2009年06月03日

N響 Music Tomorrow 2009

6月1日(月) 19時 東京オペラシティ・コンサートホール

ジョナサン・ノット指揮 NHK交響楽団
ヴァイオリン:庄司紗矢香
(曲目)
斉木由美:モルフォゲネシス(2009)
藤倉大:secret forest for ensemble(2008)
リゲティ:ヴァイオリン協奏曲(1992)

 久しぶりに生で聴けたリゲティのヴァイオリン協奏曲が素晴らしかった。サシュコ・ガブリーロフの委嘱で作曲されたこの作品は、ガブリーロフ自身が来日してソロを弾いた日本初演(サントリー音楽財団のサマー・フェスティヴァル「海外の潮流」。)で感銘を受けて以来、大好きな作品だ。その後、大野和士指揮東京フィルの定期演奏会(独奏:荒井英治)など、何回か聴く機会があったが、今回の演奏には日本初演を聴いた時に勝るとも劣らない感動があった。1つには、庄司紗矢香のソロが素晴らしかったからであり、もう1つには、ジョナサン・ノットの指揮に、私がこれまで生で聴いたこの曲の演奏には見られなかった柔軟で音楽的な拍節感があったからである。作曲者自身と直接関わりのあったガブリーロフの世代の違う庄司が、独自に完成度の高い演奏を聴かせてくれたことは、既にこの傑作が「現代の古典」となりつつあることを実感させてくれる。
 大気から何かが生じるような生成感のある響きに始まり、多彩な刺激を持つリズムの饗宴に至る第1楽章で、早速に曲に引き込まれてしまう。そして、民謡的なメロディーが何とも言えない人懐こさを持つ第2楽章の魅力的なこと。この第2楽章を聴いていると、リゲティを聴いているのに、私はいつも、バルトークの第2番の第2楽章のほか、ベルクの第2楽章後半やショスタコーヴィチの第1番の第3楽章など、20世紀のヴァイオリン協奏曲の歴史を振り返ってしまう。旋律の繰り返しの中でオカリナが登場し、音程の輪郭にぼかしが入るが、最後はミュート付きのホルンを経てフルートのソロで1本の線に音楽が終結する。スケルツォ的な第3楽章を経て、瞑想的で密度の濃い第4楽章。ホルンの音程に怪しげな箇所があったが、それ以外はNHK交響楽団が健闘していた。そして再び第5楽章でリズムの饗宴。庄司のソロは、技術面で完璧だっただけでなく、この曲のカーニバル的な楽しさを伝えてくれるものだった。
 私は2階R1列61番という、一番遠くからホールのほぼ全体を見渡せる席で聴いていたのだが、第5楽章を聴きながら場内を見渡すと、ほとんど全ての人が、身を乗り出したり、体でリズムを感じたりしてステージ上の演奏に集中していた。作品の持つ力と、この作品を聴きたい人が集まった場の力を感じた瞬間だった。
 リゲティの前に日本の作品が3つ。残念ながら開演に遅れて原田敬子『エコー・モンタージュ――オーケストラのための』(2008)を聴き損ってしまった(事前のチラシでは原田さんの曲が2曲目だったので、私は驚いたし腹を立てた)が、斉木由美の新作『モルフォゲネシス』(N響委嘱作品、初演)は、この人の作品としてはエネルギーのあるものだった。ただし、毎回感じることだが、斉木の作品には、音を紡ぐ持続力、自分の音楽を温め続ける力のようなものが欠けていると思う。
 私にとって収穫だったのは、藤倉大の『secret forest for ensemble』(2008)。ステージ上の弦楽器奏者9名と客席の管楽器奏者8名、計17人の奏者たちが、指揮者を中心に交感し合う15分ほどの作品。冒頭、弦楽器にボウイングの難しいパッセージが続くが、次第に会場内に散った管楽器群との交感をし始める。客席中央のファゴットは、曲の中間部でソロを吹き始めて、そのまま吹き続ける。弦はいつしかピチカートのみを奏でるようになり、ファゴット以外の管楽器奏者は「rainstick」という竹筒の中に砂のようなものを入れた「楽器」に持ち替えて波のような音で弦とファゴットのやり取りを外側から包容して行く。全体の音響設計がしっかり出来ていて、興味深かった。藤倉は、管楽器を「森」としてイメージし、ファゴットを「森を歩く人」だと考えたと言う。私は、ここのところ国語の仕事で接していた国木田独歩『武蔵野』の中の雑木林の描写(聴覚に関して特にこだわった表現が重ねられている)を思い起こしながら聴いた。
posted by 英楽館主 at 18:55| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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