2013年03月31日

醍醐寺の桜 (2)

P1000828a.JPG 醍醐寺の桜の写真をもう1枚紹介しましょう。伽藍と三宝院の両方を拝観しましたが、三宝院の奥にある憲深林苑の桜も絶品。花の色の濃淡が重なり合っている枝垂桜の風景です。ここで抹茶アイスもいただきましたが、砂糖の甘さは控えめで抹茶の甘さが感じられて、なかなか美味でした。
posted by 英楽館主 at 12:10| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

醍醐寺の桜 (1)

P1000785a.JPG 昨晩から今朝にかけて更新した話題はいずれも旧聞で恐縮です。新しい話題を一つ。昨日から京都に来ています。ここ数ヶ月、入院中の家族の見舞いで度々京都には来ているのですが、なかなか観光をする余裕がありません。しかし、今回は新幹線で京都駅に着いてからレンタカーを予約した時間までに間があったので、醍醐寺に足を延ばしてみました。
 醍醐寺は、以前、CSの放送で桜の季節に大蔵流茂山家の方々が狂言を演じている映像を観たことがあり、行ってみたいと思っていたので、念願が叶ったというわけです。地下鉄の醍醐駅からはコミュニティバスが増発されていたので、それに乗って迷わずに寺の総門へ。総門の両脇にも淡いピンクとしっかりとしたピンクの枝垂桜が満開で、もうそこから様々な品種の桜の銘木が続きます。
 写真は伽藍の中でも一番だった枝垂桜の古木。枝がいっぱいに広がり、実に見事でした。後ろに九輪だけ見えているのは五重塔。京都では現存最古(951年建立)というずっしりとした作りの塔です。
ラベル:醍醐寺 五重塔
posted by 英楽館主 at 12:06| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

近江八景 その3(続) 瀬田の夕照

P1000747a.JPG瀬田の橋上から見た2013年元日の夕陽。
posted by 英楽館主 at 08:30| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

近江八景 その3 瀬田の唐橋

P1000742a.JPG元日の義仲寺の話題の続き。粟津から瀬田へと足を伸ばしてみました。
近江八景の中でも、現在、写真で捉えやすいものとそれが難しいものとがある。「粟津原」「粟津の晴嵐」というのは、一面の住宅街になっている現在の粟津では難しいが、瀬田の唐橋は、今でも橋がかかっているので、訪問しやすいポイントでもある。
写真は現在の瀬田の橋の風景。
posted by 英楽館主 at 08:26| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最近の舞台から(2)〜ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場の『ルル』

2月27日(水) 19時
3月2日(土)  14時
東京芸術劇場プレイハウス内特設舞台

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場公演 『ルル』

フランク・ヴェデキント作(『地霊』『パンドラの箱』)
脚色・演出:シルヴィウ・プルカレーテ
ルル:オフェリア・ポピ 他
(ルーマニア語上演)

 かねがね、ドイツの劇場のSpielplanなどで演劇としての『ルル』の上演を見かける度に、オペラ以外の『ルル』を観てみたいと思っていた。東京芸術劇場のリニューアル記念公演の中に『ルル』を見つけた時から、この舞台を本当に楽しみにしていた。そして、ベルクのオペラ『ルル』について考える上でも、得るものが非常に多い舞台だった。オペラの世界は、基本的には音楽をカットしたり途中で止めたり出来ないという制約の厳しい世界で、演劇とは違う構造を持っていることには留意しなければならないけれど、オペラ『ルル』の演出にも相通ずる様々なアイデアが盛り込まれていた。

 冒頭、猛獣使いが紹介する猛獣の一つとして、シゴルヒに担がれてルルが登場する。真っ赤な口紅、黒のブラジャーとパンティーだけという姿のオフェリア・ポピがビニール袋に包まれて観客の前に姿を現すシーンは、とても刺激的で、かつ印象深いものだった。エロティックなことはもちろんだが、ルルが、男性にとって魅惑的な肉体を持つ存在だからこそ、シェーン博士にも愛され、最後は切り裂きジャックに襲われるという作品全体を貫くテーマがわずかな時間で端的に示されていたという点で、興味深い。(この場面自体は、オペラでもルル役の歌手が体当たりで演じてくれるなら可能。)

 演出の詳細については、もし書くとすれば非常に長くなるので項目を改めたいが、前半は『地霊』に相当する部分で、ルルがシェーン博士を撃ち殺すまで。休憩を挟んで後半は『パンドラの箱』で、パリのサロンとロンドンの屋根裏部屋の場面。後半の脚色は、オペラに比べると簡潔で、かつルルがどういう存在なのかが的確に示されていると感じた。端的に述べれば、前半の『地霊』は「ルル 対 男性」という構図の中でルルの自我が成長もしくは拡大して行き、男性がそれを制御できなくなって行く過程を描いたものであるのに対して、後半の『パンドラの箱』から脚色された部分は「ルル 対 社会」という構図が基本で、一旦、セクシャルな「もの」として男性社会に組み込まれてしまったルルは、そこから脱出出来ずに転落し、最も「セクシャルなもの」である女性の局部を切り取るという猟奇的な殺人者切り裂きジャックに殺されて死んで行く。前半の解釈については、私も今回の舞台を見る以前から、オペラの舞台を通じて見通しを持って観ていたが、後半について明確なコンセプトの舞台を見ることが出来たのは、大きな収穫だったと感じている。

 私はここで「ルル 対 男性」「ルル 対 社会」と書いたが、ここで描かれた「社会」は男性中心社会だから大差ないとも言えるかもしれない。だが、前半はシェーン博士や画家(今回の舞台では写真家)など、個としての男性が描かれているのに対して、後半では、不特定の客を相手に売春するルルの背後に(=舞台の外に)、不特定多数の男性社会の存在が感じられる演出になっていた。それは、ベルクも理解していたところなのだろうが、オペラ化当時の台本の中では十分に表現されていたとは言い難い。しかし、プルカレーテの脚色では、例えば「ルルが脱獄する過程」の煩雑な説明や、「ユングフラウ株の暴落」と言った胡散臭い経済の話は完全にカットされていて、売春婦としてのルルに台本の焦点が定まっていた。また、オペラでは台詞の意味が曖昧な存在の「少女」が、母親に売られて、ルルと同じように性的な「商品」にされて行く過程がしっかりと描かれて、ルルの悲劇が今なお世界中で繰り返されていることを告発するメッセージ性を発揮していたことは特に重要だった。母親が少女を置き去りにして去ったことが観客に知らされた後、彼女は別室に連れて行かれ、しばらくして悲壮な表情で再び舞台に出て来る。彼女が初めて性的な「商品」として扱われ、苦痛を伴う「儀式」を強いられたことは観客にもすぐに伝わる。そして、再登場してからの少女は、バスタブの中にいるルルとしばらく向き合う。台本構成の自由さは、オペラには真似の出来ないところだが、未完の2幕版とツェルハ補筆の3幕版がある歌劇『ルル』の場合、演出家にしっかりとしたコンセプトがあって、2幕とアダージョの間に演技が挿入できるならば、2幕版にも「3幕版とは異なる可能性」があるということになるのではなかろうか。
posted by 英楽館主 at 07:57| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | オペラ雑談集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最近の舞台から(1)〜彩の国さいたま芸術劇場の『オイディプス王』

2月17日(日) 14時 彩の国さいたま芸術劇場

さいたまネクストシアター公演『オイディプス王』(蜷川幸雄演出)

 昨年から、結構演劇を観ている。オペラももっと観たいのだが、第一に普通の高校教師の給料ではそうたくさんはチケットを買えないし、最近はチケット発売時の最安席の争奪戦にもほとんど参加できない(教員は土日が休みとは限らないし…)から、なかなか本数を増やせない。でも、オペラを観なくても、オペラの舞台について考える機会はたくさんある。その1つとして、この『オイディプス王』のことを少し書いておきたい。

 松本のサイトウ記念フェスティバルでストラヴィンスキーの『オイディプス王』を観たのは、もう15年以上前のことだ。あの曲は、演奏会形式やCDも含めていろいろ楽しんで来たけれど、演劇では観ていないなあと言うのが、最初にこの公演に興味を持ったきっかけ。そして、彩の国さいたま芸術劇場の広報誌の記事などで、この公演をさらに楽しみにするきっかけとなったのは、今回の公演がソフォクレスの原作から直接に舞台化するのではなく、ホフマンスタールが翻案した台本の日本語訳に基づくものだと知ったことだった。オペラ好きなら、ホフマンスタールとR.シュトラウスの共作第1作がギリシャ劇『エレクトラ』だということは誰でも御存知のはず。

 劇場に足を運んでみると、演出の蜷川幸雄は入院中ということで助演出の演出家が実際の稽古を取り仕切ったようだが、演出プラン自体は、基本的に蜷川幸雄が立案してあったもののようだ。オーディションを通過した若手俳優たちで構成されるさいたまネクストシアターのメンバーたちは、皆、若くて、そのエネルギーが三味線を持って動き回るコロス役として力強く発散されていた。劇場の舞台上に設けられた特設舞台での上演は、客席と舞台とが身近で、臨場感に溢れていた。額縁舞台の枠を取り払うという試みは、オペラではオーケストラ・ピットの配置の問題も絡むから困難が伴うが、演劇の世界はその点では自由だ。

 蜷川幸雄は、広報誌のインタビューでは、ホフマンスタールの翻案した台本はソフォクレスの原作に比べると一つ一つの台詞が短く、的確にまとめられている点に持ち味があるという趣旨の発言をしていたが、実際に観て、聴いてみると、それでも相当な長台詞がたくさんある。ホフマンスタール翻案台本の日本語訳は小塩節が訳者の1人に入っているので、最近のものではなさそうだ。今、入手できるか等、細かいことは機会を探して調べてみたい。

 それにしても『オイディプス王』という芝居は、ほとんど男性ばかりの舞台で、女性はオイディプスの母にして妻というイオカステだけだ。言わば、男の声のアンサンブルになる。楽劇『エレクトラ』との関係で言えば、ホフマンスタールは『オイディプス王』の翻案台本をいつ書いたのだろうか?(R.シュトラウスが『エレクトラ』を作曲する前なのか、後なのか?)私は、ホフマンスタール翻案の『オイディプス王』は一度耳で聴いただけなわけだけれど、もし『エレクトラ』と比較するならば、『オイディプス王』の方が台本としての完成度は高いように思われた。もし、楽劇『エレクトラ』以前に『オイディプス王』の台本が出来ていたとしたら、R.シュトラウスは、自分のオーケストレーションに女声、特にドラマティック・ソプラノの声を載せることを前提として題材を選定していたということになるのだろうか?

 その後、学年末の繁忙期に突入して、あの時に感じた問題点はまだ何も手付かずのままなのだが、ここでは備忘録程度に記しておく。でも、オペラばかり観ていてもオペラを知ることにはならないと言うのは、強がりでもあろうが、真実でもある。

 ネクストシアターの役者さんたちの中で、一際存在感があったのは、イオカステを演じた土井睦月子。まだ20代前半だが、長身で品のあるたたずまいと台詞の力とを両立させていた点で、今後注目してみたい女優だと感じ、記憶にとどめた。
posted by 英楽館主 at 06:54| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | オペラ雑談集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月30日

義仲寺を訪ねて(4)〜番外編 今井四郎兼平の墓

P1000741a.JPG「木曾の最期」は、木曾殿とその乳母子今井四郎兼平との再会に始まり、木曾殿の御首を取られてしまった後、兼平の「太刀の先を口に含み、馬より飛び落ちて貫かつてぞ失せにける。」という壮絶な自害に終わる。つまり、主題は「武将とその乳母子との絆」であると言っても良いだろう。従って、主役は、兼平は木曾殿と並ぶもう1人の主役なのだが、その兼平の墓は、義仲寺から数キロ離れた所にあり、今も地元の人に日々お供えを供えられている。
ラベル:今井四郎兼平
posted by 英楽館主 at 23:30| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

義仲寺を訪ねて(2)〜巴塚

P1000734a.JPG義仲寺にある巴塚。

巴は、「木曾の最期」によれば、義仲の軍勢の最後の5騎の中に残っていたとされる女武者。こうした「側近」が最後までいたところに、義仲の勢力が最後まで組織化されていなかった(京を武力で支配していたにも関わらず、全国支配のための組織を築くことが出来なかった)ことが読み取れる。

『平家物語』を教えるに当たっては、物語の語り手の視点に常に共感を持つ授業の進め方を心がけたいが、とは言え、自分自身は平氏政権や木曾義仲の「軍事政権」に対する冷静な歴史的視点を持ち続けたいと思っている。
ラベル:義仲寺
posted by 英楽館主 at 22:58| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

義仲寺を訪ねて(1)〜木曾殿の墓

P1000733a.JPG最近、更新が滞りがちで恐縮です。昨年4月に職場が変わって以来、仕事に追われがちなこと、職場が都心からかなり離れてしまったので、コンサートを最初から聴けないことが増えて、最後の1曲だけで批判をするのはどうか等、ためらわれることも多く、音楽評論関係の記事が特に減っています。

さて、小春日和だった今年の元日、大津市の義仲寺を訪ねました。冬休みの講習で高1の生徒たちに『平家物語』巻第九「木曾の最期」を講じたのがきっかけです。以前から、この場面を教える場合には教科書を暗誦して授業に取り組み、生徒たちに語り物の臨場感を疑似体験してもらう努めて来ましたが、今回、学校が変わったことで使用する教科書が変わり、「木曾左馬頭その日の装束には…」からではなく、『平家物語』巻第九「木曾の最期」の全文が掲載されているので、、私も冒頭部分を新たに暗誦して授業に臨んだ。正直に言えば、従来から暗誦していた部分と今回50歳近くになって新たに暗誦した部分とでは授業の完成度に差があったが、それでも、(自己満足かもしれないが)現場の高校教師としては、やるべきことはやったと思っている。

さて、その義仲寺、まずは寺名の由来にもなっている源義仲の墓の写真である。
posted by 英楽館主 at 20:38| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月10日

古義堂を訪ねて

古義堂b.jpg 今年度は国語総合の授業を4クラス担当した。その1年間の授業の最後に『論語』と『孟子』を取り上げた。
 昨年春から教えている高校は、授業数が多い上に生徒の理解のレベルも高いので、教科書もたくさん消化できる。これまで『論語』は取り上げずに終わってしまうことが多かったが、今回は教科書(東京書籍『国語総合』古典編)の『おくの細道』以外のすべての単元に触れることが出来た。
 さて、問題は授業の中身だ。『論語』は、句形などは大したものは含まれないし、教科書に他の単元以上に注が付されているので、注をつなぎ合わせると、生徒自身でだいたいの訳を作ることが出来る。だから、教える教師に中身がないと、授業が成り立たない。もとより私は、哲学的なことを講釈できるような聖人君子からは程遠い人物だから、『論語』のような教材を前にすると、ほとほと困り果ててしまう(中身がないのに困らない教師よりはマシだけれど…)。
 そういうわけで、朱子の『論語集註』なども参照してみたが、これでは訓古注釈の色合いが強すぎて面白い授業になりそうにない。荻生徂徠も参照したが、高校生の授業で親しみ易く取り組めそうだという観点から、伊藤仁斎の『論語古義』を使うことに決めた。中央公論社の『日本の名著・伊藤仁斎』に貝塚茂樹の口語訳があるので、これの助けを借りつつ、いつもの通りエクセルで白文と授業用の返り点・送り仮名を付したものと2種類のプリントを作成。現在の教科書の訓読法に沿った活字本がない(古いものはあるが、読み方が多少異なる)ため、読み方の決定にかなり苦心した。
 
 さて、授業も半ばまで進んだ2月下旬の日曜日に、京都、堀河下立売にある伊藤仁斎の古義堂跡を訪ねてみた。今でも仁斎の御子孫が住んでおられるようだ。一般公開はされていない。仁斎の時代からの書庫が残っているとのことで、ぜひ拝見したいが、それは、もっともっと自分が勉強してからがよいのではないかと思い、写真だけを撮って帰って来た。
 翌日の授業で、「昨日、仁斎先生のお宅に行って来た」と話し始めたら、ある生意気な男子生徒は私のことを「このオヤジ、馬鹿じゃないの?」って顔で見ていたけれど、古義堂の由来などの話を聞いて納得した様子。こういうやり取りも、授業の楽しみの一つだ。
posted by 英楽館主 at 11:18| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。