を数年前から熱心に聴き、また、許可を得て記録を残しておられるのだが、メールは、youtubeに女流義太夫の録音をアップロードしたという話題だった。1973年録音のものだそうで、竹本越道師(1912〜)がお元気な頃の芸を聴くことができるそうです。御興味のある方は、アクセスしてみてください。

 女流義太夫【竹本越道×豊澤仙廣】その1〜4 伊勢音頭恋寝刃・油屋の段
http://www.youtube.com/watch?v=9d2M2ajGlSI
http://www.youtube.com/watch?v=bPuhMOPpUog
http://www.youtube.com/watch?v=WgEUIGcwMlA
http://www.youtube.com/watch?v=vCcJKV1HFIk

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2009年12月02日

ロジェストヴェンスキーと読売日響のシュニトケ特集

11月30日(月) 19時 サントリーホール
読売日響 第487回定期演奏会
指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
ヴァイオリン:サーシャ・ロジェストヴェンスキー
メゾ・ソプラノ:坂本 朱
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)

シュニトケ:『リヴァプールのために』(1994、日本初演)
同:ヴァイオリン協奏曲第4番(1884)
同:オラトリオ『長崎』(1958、日本初演)

 読売日響ならではの、「採算度外視の文化事業」として、注目すべき公演ではあるが、評価すべきかどうかは、迷うところだ。アルフレット・シュニトケ(1934〜98)のモスクワ音楽院での卒業制作であるオラトリオ『長崎』の日本初演は、もちろん意義のあることだし、晩年の『リヴァプールのために』で始まり、脂の乗り切った時期のヴァイオリン協奏曲第4番を経て、24歳で作曲したオラトリオ『長崎』へと作曲者の人生を現代から逆方向に俯瞰したプログラミングも、作曲者自身のソ連時代を知るロジェストヴェンスキーならではのものだろう。
 だからこそ先に書いておくが、このコンサートは、ヴァイオリン協奏曲の独奏者が指揮者ロジェストヴェンスキーの息子でないか、あるいは息子がまともなヴァイオリニストであったならば、相当に意義のあるものだった。だが、公私混同は非難されねばなるまい。シュニトケのような現代作品では、かえって独奏者がそれにふさわしい技術や音楽性を持っているのかどうか判断がつかない面もあるが、アンコールのバッハを聴けば、そのお粗末さは誰の耳にも明らかだったに違いない。
 ロジェストヴェンスキーは、妻のポストニコワや息子のアレクサンドル・ロジェストヴェンスキーを何度となくソリストに起用してきた。若かった頃のポストニコワはともかく、息子のアレクサンドルは、一度として満足な独奏を聴かせてくれたことがない。そのアレクサンドルが芸名を変えて再登場などとは論外である。私が連想したのは、売れない演歌歌手のイメージチェンジか、賞味期限切れの食品のラヴェル貼り換えであって、音楽ではない。11月は、N響に登場したサンティと言い、ロジェストヴェンスキーと言い、1931年生まれで実力不足の家族を、横車を押して舞台に出す指揮者が東京に顔を揃えた。私は、指揮者本人はそれぞれにいいと思うが、それぞれの楽団は、そろそろ「事業仕分け」をしてもいいのではないかというのが偽らざる実感である。読売日響のシュニトケにしても、円熟期の傑作の演奏が良ければ、もっと多くの聴衆が「なるほどシュニトケは面白い」と膝を打ち、『モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン』のように佳作ではあっても軽い曲とは次元の違う感銘を残したことだろう。実際、シュニトケのヴァイオリン協奏曲は、近年ではこの第4番の演奏機会が一番多い。私も、日時までは覚えていないが、ギドン・クレーメルの来日公演で、クレーメルの独奏、広上淳一指揮東京フィルとの共演で、この曲の日本初演を聴いて以来、何度か生で聴いている。日本初演の会場は昭和女子大人見記念講堂だった。私が聴いた範囲では、この日本初演が一番感銘深い演奏だった。中身が濃くて、曲全体を今回よりも長いと感じた。

 冒頭に演奏された『リヴァプールのために』は、重苦しさがつきまとう1曲。その息苦しさは、闘病生活に苦しんでいたシュニトケ自身の精神状態の反映であろう。
 24歳の頃のオラトリオ『長崎』は、興味深い作品だが、むしろ、ソ連共産党からショスタコーヴィチのように睨まれずに前衛的な音楽を書くために、原爆投下とその惨状という「無秩序」を、不協和音や無調など、自身が書きたかった音楽を正当化するために利用したという印象が強かった。全5章から成る約40分の作品だが、第2章の後に原爆投下の音による描写があり、第3章でも無調や変拍子が続くが、第1章と第5章は調性的で「社会主義リアリズム」に適うように書かれている。原爆に関する幾多の作品に触れたことのある日本人なら、逆に真の意味での長崎の原爆被害への共感はあまり伝わって来ない。シュニトケが若き日から相当に変幻自在だったことを知り、また、旧ソ連時代の芸術政策がいかに本質を外したものだったのかを考える上で格好の材料だろう。作曲者の苦心が、ただの自己顕示ではなく、社会主義政権下での芸術家の並一通りでない苦労の賜物であることは、ショスタコーヴィチを知る人がこの曲を聴けば、すぐに理解できるはずだ。
 作品の全体像とは離れた部分で面白かったのは、コントラバスの弓で何か金属をこする音だった。4歳年上の武満徹(1930〜96)がコントラバスの弓でヴィヴラフォンの鍵盤を擦る音を、独自の響きを作るために度々使っていたが、1958年に、モスクワで、縦に置いた西洋式の鋸(の背?歯の部分は擦ったら弓の毛が切れてしまうはずだから。)を擦るという似た試みをしていたことには驚いた。金属板が大きい分、テルミンのような響きがする。逆に言えば、テルミンの代用品として鋸の使用を考えた可能性があろう。ソ連と日本、別々のところで似たような時代に同じような試みがなされていたことに興味を覚える。

 11月20日のチャイコフスキー・プログラムの項にも書いたが、私はロジェストヴェンスキーが読売日響に再度来演することを望む。ただし、息子のサーシャ(数年後にどのように名乗っていることか!)は「御無用」である。
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2009年11月30日

第38回 東京アカデミッシェ・カペレ定期演奏会

11月29日(日) 14時 オーチャードホール
第38回 東京アカデミッシェ・カペレ定期演奏会
指揮:手塚幸紀
ソプラノ:小泉惠子 アルト:小川明子 テノール:小原啓楼 バリトン:三戸大久

R.シュトラウス:家庭交響曲
ブルックナー:ミサ曲第3番ヘ短調

 この記事の目的は、アマチュアの方々の演奏を批評することにあるのではない。手塚幸紀という指揮者を「再発見」したことを伝えることに主眼がある。
 この日の演奏は、前半のR.シュトラウスの『家庭交響曲』が充実していた。テンポの変わり目などは安全運転という印象もあったが、全体に、R.シュトラウスらしい響きや音楽がよく表現できていた。人はよく「R.シュトラウスの響き」と言うが、響きの面では、ホルンがちゃんと吹けるかどうかなど、特定のパートに依存する部分も多い。しかし、響きだけではなく、話がフレーズの息の長さ、レガートの美しさが出せたかどうかということに及ぶと、指揮者とオーケストラのメンバーの作りたい音楽が一致しているかどうか、弦楽器のパート内での意志の疎通が出来ているかにも関わって来るので、メンバーの相当数の人たちが共感できる音楽を指揮者が持っていないと成り立たないのである。 『家庭交響曲』の大詰めに、下降音階を積み上げて行く場面がある。音階は、単純だからこそそこに「音楽がある」かどうかがはっきりと現れる瞬間となる。この日の、澱みなく流れながらも気持ちよく歌うアカデミッシェ・カペレの音階の層は、本当に耳に残る心地よいものだった。
 失礼を承知で書くと、私は、手塚幸紀を、これまでそうした優れた指揮者だと認識していなかった。かつて新日本フィルの指揮者団にいた時には、いくつになっても「青年」のように若々しいが、「可でもなく不可でもない演奏をする」と感じていた。別な言い方をすれば、作品に秘められた本質を引き出すことを期待できる指揮者とは思っていなかった。ただ、数年前に闘病生活をして、ガリガリに痩せた手塚の指揮がすごく良かったという話を、あるプロ・オケのメンバーから聞いて、機会があれば聴き直してみたいと思っていた。
 年をとってから「いい味」が出て来る指揮者とは、概して自己顕示ではない素直な音楽の持ち主である。シモン・ゴールドベルクやゲルハルト・ボッセのように演奏経験の豊富な音楽家が晩年になって「いい指揮者」として味が出て来る理由もそこにあろう。今の手塚にはそうした音楽がある。それが、かつてよりもより純粋なものとして表現されている。指揮のテクニックには変化はなく、拍以外の情報が増えたわけではない。特に曲が始まる直前の構え方の癖などには、「ああ、手塚さんだなあ」と感じた。
 機会があれば、もっとこの人の指揮で音楽を聴いてみたい。出来れば今回楽しませてもらったR.シュトラウスの他の作品か、ブルックナーの交響曲、あるいはラフマニノフの交響曲など、何かが綿々と続くような曲で聴きたい。ともあれ、東京アカデミッシェ・カペレが、これからも一緒に音楽をやりたいという1人の指揮者に出会えたことを、まず祝福しておこう。

 アカデミッシェ・カペレの演奏は、友人が何人も弾いているので、比較的頻繁に(年に1度くらい)聴いているが、今回は、自然と合っていた要素が多かった。彼らが難曲の『家庭交響曲』に誠実に取り組んでいる姿に接して、我田引水になるが、私が英楽館にプロ・オケのメンバーのアンサンブルや作品に対する姿勢を問うのは当然のことだと改めて確信した。もう1つ、書いておくべきは、この日の『家庭交響曲』が、スコア通りにサクソフォンを4本入れての演奏だったこと。今年は『家庭交響曲』の当たり年だったが、サクソフォンを省略したプロの楽団もあった。確かに、ソロはないので目立たないが、1人1人の音量という点んでプロよりも非力なアマチュアがしっかり演奏したからこそ、逆にサクソフォンがこの曲に加わる時の(たとえて言えば、料理の仕上げに生クリームが入ったような)一味違う響きが、はっきりとわかった。

 ブルックナーのミサ曲第3番ヘ短調は、プロ・オケの定期演奏会では聴く機会の少ない作品だ。その原因は、曲の人気の有無という問題だけではなく、オーケストラ・パートが平板なところにもあるだろう。プロ・オケが主催者の演奏会では、オケにとって演奏体験を通して得るものが少ないと判断されてしまうということではなかろうか。そのオーケストラ・パートには、交響曲第1番の第4楽章や交響曲第3番の第1楽章によく似た箇所もある。しかし、合唱パートのラテン語の扱い方などは、演奏とは別の作曲のレヴェルで、あまり巧いとは言えないと思った。プロ歌手のソリストたちは、ソプラノ以外好演。
 ブルックナーの音楽を愛する者としては、ミサ曲を聴くこと自体に意味がある。ブルックナーは、なぜ、第3番以降、『テ・デウム』を除いて、ミサ曲や宗教作品を書かなかったのか、逆に、交響曲を通じて何を書きたかったのか、もう一度伝記を読みながら考えたいと思った。
(11月30日記、12月1日・2日補記)
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出光美術館 ユートピア展

11月28日(土)

仕事帰りに久しぶりに出光美術館に立ち寄って「ユートピア〜描かれし夢と楽園〜」を観る。展示作品数はけっして多くないが、見応えがあった。
中でも思わず見入ってしまったのは「吉野龍田図屏風」。桃山時代の作品で、作者不明。狩野派とも宗達とも違う画風。6曲1双で右に吉野図、左に龍田図。とりわけ桜を描いた吉野図に惹かれる。満開の桜を見たときの「うわあー」という感動が伝わって来る絵だ。それぞれに描かれた大木の根元の苔の蒸し方も描き分けられている。場所が違うからと言うよりも、冬を経た春と、晩秋とでは土に含まれる水分も違うということか。そんなことを思いながら観ていると、ガラスの奥の屏風からではなく、自分の記憶の中で桜を見る時の桜の匂いや土の匂いが思い出されて来る。
 円山応挙(1733〜1795)の「福禄寿・天保九如図」(三井記念美術館蔵、〜11/29)も、穏やかな表情の福禄寿が興味深かった。応挙の絵にしばしば感じられる緻密な計算よりも軽さを感じさせる福禄寿だった。応挙も、パトロンの豪商三井家を寿いで、こうした絵を描いた。三井家との関わりの深さをうかがわせる一品だった。
 もう一品、俵屋宗達の「伊勢物語図色紙『武蔵野』」も、草深く描かず、写実を離れて物語の世界をうまく表現しているところに感服した。この絵は、古典の授業のネタとしてはぜひ絵葉書にしてほしい。
 会期中にもう一度観るつもりで、図録をまだ購入していない。私見に的外れなところがあったら御容赦を。
posted by 英楽館主 at 07:59| 東京 不明| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

第497回 TBS落語研究会

11月26日(木) 18時30分 国立小劇場

第497回 TBS落語研究会
「鴻池の犬」柳家さん喬
「禁酒番屋」柳家花緑
「宮戸川(下)」柳家小満ん

 仕事の都合で、5席の落語が並ぶうちの3席目、さん喬の「鴻池の犬」から聴く。私は、これまで英楽館にも柳家さん喬をしばしば取り上げて来た。いつも高座から研究熱心さや日頃の稽古がうかがえると感じている。でも、今回は中途半端に終わった。
 「鴻池の犬」は江戸生れの3匹の犬のうち、大坂の鴻池善右衛門家に貰われていった兄犬のクロを追って、弟犬のシロが大坂まで苦労の旅をして再会を果たすという犬の人情噺。犬の仕種なども入って親しみ易いものだが、江戸・東京の言葉と大坂の言葉を使い分けるという技が要求される噺でもある。義太夫節を稽古していて近世の大坂の言葉に日頃苦心している館主は、東京の関西人ではないお客の中ではこの点に特に厳しい客かもしれないが、さん喬の「大阪弁」は、代わり目では「大阪弁」にしなくちゃという意識が感じられるものの、2言3言進んで行くと、曖昧になってしまう。この点を克服してほしい。
 柳家花緑の「禁酒番屋」は、まずまずの出来。もともと滑稽なだが、マクラでの落語ブーム談義は、観客との距離感を操作出来ていないという意味で感心しない。
 柳家小満んの「宮戸川(下)」は、珍しい噺とのことで、拝聴したが、噺の運びが巧くないのが難点である。最後は「悪い夢を見ていた」ということで、「夢金」や「鼠穴」同様にストンと落ちるような話だが、運びがもたついていると、こうしたサゲが活きない。
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2009年11月28日

11月上旬のコンサートから (1)

クァルテット・エクセルシオ第18回東京定期演奏会

11月9日(月) 19時 東京文化会館小ホール
クァルテット・エクセルシオ第18回定期演奏会

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番イ長調 作品18−5
同:大フーガ 作品133
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」

第1ヴァイオリン:西野ゆか  第2ヴァイオリン:山田百子
ヴィオラ:吉田有紀子     チェロ:大友肇

 11月9日は東京文化会館小ホールでクァルテット・エクセルシオの演奏会を聴いた。前々から聴きに行きたいと思っていたのだが、いつも都合がつかずにいた。言い訳になってしまうが、教員は、世間の休日はかえって部活動の顧問などで自由にならなかったりする。私の場合、いつも日曜日に開催されることの多いこのクァルテットが平日に公演を開いてくれたおかげで、ようやく聴くことが出来た。
 室内楽がお世辞にも盛んだとは言えないこの国で、弦楽四重奏だけを専門に演奏活動をして行くのは容易なことではない。敢えてそうした道を選んでいる4人の音楽家たちに、まずは敬意を表したい。

 さて、当夜の演奏会で最も魅力的な仕上がりだったのは、後半のモーツァルト「不協和音」だった。第1楽章、アレグロの主部に飛び込むところ、あるいは第3楽章のトリオに入るところなど、音楽の変わり目が的確にはっきりと表現されている。その一方で、4人の音がよくブレンドされて1つになる一体感も常にあり、聴いていて気持ちのよいモーツァルトだった。エクセルシオの良さがよく出ていたのだろうと思う。
 前半も良かったけれど、その完成度には少し差があった。それは、内声の奏者の音楽的な個性にもかかわることだと思う。ヴィオラの吉田有紀子は、「刻み」でいい音と間を持っている。でも、4本の糸が絡み合うような場面では、あまり自己主張をしない。第1ヴァイオリンとのアイコンタクトもあまり多くないが、これは悪いということではなくて、いちいちアイコンタクトをしなくても合うような音楽作りを目指しているように見受けられた。だから、モーツァルトや、おそらくハイドンでは、ヴィオラがチェロといいバランスで絡まっているのだけれど、ベートーヴェンになると、特に第2楽章などでは、前面に出て来るチェロの影に隠れがちになってしまう。
 ベートーヴェンの第5番も、イ長調の明るさと深刻でないこの作品の特質をよく表現していた。モーツァルトよりは大友肇のチェロが目立って聴こえてくるが、大友のチェロはこれでいいのだと思う。これは、ヴィオラや第2ヴァイオリンがもっと積極的になることで解決してほしい。単に音量だけではなく、同じようなモティーフを各パートがバトン・タッチしながら演奏する場合に、ヴィオラや第2ヴァイオリンの長い音符が第1ヴァイオリンやチェロのそれよりも短く、粘りがないように聴こえるような場合があるので、そういう箇所での存在感をもっと求めたいのだ。
 第5番は、どの楽章も楽ではない。第4番ハ短調のようにテンションを高めても解決がつかない難しさがあるが、個人的な意見としては、シンプルな変奏曲の第3楽章アンダンテ・カンタービレが、逃げを打てない怖い楽章だと思う。この変奏曲で第3変奏から第4変奏に進むところや、第5変奏からポコ・アダージョの終結部に入る瞬間など、16分音符の細かい動きがなくなる時に音楽の流れがピタッと定まるようになると、別の言い方をするなら、細かい動きがなくなった時に音楽の線が細くなったという印象を与えない演奏が出来るようになると、クァルテット・エクセルシオのベートーヴェンが、どこに出ても通用するレヴェルに達するように思われた。(11月10日記、28日補筆。)
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東京二期会『カプリッチョ』への疑問

11月22日(日)23日(祝) 14時 日生劇場
R.シュトラウス:『カプリッチョ』

指揮:沼尻竜典
演出・装置:ジョエル・ローウェルス
衣装:小栗菜代子
振付:伊藤範子
            22日 / 23日
伯爵令嬢マドレーヌ:佐々木典子/釜洞 祐子
伯爵、マドレーヌの兄:初鹿野剛/成田 博之
作曲家フラマン  :望月 哲也/児玉 和弘
詩人オリヴィエ  :石崎 秀和/友清 崇
劇場支配人ラ・ロッシュ:米谷毅彦/山下浩司
女優クレロン   :加納 悦子/谷口 睦美
ムッシュ・トープ :大川 信之/森田 有生
イタリア人ソプラノ:羽山 弘子/高橋 知子
イタリア人テノール:渡邉 公威/村上 公太
執事長      :佐野 正一/小田川哲也
エトワール    :伊藤範子(両日)
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 R.シュトラウスの最後のオペラ『カプリッチョ』は、オペラにおいて、音楽と言葉とどちらが大事かという古来尽きることのない論争を題材とした「音楽のための会話劇」である。東京二期会が新制作した舞台を2日間にわたって観た上で、昨日発売の週刊オン・ステージ新聞(12月4日号)に批評を書いた。重複を避けるため、音楽面については要点だけにとどめて、演出・その他の面を中心に書いておきたい。
 今回の演出家ジョエル・ローウェルスは、設定を1944年、大戦末期のパリ郊外に変更して、ナチスの兵士たちを登場させるというプランで舞台を作った。冒頭に内偵に訪れたナチスの兵士たちがマドレーヌ伯爵邸に登場し、後半、第10場の後で再び兵士たちが登場して、詩人オリヴィエと作曲家フラマンを連行するという演技が挿入されている。R.シュトラウスの自作を話題に登場させる部分はカットされ、「月光の音楽」の後、最終場面の伯爵令嬢マドレーヌのモノローグは、年老いた彼女が若き日の思い出を回想するという設定になっている。
 ローウェルスは、今回の舞台を通じて、「戦時下でオペラを作曲したR.シュトラウスの苦労に思いを馳せたい」旨を述べている。
 確かに『カプリッチョ』が初演された1942年は、ドイツがナチス政権の下で侵略戦争に明け暮れていて大変な時代だった。初演のポスターには、『カプリッチョ』に限った話ではないお決まりの形式なのだろうが、「帝国大臣ヨゼフ・ゲッベルス博士の後援の下に」と記されていて、宣伝大臣ゲッベルスの名前が、作曲者R.シュトラウスやその他の誰の名前よりも目に付く。そういう時代の苦難、ナチス政権下の報道統制の中で真実を知らされずに、ドイツに残るのが自らの責務だと考えた音楽家たちの苦難に思いを馳せるなら、もっと別なやり方があったのではなかろうか。
 直視したくないような現実を前にした時、ひとはしばしば、過去を振り返る。『カプリッチョ』は、そういう意味で過去への憧憬を描く必然性を持っていた。だから、舞台は古き良き時代として18世紀末のフランスに設定している。つまり、フランス革命前である。
 だが、ローウェルスの今回の演出のように、オリヴィエとフラマンが捕えられてしまえば、ダヴィデの星のマークを付けた外套を着せられて出て行くことから、当然、彼らは収容所に送られたと推測されることになる。つまり、2人は抹殺され、物語は原作のように「音楽と言葉と、どちらが大切か」という問題を先送りして余韻を残して終わるのではなく、過酷に断ち切られて終わる。言うまでもなく、物語を断ち切ることは、「R.シュトラウスの精神」を尊重することと同義ではない。
 なお、プログラムで岩下真好氏が『カプリッチョ』の演出史にも言及しておられるが、ザルツブルク音楽祭のヨハネス・シャーフ演出(筆者は映像で見ている)は、今回のローウェルスと同じプランではない。一部の方がそれを誤解してネット上に見解を発表されているようなので、ここに触れておく。岩下氏もはっきり書いておられるように、シャーフは「シュトラウスが作曲した1940年代前半という時代設定で始める。室内装飾もアールデコ風であり、衣装もその時代を想起させるものだった。ところが、オペラが進むうちに舞台はオリジナルの設定通りのフランス18世紀末に遡ってゆく。」という方法を取っている。
 ところで、ローウェルスの演出が、思い付きの域を大きく越えないと感じてしまう要因の1つに、演技や衣装の不徹底がある。これは私の知人が休憩時に私に真っ先に指摘してくれたことだが、冒頭で「内偵」にやって来る兵士たちの挙措が、ダラダラしていておよそ兵士たちに見えない。Bキャストの谷口睦美がパンツ・ルックなのは、いかにフランスとは言え、ナチス傀儡のヴィシー政権下にはそぐわない。設定を変える場合には、観客に「そこまで徹底してやるか」と感心させるようでなければ説得力が生まれない。

 もう1つ、私が問題視するのは、演出そのものだけでなく、それを観客に見せようとする東京二期会(公演監督:曽我栄子)の姿勢である。些細なことと言われるかもしれないが、プログラムに作品そのものの粗筋を載せていないのは、「情報統制」と非難されても仕方あるまい。繰り返しになるが、ローウェルスの演出の最大のポイントは、詩人オリヴィエと作曲家フラマンが第10場の後でナチスの兵士たちに捕えられる点にある。だが、もともとは、マドレーヌ伯爵令嬢とオリヴィエ、フラマンの3人がオペラの相談のために隣室の音楽室に行くという設定である。また、その後の8重唱も、兵士たち8人ではなく、使用人8人が歌う。御存知の方もあろうが、私は、時代設定などを変える演出を全面的に拒否する立場には立っていない。しかし、設定を変えた演出の意図や意義は、もともとはどういう作品なのか、それをどう変えているのか、双方を理解してこそ、初めて理解できるものだ。『カプリッチョ』は、誰もが周知の作品ではない。プログラムに粗筋を載せず、音楽面の解説だけを載せ、入場者に演出家の意図を伝える文章を1枚配布するだけでは、結局、「これでも舞台は成り立つ」という極端な解釈だけを観客に押し付けることになる。もし、「『本当の粗筋』を載せると観客が混乱する」とでも言い訳をするなら、観客を馬鹿にした話だろう。

 音楽的には収穫も多かった。東京二期会の男声若手陣の層が厚くなって来たことが実感できたのが最大の収穫。そして、沼尻竜典の指揮。昨年春の『ばらの騎士』に続いて、R.シュトラウスの響きを東京シティ・フィルからよく引き出していた。東京シティ・フィルは、R.シュトラウスの響きを作る上で必ず芯にならねばならないホルンが健闘していたが、批評記事に「冒頭の六重奏でのヴィオラの連日の拙さなど、問題もある」と書いた通り、個人技の瑕を問題視せざるを得ない。オケ練の後、ゲネプロが2日間、本番が4回あったのに、その最後の2回でいずれも満足に弾けていないのは、単にさらっていないからだ。易しくはないが、超絶技巧が要求される箇所でもない。ごく一部なのだろうが、プロとして持つべき誇りを欠いているメンバーがいると断じざるを得ない。
posted by 英楽館主 at 12:23| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | オペラ雑談集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

『外郎売』を楽しむ

11月23日(祝) 12時 国立劇場

歌舞伎十八番の内 外郎売

外郎売 実ハ曾我五郎時致 市川團十郎
大磯の虎         中村芝雀
小林朝比奈        中村翫雀
小林妹舞鶴        中村扇雀
梶原平三景時       坂東桂三
梶原平次景高       坂東亀三郎
茶道珍斎         片岡市蔵
化粧坂の少将       市川右之助
工藤左衛門祐経      坂東弥十郎 ほか

大薩摩連中   杵屋巳紗鳳/柏伊三郎 ほか
 
 久しぶりに国立劇場で歌舞伎を観る。歌舞伎十八番『外郎売』。市川團十郎を観たかった。『外郎売』は、「対面」風の舞台に始まり、曾我五郎時致が外郎売に身をやつしてやって来て、早口の売り声を聞かせて見せる。五郎はついに堪忍しきれなくなって本性を表すが、敵工藤祐経に狩場の切手を渡されて、その場は納まるという筋立て。曾我物の世界で脚色されているが、見せ所、聴かせ所は早口の売り声であって、ドラマ性は主眼ではない。
 今さら言うまでもないが、團十郎の良さの1つは、『外郎売』のようにドラマ性とは別の世界の大らかさにある。個人的には、10月に安田蛙文作『曾我錦几帳』という浄瑠璃の翻刻作業をやって、曾我物には相当の時間をかけて付き合っているのだが、浄瑠璃のように緊密なドラマ性を求められる世界と曽我の世界とは噛み合わないと感じていたので、歌舞伎の舞台を見てホッとした。また、オペラの方で、『ヴォツェック』や『カプリッチョ』の演出を重視し、読み解かねばならない舞台が続いていた中で、大らかな江戸歌舞伎は、格好の息抜きになった。
 團十郎は、早口がうまい訳ではないが、「これでいいのだ」と思う。そして、脇に豪華な顔ぶれが並んで、『仮名手本忠臣蔵』のかかった歌舞伎座よりも顔見世らしい気分があった。開演前に筋書を買わずに席について、誰が何を演じているか先入観抜きに見ていたが、朝比奈を演じた翫雀が的確だった。力みが感じられなかったからだ。坂東弥十郎の工藤には何か物足りなさを感じた。工藤という役は、居るだけで工藤の貫禄があるとお客に感じさせなきゃいけない役で、別にどこをどうするという工夫のしどころがない役だけに難しいと思う。弥十郎が、無理に貫禄を出そうとしていなかったのは正しい演じ方だと思う。そういう意味では、国立の歌舞伎で工藤の役が回って来ること自体が「損な役」なのだと思う。
 本当は2幕目以降も楽しみだったのだが、日生劇場での『カプリッチョ』の批評を担当することになって、前日に引き続き『カプリッチョ』を見ることにしたため、1幕だけで国立劇場を後にした。
posted by 英楽館主 at 09:21| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

『舞姫』授業余滴

 この秋、2つの高校で森鴎外『舞姫』を教えた。予備校の古文教師から出発した私の場合、現代文の経験が少なく、『舞姫』を教えたのも初めてのことだった。中間試験を終え、1校では他の教材に移り、もう1校では2学期初めから中間試験までの時数が7時間しかなかったため、つい先週、最後の場面に到達したところだ。試験の採点をしていると、授業での解説の至らなかった部分なども見えて来た。また、授業者の予想外の解答を書く生徒もいて、授業の方向づけや読みの可能性について教えられることも少なくない。拙い授業の反省を交えて、授業の「余滴」を書き記しておこう。もとより自分自身のためだが、どなたかの参考にもなればと思う。

1 冒頭場面の授業展開
 セイゴン(現ホーチミン)港に停泊中の船内にいる主人公が回想を書き綴るという体裁に始まる『舞姫』の冒頭場面については、2校とも次のような展開で授業を行った。
[第1時限]
森鴎外の年譜等の資料と、『舞姫』冒頭場面の自筆原稿・初版をプリントで配布。ドイツ留学に至るまでの鴎外の半生をたどった。特に、5歳年下の夏目漱石との前後関係や、幼少時に受けた教育(漢文の素読など)に注目させた上で、冒頭場面を生徒に音読させ、授業者が解説した。
[第2時限]
 @鴎外の自筆原稿(初版のための最終原稿)での訂正箇所、A初版原稿と教科書本文(決定稿)との異同箇所を、生徒にマーカーでマークさせ、その傾向を考えさせた。生徒に2つの作業を同時並行で行わせたのは、適切ではなかったと反省している。A、@の順で実施した方が良かったであろう。
 Aは、「天方伯に随行している事実をはやばやと明かすことは、後半部で展開するロマンの結末を読者に先取りさせるわけで、作品の密度とサスペンスをそこなうおそれがある。しかし、この一節が削除されたことで、作品の基調とやや異質な時事性が希釈されたことも事実である。」(三好行雄「『舞姫』・その前後」、『三好行雄著作集』第2巻14ページ)ということを生徒に考察させるよい機会となったと思う。不勉強を恥じつつ率直に書けば、三好行雄の著作に出会ったのは10月に入ってからで、既に当該箇所の授業を終えた後だったが、私自身の設定した方向の妥当性を確認することが出来た。
 @については、鴎外が推敲段階において、「憂ひ」を「恨み」に書き換えていることに注目させ、結末部分での「憎む」との差異を考察させることを試みた。漢文的教養の豊かな鴎外、あるいは近世から明治の作家たちを理解する場合に、国語辞典や古語辞典ではなく、漢和辞典を用いることが、適切な理解への近道と鳴ることを示しておきたかったからである。

2 森鴎外と加藤周一
 これも、授業が終わってから気付いたことだが、最近、刊行が進みつつある『加藤周一自選集』を読んで、加藤周一が鴎外についてあれこれと書いているものに触れた。「鴎外と洋楽」(第1巻)「鴎外とその時代」(第2巻)、「鴎外と『史伝』の意味」(第3巻)の3本である。編者鷲巣力による第2巻の解説によれば、加藤は1951年から1955年にかけての渡欧の際に、フランス政府の半給費留学生で、滞在費は自分で稼がねばならず、西日本新聞の「特派員」として記事を書いていたのだそうだ。東大医学部の出身で渡欧したのは森鴎外と重なり、日本の新聞にヨーロッパ情勢に関する文章を送る売文の徒として生計を支えた点では、「舞姫」の主人公太田豊太郎の設定と重なる。加藤周一がパリに滞在しながら森鴎外に親近感を抱いていたであろうことは想像に難くない。次に「舞姫」を講ずる機会があれば、加藤周一の森鴎外論を題材にした授業展開を考えてみたいと思う。
posted by 英楽館主 at 14:42| 東京 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

顔見世の『仮名手本忠臣蔵』

11月3日(祝) 16時半 歌舞伎座
 今年の顔見世は『仮名手本忠臣蔵』だった。このところ、歌舞伎座で『忠臣蔵』の通しが出るのは決まって2月だったので、私は、「歌舞伎座さよなら公演」の『忠臣蔵』も来年2月だと決めてかかっていたから、演目が発表された時に予想外だと思った。結局、3日に夜の部を見に行っただけで、昼の部を見損ねてしまったが、その夜の部、五段目から七段目の短評を掲載しておこう。なお、十一段目は、多用につきパスして「早退」した。

五段目・六段目
 尾上菊五郎の勘平を、いったい何度見てきたことだろうか。でも、今回の勘平は、これまで見た中でも一番の出来だった。その理由は、1つは脇が揃っていたこと、もう1つには、7世尾上梅幸が病床にあった時以来、菊五郎はいつも判官と勘平の2役をこなして来たが、今回は勘平に専念できらことにあったと思う。
中村東蔵の与市兵衛女房(おかや)、市川段四郎の不破数右衛門は出色。芸域の広い東蔵に老け役はもったいないという声もあろうが、特に『忠臣蔵』六段目のこの通称「おかや」の役は、役者が良くないと勘平の死が無駄になってしまうように思われる。東蔵のおかやは、出過ぎず、引っ込み過ぎずという加減がちょうどよい。段四郎も、「渇しても盗泉の水を飲まず…」以下の台詞が重過ぎず、軽過ぎずという塩梅だった。
 今回は、六段目の竹本をヴェテランの竹本喜太夫が丸々務めたのも、この段が良くまとまった一因。三味線は豊澤菊二郎。
 
七段目
 私は、片岡仁左衛門の大星由良之助は何度も見て来たが、松本幸四郎の寺岡平右衛門は初めて見た。その平右衛門が良くない。腹がなく、作り声で、妹に対しては情味を見せるが、敵討ちへの秘めた決意が感じられない。お軽は中村福助。いつもの通り、一人で車輪になってしまう。そんなお軽を見る位なら、六段目のお軽の時蔵で通して見たかった。人気役者は揃ったのに、どうもちぐはぐな感じで、今一つの茶屋場だった。
 脇では、三人侍の若手(中村松江・市川男女蔵・澤村宗之助)が、台詞がはっきりして健闘していた。竹本は前半が巽太夫・鶴澤祐二、後半が綾太夫・鶴澤宏太郎。
posted by 英楽館主 at 01:47| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする