2012年11月11日

ダン・タイ・ソン ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲演奏 第1日

11月7日(水) 19時 すみだトリフォニーホール

ピアノ独奏:ダン・タイ・ソン
指揮:クラウディオ・クルス
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 作品15
同:第2番変ロ長調 作品19
同:第3番ハ短調 作品37

 アジア人最初のショパン・コンクールの覇者ダン・タイ・ソンも50台に入って円熟期にさしかかっている。その彼が2日にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を弾いた。プログラムの解説を担当された寺西基之さんの文章によれば、5曲をチクルスで弾くのはダン・タイ・ソン自身初めてだったというが、5曲の全体像を十分に見通した上で1曲1曲に真摯に取り組んで、極めて充実したピアノ協奏曲チクルスとなった。

 初日は第1番から第3番の3曲。演奏は番号順で第1番ハ長調から。第1楽章から丁寧な演奏だったけれど、指揮のクラウディオ・クルスがこの曲に不慣れなのだろうか、4つ振りで振る場面が多過ぎて、音楽の流れが良くなかった。しかし、オーケストラの提示部を終えて独奏が入ると、最初の2つのフレーズを聴いて、ダン・タイ・ソンのピアノの素晴らしさには心を惹きつけられた。と言うのは、タッチの美しさだけでなく、フレーズを最後の音までしっかりと弾くことで、丁寧に音楽作りをする姿勢が伝わって来たからである。第2楽章ではダン・タイ・ソンが情に溺れず、しかしたっぷりと歌うと、それにぴったりと付いてきて、しっくりと行くようになった。リズム感が大事なポイントとなる第3楽章のロンドは、ソロから始まることもあって、完全に独奏者のペースになった。

 この文章を書いている今、まだ耳にはダン・タイ・ソンのベートーヴェンだけでなく、小菅優のモーツァルトの響きも残っているのだが、ダン・タイ・ソンは、硬質で透明感の高い、第1番や第2番の曲風に合う響きを引き出していた。主催のホール側の話では、すみだトリフォニーには2台のスタンウェイがあって、小菅とダン・タイ・ソンそれぞれに弾いて好きな方を選んでもらったところ、2人の好みが違っていて、それぞれ別のピアノでチクルス演奏に取り組んでいるとのこと。ピアニストそれぞれの持つ音だけでなく、楽器1台1台の音の違いも作用しているようだ。

 さて、第2番変ロ長調は、第1番よりもオーケストラのメンバーが少なくなる。「英雄」交響曲以前のベートーヴェンは、まだハ長調とニ長調以外ではトランペットやティンパニーを入れないというモーツァルトやハイドンの頃のオーケストラの扱い方を踏襲していたためだが、トランペットとクラリネット、ティンパニーの5人が抜けるだけで、ちょっと小ぶりになり、その分、全体に占めるピアノ独奏の割合が高くなって、客席の聴衆は第1番以上にピアニストと向き合う形になる。この第2番の第1楽章後半のカデンツァは、この日の3曲の中でも私にとって最も強く印象に残った場面だった。楽器の音量はそれほど大きくはなく、よくコントロールされた響きの中で、鍛えられた指で粒立ちのよい音が奏でられて行くのを聴くのは実に心地よかった。同時に、これはカデンツァに限らないことだが、古典的な様式感の枠組みを活かして演奏できて、技巧を十分に披露しても、誇示することがないのも、ダン・タイ・ソンの持ち味の一つであろう。第2楽章、第3楽章も集中力と抒情性の両立した好演。ただ、個人的に残念に思うのは、番号順で第1番を先に弾いてしまうと、第2楽章、第3楽章ともに第1番の方が面白みのある曲に書き上げられているので、曲が平板に感じられてしまう点だ。特に第3楽章のロンドは、第2番は8分の6拍子の普通のアクセントで変化に富んでいるわけではないので、そうした印象が強い。作曲年代順に第2番、第1番の順序で聴きたかった気もする。

 休憩後の第3番からはオーケストラのサイズが12型になって、一回り大きくなった。そして、クラウディオ・クルスの指揮も、精力的な指示が曲やオーケストラと噛み合っていて、実に良いサポートとなった。また、ダン・タイ・ソンのピアノも、作曲の深まりに応じて改めて音量も増し、説得力の豊かな演奏に仕上がっていた。第3番という曲の充実度やハ短調という調性も相まって醸し出されるベートーヴェンらしさを実感。新日本フィルも好演。数日前のカメラータ・ザルツブルクの後で聴くと、その安定感にホッとさせられた。
posted by 英楽館主 at 10:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月08日

11月2日(土) 小菅優のモーツァルト後期協奏曲チクルス 第1回

11月2日(金) 19時 すみだトリフォニーホール

小菅優 モーツァルト後期ピアノ協奏曲チクルス 第1回
ピアノ独奏:小菅優
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
管弦楽:カメラータ・ザルツブルク

モーツァルト:歌劇『イドメネオ』序曲
同:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
同:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
同:交響曲第41番ハ長調 K.551

 小菅優がモーツァルトの後期ピアノ協奏曲(第20番〜第27番)を2回の週末で弾くという企画の初回を聴いた。小菅優は、これまでベートーヴェンの協奏曲やメンデルスゾーンのト短調の協奏曲などを聴いて、さらにじっくりと聴きたい恵まれた資質の持ち主だと期待していたが、今回のモーツァルトも、そうした彼女への期待を裏切らない充実した演奏だった。
 まず第21番ハ長調。第1楽章では、オーケストラの提示部の後の最初のソロに確かなテンポ感と音の芳醇さがあって、聴く者を小菅の世界に強く惹きつけてくれる。日本人の女性のピアニストがモーツァルト後期を一気に弾くと言えば、私はついサントリーホールがオープンした際の内田光子のシリーズを思い出してしまう(あの時も全曲を聴けたわけではない。聴けたのは2回だけだったが、今回の小菅の第21番を聴きながら、あの時も第21番は聴いたことを沸々と思い出した)が、ホールやピアノが違うとは言え、小菅優の魅力は当時の内田光子に勝るとも劣らないと感じた。第1主題がしっかりしている分、印象深いト長調の第2主題との対比もはっきりする。第2主題で特別な表情やテンポの揺れはなかったけれど、正攻法だった。かつて映画音楽で有名になったほど感傷的な第2楽章も、たっぷりとした表情だが、オーケストラのサポートも得て、ここでもアンダンテのテンポ感が常にあって、感情過多には陥らないバランス感覚に魅力を感じた。アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイの第3楽章も、音量の変化や16分音符の音階などに瞬発力のある演奏で、実に楽しく聴かせてもらった。
 改めて、小菅優のピアノは、左手がよく鳴っていて、その響きのしっかり感が、音色の豊かさに結び付いているとつくづく思った。響きの豊かさという点では、モーツァルトではなく、19世紀後半以降の作品を聴きたいピアニストという印象があるのだが、一方で古典を弾いても様式感と自分の音の魅力とを両立させていることを評価しておくべきだろう。
 後半の第23番でも、最初のソロに感心した。今度は、2分音符をたっぷりと鳴らして、実際に遅いわけではないけれど、ゆっくりに聴こえるような余裕のある開始だったからである。実際にはテンポがもたれたりしたわけではないのだが、1曲1曲が手の内に入っていること、そして、どの曲もいつでも同じアプローチで弾くというわけではなく、その日のプログラムの中でそれぞれの曲をどう演奏しようかと言う選択や判断があるように感じられる開始の仕方だった。第2楽章は、この日の2曲の中では最も短調の響きが続く楽章。透明感のあるピアノの響きと短調ならではの緊密な音楽を作り出そうとする小菅の集中力(これがないと、感情過多に聴こえがち!)が印象に残った。第3楽章では、私は第21番よりもピアノが「お喋り」な感じを楽しんだ。

 シェレンベルガーの指揮は、協奏曲2曲では、ソロに対してテンポを寄り添わせる感覚などは、問題点を感じさせない行き届いたものだった。ただ、残念だったのは、久しぶりに聴いたカメラータ・ザルツブルクに、かつてシャーンドル・ヴェーグを中心にまとまっていた頃のアンサンブルの良さがなくなっていたこと。特に木管楽器前列の水準に問題があり、フルートの音階でフォルテに入る箇所の多い「ジュピター」交響曲は、常にフルートが走って流れを乱してしまうので、どうしても楽しめなかった。「ジュピター」交響曲の後にオーケストラのアンコールで『フィガロの結婚』序曲が演奏された。

 このシリーズ、後半は10日(土)に第22番変ホ長調と第24番ハ短調、11日(日)に第26番「戴冠式」と第27番変ロ長調が続く。私自身は日生劇場のライマンの歌劇『メデア』の批評を担当する関係で後半を聴くことが出来ないが、演奏の成果は大いに期待できそうだ。

posted by 英楽館主 at 18:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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