9月24日(木) 19時 サントリーホール
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 読売日本交響楽団
ピアノ:アンドレ・ワッツ
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
実は、この日は、ミハイル・プレトニヨフ指揮の東京フィルと、どちらを聴こうか少し迷った。グラズノフの交響曲第6番なんてめったに聴けるものではないからだ。しかし、根っからブルックナーが好きだし、また、スクロヴァチェフスキと読売日響のブルックナーをずっと通して聴いて来た者(3番のみやむを得ぬ事情で聴き損ねている)として、どうしても聴いておきたい9番だった。スクロヴァチェフスキが読売日響に定期的に客演するようになったのは、2000年2月から(この時は2月の名曲シリーズで「新世界より」ほかのプログラムと3月定期を指揮した)だが、その時の定期演奏会のプログラムがブルックナーの9番だったのだ。以来9年半。チクルスを完結して再度臨む9番の演奏がどう円熟しているか、注目していたからである。あの時は読売日響も第3楽章で木管に大きな事故があったので、あのライブは巨匠も絶対にCD化にOKを出さないだろう。だから、9番が再演を心待ちにしていたのである。
スクロヴァチェフスキの解釈は、基本的に前回と変わっていない。80代になってもテンポが遅くならないのが特色の1つ。だが、オケの馬力やアンサンブルは以前と違う。馬力がついた分、第1楽章の再現部からコーダにかけてなど、表現の彫りが深くなった部分も随所にある。また、他の指揮者なら埋没させてしまうパートを掘り起こすスクロヴァチェフスキ特有の表現も健在。これは、特に第2楽章のスケルツォで効果を発揮していた。しかし、読売日響の第1ヴァイオリンのアンサンブルは以前よりも悪くなっている。ここ1年余りで、スクロヴァチェフスキの指揮する読売日響の音は随分荒くなった。この点については、項を改めて述べることにするが、第3楽章後半では、この読売日響の欠点が、全体の仕上がりに、大きく足を引っ張ることになってしまった。また、長大な楽章の要になる206小節目の不協和音のフォルティッシモで、金管の音程のはまり方が今ひとつ緩かったのも残念だった。
もっとも、あと1週間で86歳の誕生日を迎えるスクロヴァチェフスキに、往年と同じ鋭い耳を求めるのは無理な注文だろう。老巨匠の指揮は、気心の知れたオーケストラが支えなければ成り立たない。ギュンター・ヴァントも、朝比奈隆もそうだった。ヴァントは詳しく知らないが、朝比奈が東京で客演するオーケストラは、最晩年の数回N響に出た以外はたいがい新日本フィルか都響で、コンマスはいつも豊島泰嗣(新日本フィル)と矢部達哉(都響)だった。彼らは朝比奈を尊敬し、本当によくアンサンブル全体を支えていた。今後も共演を続けるスクロヴァチェフスキと読売日響にも、そうした心温まる関係を期待したいと願うのは私1人ではあるまい。
話は戻って、この日の読売日響の演奏会を楽しみにしていた聴衆の多くは、スクロヴァチェフスキには敬意を表したいが、読売日響のアンサンブルには首を傾げざるを得ないというのが本音だったのではなかろうか。それが端的に現れていたのは、演奏直後にはさほど多くのヴラヴォーは出なかったのに、オーケストラが退場した後、スクロヴァチェフスキ1人に送られた数多くのヴラヴォーの声だった。
前半のアンドレ・ワッツをソリストに迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。オーソドックスな、もしくは20世紀的なアプローチであろうことは予想していた。また、たまたま彼の生演奏に接する機会をこれまでことごとく逸して来たので、半ば期待を持って聴いたのだが、予想以上だったのはワッツの衰え。右手は薬指にミスタッチが多く、左手は音量のコントロールが不十分で、第3楽章後半は左ストレート連発のボクシングのような状態。サントリーホールのピアノは大丈夫かという打鍵で、当然、音楽的には失望しか残らなかった。
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