2013年03月31日

最近の舞台から(1)〜彩の国さいたま芸術劇場の『オイディプス王』

2月17日(日) 14時 彩の国さいたま芸術劇場

さいたまネクストシアター公演『オイディプス王』(蜷川幸雄演出)

 昨年から、結構演劇を観ている。オペラももっと観たいのだが、第一に普通の高校教師の給料ではそうたくさんはチケットを買えないし、最近はチケット発売時の最安席の争奪戦にもほとんど参加できない(教員は土日が休みとは限らないし…)から、なかなか本数を増やせない。でも、オペラを観なくても、オペラの舞台について考える機会はたくさんある。その1つとして、この『オイディプス王』のことを少し書いておきたい。

 松本のサイトウ記念フェスティバルでストラヴィンスキーの『オイディプス王』を観たのは、もう15年以上前のことだ。あの曲は、演奏会形式やCDも含めていろいろ楽しんで来たけれど、演劇では観ていないなあと言うのが、最初にこの公演に興味を持ったきっかけ。そして、彩の国さいたま芸術劇場の広報誌の記事などで、この公演をさらに楽しみにするきっかけとなったのは、今回の公演がソフォクレスの原作から直接に舞台化するのではなく、ホフマンスタールが翻案した台本の日本語訳に基づくものだと知ったことだった。オペラ好きなら、ホフマンスタールとR.シュトラウスの共作第1作がギリシャ劇『エレクトラ』だということは誰でも御存知のはず。

 劇場に足を運んでみると、演出の蜷川幸雄は入院中ということで助演出の演出家が実際の稽古を取り仕切ったようだが、演出プラン自体は、基本的に蜷川幸雄が立案してあったもののようだ。オーディションを通過した若手俳優たちで構成されるさいたまネクストシアターのメンバーたちは、皆、若くて、そのエネルギーが三味線を持って動き回るコロス役として力強く発散されていた。劇場の舞台上に設けられた特設舞台での上演は、客席と舞台とが身近で、臨場感に溢れていた。額縁舞台の枠を取り払うという試みは、オペラではオーケストラ・ピットの配置の問題も絡むから困難が伴うが、演劇の世界はその点では自由だ。

 蜷川幸雄は、広報誌のインタビューでは、ホフマンスタールの翻案した台本はソフォクレスの原作に比べると一つ一つの台詞が短く、的確にまとめられている点に持ち味があるという趣旨の発言をしていたが、実際に観て、聴いてみると、それでも相当な長台詞がたくさんある。ホフマンスタール翻案台本の日本語訳は小塩節が訳者の1人に入っているので、最近のものではなさそうだ。今、入手できるか等、細かいことは機会を探して調べてみたい。

 それにしても『オイディプス王』という芝居は、ほとんど男性ばかりの舞台で、女性はオイディプスの母にして妻というイオカステだけだ。言わば、男の声のアンサンブルになる。楽劇『エレクトラ』との関係で言えば、ホフマンスタールは『オイディプス王』の翻案台本をいつ書いたのだろうか?(R.シュトラウスが『エレクトラ』を作曲する前なのか、後なのか?)私は、ホフマンスタール翻案の『オイディプス王』は一度耳で聴いただけなわけだけれど、もし『エレクトラ』と比較するならば、『オイディプス王』の方が台本としての完成度は高いように思われた。もし、楽劇『エレクトラ』以前に『オイディプス王』の台本が出来ていたとしたら、R.シュトラウスは、自分のオーケストレーションに女声、特にドラマティック・ソプラノの声を載せることを前提として題材を選定していたということになるのだろうか?

 その後、学年末の繁忙期に突入して、あの時に感じた問題点はまだ何も手付かずのままなのだが、ここでは備忘録程度に記しておく。でも、オペラばかり観ていてもオペラを知ることにはならないと言うのは、強がりでもあろうが、真実でもある。

 ネクストシアターの役者さんたちの中で、一際存在感があったのは、イオカステを演じた土井睦月子。まだ20代前半だが、長身で品のあるたたずまいと台詞の力とを両立させていた点で、今後注目してみたい女優だと感じ、記憶にとどめた。
posted by 英楽館主 at 06:54| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | オペラ雑談集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/353391183

この記事へのトラックバック