2014年01月20日

2014年 大学入試センター試験 第4問(漢文)

 今年も一昨日、昨日とセンター試験が行われた。
 今回は古文は『源氏物語』からの出題だったので、口語訳を掲載する必要はなかろう。後日、問題文の内容についてのコメントを掲載することにしたい。
 漢文は筍に関する随筆が出題された。早速、今日の高2の授業で、2クラス(80分の補習授業)で古文、別の2クラス(50分の正規授業)で漢文を扱ってみたが、生徒の目線から見ると、古文は「犬も食わない夫婦喧嘩」の話題、漢文は堀ったこともなければ生から茹でたこともない筍の話題で、ピンと来ない内容だったようだ。

 ここでは、漢文の書き下しと訳を紹介しておこう。本文のうち、テキスト形式だと出ない字は記号に変えてあるので、各予備校や新聞社の速報などで入手できるpdfファイルの本文を参照して適宜補って読んでいただきたい。口語訳は、何か注釈などを参照したものではないし、館主の専門は漢文学ではないので、あくまで参考程度のものであることを断っておく。

2014年 センター本試験 漢文
[出典]陸樹声『陸文定公集』
 陸樹声は明代前期の官僚・文人。『茶寮記』などの著作がある。

[書き下し文]
 江南(かうなん)に竹(たけ)多(おほ)し。其(そ)の人(ひと)筍(たけのこ)を食(く)らふを習(なら)ふ。春(はる)の時(とき)に方(あ)たる毎(ごと)に、苞甲(はうかふ)土(つち)より出(い)で、頭角(とうかく)繭栗(けんりつ)、率(おほむ)ね以(もつ)て採食(さいしよく)に供(きよう)す。或(ある)いは蒸★(じようやく)して以(もつ)て湯(たう)と為(な)し、茹介(じよかい)茶☆(ちやせん)以(もつ)て饋(き)に充(あ)つ。事(こと)を好(この)む者(もの)目(もく)するに清嗜(せいし)を以(もつ)て方(まさ)に長(ちやう)ずるを▼(と)らず。故(ゆゑ)に園林(ゑんりん)豊美(ほうび)、複垣(ふくゑん)重△(ちようけい)にして、主人(しゆじん)居嘗(きよしやう)愛護(あいご)すと雖(いへど)も、其(そ)の之(これ)を食(く)らふに甘(あま)しとするに及(およ)ぶや、剪伐(せんばつ)して顧(かへり)みず。独(ひと)り其(そ)の味(あじ)苦(にが)くして食品(しよくひん)に入(い)らざる者(もの)のみ、筍(たけのこ)常(つね)に全(まつた)し。毎(つね)に渓谷(けいこく)巌陸(がんりく)の間(かん)に当(あ)たりて、地(ち)に散漫(さんまん)して収(をさ)められざる者(もの)は、必(かなら)ず苦(にが)きに棄(す)てらるる者(もの)なり。而(しか)るに甘(あま)き者(もの)は之(これ)を取(と)りて或(ある)いは其(そ)の類(たぐひ)を尽(つ)くすに至(いた)る。然(しか)らば甘(あま)き者(もの)は自(みづか)ら◆(そこな)ふに近(ちか)し。而(しか)るに苦(にが)き者(もの)は棄(す)てらると雖(いへど)も、猶(な)ほ剪伐(せんばつ)を免(まぬか)るるがごとし。夫(そ)れ物類(ぶつるい)は甘(あま)きを尚(たつと)び、苦(にが)き者(もの)は全(まつた)きを得(え)たり。世(よ)に貴(き)は取(と)られ賤(せん)は棄(す)てられざるは莫(な)し。然(しか)れども亦(ま)た取(と)らるる者(もの)の幸(さいは)ひならずして、偶(たまたま)棄(す)てらるる者(もの)に幸(さいは)ひなるを知(し)る。豈(あ)に荘子(さうじ)の所謂(いはゆる)無用(むよう)を以(もつ)て用(よう)と為(な)す者(もの)の比(たぐ)ひなるか。

[現代語訳]
 長江下流域には竹が多い。その地域の人は、筍を食べることを習慣にしている。毎年春になると、筍を包む一番外側の皮が土から出て、子牛の生えたばかりの角のような形で芽生えたばかりの筍を、だいたい採って食べる。蒸したり煮たりしてスープにし、穂先の柔らかい皮とお茶を食卓に並べたりする。
 美味しいものが好きな人は、アクのない筍を好み、大きくなりつつある筍は採らない。だから、幾重もの垣根や門扉をしつらえた美しい庭園で、主人が常に大事にしている竹藪でも、そこの筍を食べると美味しいということになると、後先を考えずに刈り取ってしまう。味が苦くて食べるに値しない筍だけが、常に刈り取られることなく竹としての生を全うする。苦い筍は、常に渓谷と山の間の土地(=竹藪)に散らばっていて、採集されない筍は必ず苦いから放置されるものである。そして、美味しい筍は、採って、採り尽くしてしまうこともある。だから、美味しい筍は、自分から自分の命を損なっているようなものだ。そして、苦い筍は放置されるとは言うけれども、それは切り取られずに済むのと同じようなことだ。
 そもそも、何でも美味しいものを珍重するので、美味しくないものは生を全うすることができる。世の中では、貴重なものは取られ、つまらないものは皆棄てられる。けれども、取られる物が幸運なのではなく、たまたま棄てられて放置されたものが幸運であることもわかっている。これこそ荘子の言う「無用を以て用と為す(世間で無用とされるものこそ天寿をまっとうするものだ)」という類ではなかろうか。

[解答と配点]計50点
 問1 (1)=C (2)=B (各五点)
 問2 D        (六点)
 問3 @        (七点)
 問4 D        (七点)
 問5 B        (六点)
 問6 @        (六点)
 問7 D        (八点)

[筆者のコメント]
 2009年の追試験での蓮についての随筆に続き、今度は筍が話題の随筆が出題された。2009年追試が、蓮の性質には士大夫の出処進退と共通する面があるという視点で一般論になったのと同様に、今回もまた後半は話題が一般化されている。また、2011年本試験で『論語』が引用されたが、今回は『荘子』である。近年のセンター試験の問題文選択や出題には、解法のテクニックよりも漢文の世界で常識とされる文章を教科書で勉強していることが役に立つような場合が多いように思われる。
 早速、高2の授業で扱ってみた(生徒の大半は昨日、予備校でセンター試験の問題を解いて来ている)が、ごく一部の筍堀りをしたことのある生徒を除けば、受験生の多くは「棄(す)つ」という動詞の意味(ここでは美味しい筍のとれない竹林には見向きもしないことを指す)がわからなかったようだ。
posted by 英楽館主 at 19:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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