2014年06月28日

モルゴーア・クァルテット 第40回定期演奏会

モルゴーア・クァルテット 第40回定期演奏会

2014年6月26日(木) 19時 浜離宮朝日ホール
リゲティ:弦楽四重奏曲第2番(1968)
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.138
*     *     *
ピンク・フロイド:原子心母(1970)
キング・クリムゾン:レッド(1974)
イエス:危機(1972)
(アンコール曲)
キース・エマーソン:ザ・ランド・オブ・ライジング・サン

 モルゴーアのメンバー4人は、それぞれが所属する楽団で重責を担いながら、年に2回の定期演奏会を20年にわたって続けて来た。そのお祝いでのモルゴーアのオーラを前面に出したコンサート。ロックの編曲が話題を呼んだ場合に備えて、初めての昼夜2回公演。彼らの精力的な活動ぶりにまず敬意を表したい。

 ところで、作曲家の中には、CDで聴くだけでは作品の真価が伝わらないという人がいる。もちろん、誰の作品でも生演奏で聴くことは大切なのだが、リゲティほど生演奏に接する意義を感じる作曲家は、そう多くは見当たらない。今回、私は弦楽四重奏曲第2番を聴いて、改めてリゲティの資質・才能に感服した。
 弦楽四重奏曲第2番は5楽章構成。特に最終楽章で細密な音の動きがリゲティならではの独特の世界で、まるで音そのものだけではなく音が響く空間、空気まで聴いているような錯覚を聴く者に与える。その感覚は『アトモスフェール』や『ロンターノ』と言った管弦楽曲の代表作と軌を一にするが、それらの単一楽章の作品と違って、5楽章構成で、聴く者の音感・リズム感が様々に刺激されて作曲家の意図した世界に巧妙に導かれて行く感覚を味わえるのが、この弦楽四重奏曲第2番の独特の面白さなのだろう。
 そう考えると、第1楽章冒頭のフェルマータ付きの休符から、聴衆は耳をそばだてて音を聴こうとする神経のスイッチを入れさせるように仕向けられ、第2楽章では微分恩の微細な音程の感覚に、第3楽章はピチカートで醸し出されるリズムの可能性に、第4楽章は強弱や音の高低の幅の広さに対して耳を適応させて行くという点で、それぞれの楽章が第5楽章への伏線になっていると解釈することが可能である。
 演奏もモルゴーアらしい精密かつ作品に誠実なものだった。そして弾いた彼らだけでなく、「やっぱりリゲティは凄い!」と感じたことが大収穫。

 ショスタコーヴィチの第13番は、緩急緩の単一楽章形式。プログラムの曲目解説で池辺晋一郎氏が指摘している通り、「曲頭と曲尾のアダージョが、スケルツォ的な中央部分のいわば額縁にもなっている構造」なのだが、18〜19世紀の音楽のダ・カーポでのシンメトリーな構成と違って、一旦は踏み出したスケルツォの世界に、どこか恐る恐る、探りながら後退して行くような曲尾のアダージョへの推移に、この第13番ならではの味わいがあるのではないだろうか。私は、この曲を生では初めて聴いたかもしれない。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を数多く初演したベートーヴェン四重奏団のヴィオラ奏者ボリソフスキーの70歳を記念して彼に献呈された曲なので、単にヴィオラが活躍するだけでなく、ヴィオラに高音域が多用されているのが特色。弟子ドルジーニンの弟子であるバシュメットが美しい高音を奏でることを思い起こせば、ボリソフスキーの音を聴いたことのない方でも作曲家の念頭にあったイメージが少し共有出来るのではないだろうか。
そんな曲を弾かねばならないヴィオラ奏者は大変だが、モルゴーアでは小野富士が力演。

 後半は同じ1970年前後イギリスのロックから第1ヴァイオリンの荒井英治が編曲した3曲。忙しい演奏活動の合間を縫っての荒井の編曲への熱意には毎回の事ながら頭が下がる。この時代のロックが単なる商業主義に堕していなかったことは私なりに理解出来たし、元のアルバムも聴いてみたいと思わないわけではない。ただ、浄瑠璃を聴くという私のもう一つの専門を考えると、ロックに手を出すのは守備範囲の広げ過ぎにならないかという危惧もある。アンコールは2011年3月11日の震災の被災地に捧げられたピアノ曲の荒井英治編曲による弦楽四重奏版。
posted by 英楽館主 at 16:14| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月22日

住大夫引退公演(大阪千秋楽)

国立文楽劇場開場30周年記念公演『菅原伝授手習鑑』
(第1部)
二段目 杖折檻の段    豊竹呂勢大夫・鶴澤清介
    東天紅の段    豊竹咲圃大夫・竹澤宗助
    丞相名残の段 切 豊竹咲大夫・鶴澤燕三
(第2部)
三段目 車曳の段     大夫掛け合い・鶴澤清治
    茶筅酒の段    竹本千歳大夫・竹澤団七
    喧嘩の段     豊竹咲甫大夫・野澤喜一朗
    訴訟の段     竹本文字久大夫・鶴澤藤蔵
    桜丸切腹の段 切 竹本住大夫・野澤錦糸
四段目 天拝山の段    豊竹英大夫・鶴澤清友

 4月の国立文楽劇場の文楽公演は、開場30周年を記念して『菅原伝授手習鑑』の通し。その千秋楽の昼夜(2段目から4段目「天拝山」まで)を聴いた。この日が4月・5月公演で現役を引退する7代目竹本住大夫の大阪での最後の舞台ということで、特に夜の部は超満員だった。
 4世竹本越路大夫が引退したのが平成元年の国立文楽劇場開場5周年記念公演『菅原伝授手習鑑』だった。越路引退後の文楽を四半世紀にわたって牽引して来た住大夫も、奇しくも同じ『菅原』三段目の「桜丸切腹」が引退披露狂言となった。ただ、今回は急な引退発表で引退の口上がないのが寂しいところだ。文楽の口上は前後に休憩を入れないと実施出来ない(人形を遣う舞台の床面は下げているので「舟底」と呼ばれる。これを上げて、毛繊や金屏風を立てて行うため。)ので、既に天拝山の段を含む狂言立てが発表されていたから口上が入れられなかったのである。
 そういう事情もあって、千秋楽は、床を降りた住大夫が舞台前方に姿を現し、観客に直接挨拶をした。そして分裂時代の三和会以来、舞台で苦楽を共にして来た吉田蓑助が桜丸の人形で花束贈呈を行った。越路大夫の引退時にも東京の千秋楽で文楽としては異例の「カーテンコール」があったが、あの時以上に感動的な光景で、私もぐっと来た。
 越路大夫が76歳で引退した時、一回り年下だった住大夫がここまで頑張ってくれるとは思わなかった。80歳を過ぎても舞台で語った大夫は、豊竹姓の元祖豊竹越前少掾や昭和では豊竹山城少掾、10代目豊竹若大夫などの例があるが、85歳を過ぎて語り続けた例はない。住大夫は本当によくぞここまで頑張ってくれたと思う。病後のリハビリに取り組みながら語る今回の「桜丸切腹」は、巧拙を論じるべき舞台ではない。場内にはすすり泣く観客もいたが、住大夫の語るこの段を毎回聴いて来た者としては、浄瑠璃そのものからは涙は出て来なかったが、自分と闘いながら死力を尽くして語る住大夫の姿は、私の記憶にいつまでもとどまることだろう。

 さて、今回の公演の収穫としてまず指摘しておくべきは、咲大夫の「丞相名残の段」に品格があったことだと思う。平成元年の通し上演の際に、大阪では住大夫・團六(現:寛治)、東京で織大夫(現:源大夫)・團六(現:寛治)が語って以来、前回の玉男一周忌追善興行まで、「丞相名残」は豊竹十九大夫が語り続けていた。本来の芸風や芸歴から言えば、源大夫が綱大夫時代にもっと語って然るべきだったのだが、清二郎(現:藤蔵)と組んでいたために十九大夫・清治、十九大夫・富助などの組み合わせが続いていて、玉男の人形は良くても肝心の床がいただけないことが多かった。咲大夫には「讒者のために罪せられ」など、もう少し丁寧な声の遣い方を望みたい箇所もあるにはあったが、同じ山城少掾系でも締まりのない語り口だった十九大夫とは異なり、品位ある菅丞相が語りによって造形されていたと思う。鶴澤燕三の三味線も、ゆったりとした足取りをよく醸し出していた。
 もう一人、熟年になってから進境著しいと感じたのが吉田玉也の白太夫である。前回は土師兵衛を遣っていても、小悪人ぶりが十分には出せていないもどかしさ、東天紅などで土師兵衛が中心になって進行する場面で「舞台は広い」と感じさせてしまう芸の隙間が残っていたのだが、今回の白太夫は、玉也が、玉男亡き後、人形と同化せずに自分の表情を抑えて人形を活かす術をよく獲得していることがうかがえる「桜丸切腹」だった。
posted by 英楽館主 at 08:09| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文楽よもやま話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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