私自身、公表するかどうか「1週間迷った」のも、この記事が異例のものであることを自覚していたからである。こうした批判も想定していた。私には、批判に答える責任がある。通常はコメントへの回答はコメント欄に書いているが、長くなるだろうし、しっかりと書きたいので、新しい記事として書くことにしたい。
まず、私自身が迷ったのは、記事の内容そのものの妥当性の有無についてではなく、記事でオーケストラの特定の奏者を名指しで批判することの、ネット上のマナーとしての妥当性である。特定の奏者がオーケストラ全体のアンサンブルを大きく乱していることの指摘そのものは、私にとっては些かも揺るぐことのないもので、これについては、改めてアリス氏にも反論するつもりだ。
英楽館では、音楽だけでなく他の芸術についても幅広く論じるようにしている。批評には、当然、その対象となる作品や公演に関わった人の個人名が欠かせない。クラシック音楽の場合、私は、原則として次のように考えている。
@ リサイタルや室内楽の場合は、個人名をそのまま載せる。
A オーケストラや合唱など、アンサンブルの公演の場合、指揮者やソリストのほか、コンサートマスターや首席奏者の個人名はそのまま載せる。オーケストラの場合、管楽器や打楽器などでソロを演奏した奏者の場合には、首席奏者でなくても個人名を掲載することがある。
B アマチュアの公演の場合、指揮者などでプロとして活動している音楽家の個人名はそのまま掲載する。
従って、今回の「読売日響のアンサンブルの問題点」は、極めて異例のものである。
なお、巧拙は、公演の成果を左右するものである以上、論評の対象とするが、単に「下手だ」とあげつらうような書き方はしていない。意図的でないミスについてことさらに書き立てるような書き方はフェアでないことも承知しているし、そのような記事は、これまで書いていないはずである。
どのような作品や公演でも、それに関わる人々に敬意を持って接することは、当然のことだし、私もそうした敬意を人一倍持っているつもりである。館主を直接知っている皆さんには説明するまでもなく通じていることだが、ネットは、直接には知らない方々にも発信するメディアであるから、その点については、今後も十分に配慮して行かねばならないと感じている。その上で、公演をする分野であれば、公演に臨む心構えなどに問題がある芸人や音楽家には、言うべきことは言う。通常は批評の対象とならないことでも書く。過去の例としては、文楽公演で、白湯汲みで居眠りを繰り返した大夫を名指しで批判したことがある。
古典芸能の場合とオーケストラの場合とは同じではないことも承知している。古典芸能では竹本○○大夫とか、三遊亭▽△などの芸名が使用される場合が多い(能・狂言は多くが実名)が、オーケストラのメンバーは実名だから、批判された個人に与える影響も大きい。
原則は以上のように考えているが、先日の「読売日響のアンサンブルの問題点」は、かねがね、10年以上にわたって、ステージ上での演奏や挙動に不満や疑問を持って来た奏者が、これまでに例がないほど逸脱した演奏をしていたので、あえて実名で批判したものである。
私の場合、音楽評論を書いている立場であるから、書くことのプロとして、責任が大きいことは承知している。、「今回は1会員として書いた」という言い訳は暗いと思っている。しかし、長年、読売日響の会員として自分の席を持って聴き続けている身として、今回批判した特定の奏者の状況は「もはや看過できない、堪え難い」という限界にあるのも偽らざる心境である。私の席は、協奏曲のソリストを味わうには絶好の席なのだが、第1ヴァイオリンについては、良くも悪くも、手に取るように聴こえてしまう席でもある。特定の第1ヴァイオリン奏者の、プロのオケマンとしての自覚にあまりにも欠ける演奏に黙って耐えるべきなのか、それともボウイングのズレは見えても1人1人の音程のズレまでは聴き取れない席に席替えをして、ソリストを楽しむことを諦めるべきなのか、それとも、酷いものは酷いと指摘するのか。毎回違う招待席で聴くだけなら、そんなことで悩む必要はないのだ。
私は、黙っているよりは批判する道を選んだ。(書くことの問題はさておき)演奏の問題は、私の個人的な問題ではない。また、1回のミスをあげつらうことでもなく、音楽家としての基本的な心構えを問うものだからだ。そしてもう1つ、記事の中でも朝比奈隆の例に少しだけ言及したが、オーケストラが高齢の指揮者の良さを最大限に発揮するという課題のために、読売日響は、この問題を真剣に考えるべき時に来ているという私なりの考えがあるからだ。ステージに立つ方々への敬意という面では、私は、読売日響の大多数のメンバーに対しては十分な敬意を持っているつもりだ。あくまで私の個人的な考えだが、今回私が批判した奏者の演奏や態度を苦々しく思っている読売日響メンバーは相当いるはずである。ただし、数年で卒業する学生オーケストラや体質が合わなければやめるなり他へ移るなりすればよいアマチュア・オーケストラと違って、同じ顔ぶれで演奏を続けて行かねばならないプロ・オーケストラだからこそ、内部では面と向かって批判し合うことが出来ないという事情もあるだろう。
アリス氏の批判への具体的なコメントや反論は、稿を改めて書く。

