2014年07月21日

メッツマッハーのベートーヴェンが凄い!

メッツマッハーのベートーヴェンが凄い!

7月18日(金) 19時15分 すみだトリフォニーホール
ベートーヴェン:バレエ音楽『プロメテウスの創造物』Op.43序曲
B.A.ツィンマーマン:わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た(1970)※
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op.67
※=日本初演
バス:ローマン・トレーケル、語り:松原友、多田羅迪夫

 先週末から10月初めにかけての新日本フィルの定期演奏会は、夏休みを挟んで4回連続でメッツマッハー指揮でベートーヴェンとベルント・アロイス・ツィンマーマンの組み合わせ。ベートーヴェンはともかく、これほどまとめてツィンマーマンに取り組む企画は珍しい。初回の13日(日)サントリーホールの公演は、勤務校の野球部の生徒たちの応援で球場に足を運んだ関係で後半のベートーヴェンの「英雄」しか聴けなかったが、新日本フィルから、とても引き締まった音色が引き出されていて印象深い好演だった。学期末の繁忙期を乗り越えて、昨日は、ようやくプログラムの最初から、ベートーヴェンとツィンマーマンのプログラムを最初から楽しむことが出来た。また、昨晩は、偶然だが、今週の公演リハーサルでメッツマッハーの通訳を務めたKさんと隣の席だったので、リハーサルの様子をいろいろとうかがうことが出来たのも楽しかった。
 結論から言えば、どの曲も新鮮で、特に第5交響曲は、これまで何百回と聴いて来た中でも長く記憶に残るに違いないすばらしい演奏だった。

 1曲目は『プロメテウスの創造物』序曲。5分ほどの小品だが、よく書けていて聴き飽きない曲だと思う。メッツマッハーからはリハーサルで、「この曲が作曲された頃のウィーンはロッシーニが大流行していた時代だったので、ベートーヴェンはロッシーニよりももっとロッシーニ風の作品を書こうと意識して作曲した」のだという趣旨の説明があったそうだ。なるほど、コーダの長いクレッシェンドはロッシーニ・クレッシェンドへの対抗意識を持ちながら書かれたというのは興味深い話だ。
 序奏の3〜4小節の力強さとオーボエのソロの品格のある音色、力感みなぎるアレグロ。その展開を打ち切ってコーダのクレッシェンドに持ち込む8小節の剛直な推移部も、ベートーヴェンらしさが横溢。こういう瞬間は、ロッシーニとベートーヴェンでは頭に思い描いている音楽が根本的に違うと感じる。体操の宙返りに譬えるなら、ロッシーニは身を屈めてクルクル回るイメージだが、ベートーヴェンは体の済みまでピンと張りつめた伸身の宙返りと言ったところだろうか。最後のフォルティッシモの音を短めに切る終わり方も鮮烈だった。

 2曲目のツィンマーマンの遺作は、社会的な問題意識の高さと精緻な作曲から、1960年代後半という時代の雰囲気をも振り返ることの出来る傑作。Kさんが通訳のお仕事上持ち歩いておられたピアノ・スコアを見せてくださったのだけれど、例えばライマンのオペラなどとは全然違って、声楽のソロは音程が取れないような難解な楽譜ではない。1分の1拍子が多用されている点にも特色がある。1拍子というのは、拍の流れよりも呼吸感が深く感じられる拍子で、それが、ドイツ語のテクストが鮮明に聴き取れる作曲とも密接に絡んでいると思われる。語り手2人とバス歌手が担当するテクストはツィンマーマン自身が聖書とドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』からまとめたものだ。
さて、実際の演奏を聴くと、オーケストラの楽譜はとてもきめ細かく書かれている。打楽器は、何かを叩く音だけでなく、新聞紙などの紙を破るという「特殊奏法」も要求されていて、その乾いた響きが、社会への絶望に満ちたテクストの雰囲気を聴衆に伝える上で大きな効果を発揮している。ソロや語りの言葉の間にちょっとずつ挿入される間奏も、テクストの性格を端的に表していて、思わず引き込まれてしまう。後半、聖書からのテクストを語り続けていた第1の語り手もドストエフスキーを語り出すという(意図された)混乱が生じて来る場面で、語り手には、自身が床を踏み鳴らすなどの身体運動が要求されているが、これもまた、追いつめられて行く感覚の表現としては絶妙。自分の身体を「楽器」にして声を響かせることに馴れている歌手たちが、自身の進退を言わば撥にして床を叩く役目を求められる。この語り手は、精神的に相当にキツイ役だと実感。40分近い長さだが、全曲を聴いても長いとは感じなかった。むしろ、ツィンマーマンを才能豊かな作曲家だと発見する幸せを感じたと言っていいだろう。

 後半の交響曲第5番も、最初から最後まで極めて充実した演奏。誰もが聴き馴れた曲を、よくぞここまで見直しをした上で再構築してくれたと感服する。オーケストラからアクティヴな反応を引き出そうとするメッツマッハーの指揮はとても精力的。50代の今だからこそ出来る演奏でもある。隅々まで指揮者とオケの意志がみなぎっていた第1楽章。ここでもまた、再現部のオーボエのソロ(古部賢一)の品のある音色が味わい深かった。第2楽章は、弦の柔らかい響きと各自がアンサンブルの中での役割を明確に意識した木管のメリハリのある響きが印象に残る。特にファゴット(河村幹子)が好演。第4楽章は第1主題とノン・ヴィヴラートを採り入れた第2主題の性格の描き分けがこんなに鮮やかに出来るのかと感服。聴きながら、次回の第7番イ長調の第1楽章などで、どこで解放弦を使って鮮烈な響きを作り出してくれるかなど、これから先のメッツマッハーのベートーヴェンを聴くことが心から楽しみになった。
posted by 英楽館主 at 08:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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