2014年01月20日

2014年 大学入試センター試験 第4問(漢文)

 今年も一昨日、昨日とセンター試験が行われた。
 今回は古文は『源氏物語』からの出題だったので、口語訳を掲載する必要はなかろう。後日、問題文の内容についてのコメントを掲載することにしたい。
 漢文は筍に関する随筆が出題された。早速、今日の高2の授業で、2クラス(80分の補習授業)で古文、別の2クラス(50分の正規授業)で漢文を扱ってみたが、生徒の目線から見ると、古文は「犬も食わない夫婦喧嘩」の話題、漢文は堀ったこともなければ生から茹でたこともない筍の話題で、ピンと来ない内容だったようだ。

 ここでは、漢文の書き下しと訳を紹介しておこう。本文のうち、テキスト形式だと出ない字は記号に変えてあるので、各予備校や新聞社の速報などで入手できるpdfファイルの本文を参照して適宜補って読んでいただきたい。口語訳は、何か注釈などを参照したものではないし、館主の専門は漢文学ではないので、あくまで参考程度のものであることを断っておく。

2014年 センター本試験 漢文
[出典]陸樹声『陸文定公集』
 陸樹声は明代前期の官僚・文人。『茶寮記』などの著作がある。

[書き下し文]
 江南(かうなん)に竹(たけ)多(おほ)し。其(そ)の人(ひと)筍(たけのこ)を食(く)らふを習(なら)ふ。春(はる)の時(とき)に方(あ)たる毎(ごと)に、苞甲(はうかふ)土(つち)より出(い)で、頭角(とうかく)繭栗(けんりつ)、率(おほむ)ね以(もつ)て採食(さいしよく)に供(きよう)す。或(ある)いは蒸★(じようやく)して以(もつ)て湯(たう)と為(な)し、茹介(じよかい)茶☆(ちやせん)以(もつ)て饋(き)に充(あ)つ。事(こと)を好(この)む者(もの)目(もく)するに清嗜(せいし)を以(もつ)て方(まさ)に長(ちやう)ずるを▼(と)らず。故(ゆゑ)に園林(ゑんりん)豊美(ほうび)、複垣(ふくゑん)重△(ちようけい)にして、主人(しゆじん)居嘗(きよしやう)愛護(あいご)すと雖(いへど)も、其(そ)の之(これ)を食(く)らふに甘(あま)しとするに及(およ)ぶや、剪伐(せんばつ)して顧(かへり)みず。独(ひと)り其(そ)の味(あじ)苦(にが)くして食品(しよくひん)に入(い)らざる者(もの)のみ、筍(たけのこ)常(つね)に全(まつた)し。毎(つね)に渓谷(けいこく)巌陸(がんりく)の間(かん)に当(あ)たりて、地(ち)に散漫(さんまん)して収(をさ)められざる者(もの)は、必(かなら)ず苦(にが)きに棄(す)てらるる者(もの)なり。而(しか)るに甘(あま)き者(もの)は之(これ)を取(と)りて或(ある)いは其(そ)の類(たぐひ)を尽(つ)くすに至(いた)る。然(しか)らば甘(あま)き者(もの)は自(みづか)ら◆(そこな)ふに近(ちか)し。而(しか)るに苦(にが)き者(もの)は棄(す)てらると雖(いへど)も、猶(な)ほ剪伐(せんばつ)を免(まぬか)るるがごとし。夫(そ)れ物類(ぶつるい)は甘(あま)きを尚(たつと)び、苦(にが)き者(もの)は全(まつた)きを得(え)たり。世(よ)に貴(き)は取(と)られ賤(せん)は棄(す)てられざるは莫(な)し。然(しか)れども亦(ま)た取(と)らるる者(もの)の幸(さいは)ひならずして、偶(たまたま)棄(す)てらるる者(もの)に幸(さいは)ひなるを知(し)る。豈(あ)に荘子(さうじ)の所謂(いはゆる)無用(むよう)を以(もつ)て用(よう)と為(な)す者(もの)の比(たぐ)ひなるか。

[現代語訳]
 長江下流域には竹が多い。その地域の人は、筍を食べることを習慣にしている。毎年春になると、筍を包む一番外側の皮が土から出て、子牛の生えたばかりの角のような形で芽生えたばかりの筍を、だいたい採って食べる。蒸したり煮たりしてスープにし、穂先の柔らかい皮とお茶を食卓に並べたりする。
 美味しいものが好きな人は、アクのない筍を好み、大きくなりつつある筍は採らない。だから、幾重もの垣根や門扉をしつらえた美しい庭園で、主人が常に大事にしている竹藪でも、そこの筍を食べると美味しいということになると、後先を考えずに刈り取ってしまう。味が苦くて食べるに値しない筍だけが、常に刈り取られることなく竹としての生を全うする。苦い筍は、常に渓谷と山の間の土地(=竹藪)に散らばっていて、採集されない筍は必ず苦いから放置されるものである。そして、美味しい筍は、採って、採り尽くしてしまうこともある。だから、美味しい筍は、自分から自分の命を損なっているようなものだ。そして、苦い筍は放置されるとは言うけれども、それは切り取られずに済むのと同じようなことだ。
 そもそも、何でも美味しいものを珍重するので、美味しくないものは生を全うすることができる。世の中では、貴重なものは取られ、つまらないものは皆棄てられる。けれども、取られる物が幸運なのではなく、たまたま棄てられて放置されたものが幸運であることもわかっている。これこそ荘子の言う「無用を以て用と為す(世間で無用とされるものこそ天寿をまっとうするものだ)」という類ではなかろうか。

[解答と配点]計50点
 問1 (1)=C (2)=B (各五点)
 問2 D        (六点)
 問3 @        (七点)
 問4 D        (七点)
 問5 B        (六点)
 問6 @        (六点)
 問7 D        (八点)

[筆者のコメント]
 2009年の追試験での蓮についての随筆に続き、今度は筍が話題の随筆が出題された。2009年追試が、蓮の性質には士大夫の出処進退と共通する面があるという視点で一般論になったのと同様に、今回もまた後半は話題が一般化されている。また、2011年本試験で『論語』が引用されたが、今回は『荘子』である。近年のセンター試験の問題文選択や出題には、解法のテクニックよりも漢文の世界で常識とされる文章を教科書で勉強していることが役に立つような場合が多いように思われる。
 早速、高2の授業で扱ってみた(生徒の大半は昨日、予備校でセンター試験の問題を解いて来ている)が、ごく一部の筍堀りをしたことのある生徒を除けば、受験生の多くは「棄(す)つ」という動詞の意味(ここでは美味しい筍のとれない竹林には見向きもしないことを指す)がわからなかったようだ。
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2013年03月30日

義仲寺を訪ねて(4)〜番外編 今井四郎兼平の墓

P1000741a.JPG「木曾の最期」は、木曾殿とその乳母子今井四郎兼平との再会に始まり、木曾殿の御首を取られてしまった後、兼平の「太刀の先を口に含み、馬より飛び落ちて貫かつてぞ失せにける。」という壮絶な自害に終わる。つまり、主題は「武将とその乳母子との絆」であると言っても良いだろう。従って、主役は、兼平は木曾殿と並ぶもう1人の主役なのだが、その兼平の墓は、義仲寺から数キロ離れた所にあり、今も地元の人に日々お供えを供えられている。
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義仲寺を訪ねて(2)〜巴塚

P1000734a.JPG義仲寺にある巴塚。

巴は、「木曾の最期」によれば、義仲の軍勢の最後の5騎の中に残っていたとされる女武者。こうした「側近」が最後までいたところに、義仲の勢力が最後まで組織化されていなかった(京を武力で支配していたにも関わらず、全国支配のための組織を築くことが出来なかった)ことが読み取れる。

『平家物語』を教えるに当たっては、物語の語り手の視点に常に共感を持つ授業の進め方を心がけたいが、とは言え、自分自身は平氏政権や木曾義仲の「軍事政権」に対する冷静な歴史的視点を持ち続けたいと思っている。
タグ:義仲寺
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義仲寺を訪ねて(1)〜木曾殿の墓

P1000733a.JPG最近、更新が滞りがちで恐縮です。昨年4月に職場が変わって以来、仕事に追われがちなこと、職場が都心からかなり離れてしまったので、コンサートを最初から聴けないことが増えて、最後の1曲だけで批判をするのはどうか等、ためらわれることも多く、音楽評論関係の記事が特に減っています。

さて、小春日和だった今年の元日、大津市の義仲寺を訪ねました。冬休みの講習で高1の生徒たちに『平家物語』巻第九「木曾の最期」を講じたのがきっかけです。以前から、この場面を教える場合には教科書を暗誦して授業に取り組み、生徒たちに語り物の臨場感を疑似体験してもらう努めて来ましたが、今回、学校が変わったことで使用する教科書が変わり、「木曾左馬頭その日の装束には…」からではなく、『平家物語』巻第九「木曾の最期」の全文が掲載されているので、、私も冒頭部分を新たに暗誦して授業に臨んだ。正直に言えば、従来から暗誦していた部分と今回50歳近くになって新たに暗誦した部分とでは授業の完成度に差があったが、それでも、(自己満足かもしれないが)現場の高校教師としては、やるべきことはやったと思っている。

さて、その義仲寺、まずは寺名の由来にもなっている源義仲の墓の写真である。
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2013年03月10日

古義堂を訪ねて

古義堂b.jpg 今年度は国語総合の授業を4クラス担当した。その1年間の授業の最後に『論語』と『孟子』を取り上げた。
 昨年春から教えている高校は、授業数が多い上に生徒の理解のレベルも高いので、教科書もたくさん消化できる。これまで『論語』は取り上げずに終わってしまうことが多かったが、今回は教科書(東京書籍『国語総合』古典編)の『おくの細道』以外のすべての単元に触れることが出来た。
 さて、問題は授業の中身だ。『論語』は、句形などは大したものは含まれないし、教科書に他の単元以上に注が付されているので、注をつなぎ合わせると、生徒自身でだいたいの訳を作ることが出来る。だから、教える教師に中身がないと、授業が成り立たない。もとより私は、哲学的なことを講釈できるような聖人君子からは程遠い人物だから、『論語』のような教材を前にすると、ほとほと困り果ててしまう(中身がないのに困らない教師よりはマシだけれど…)。
 そういうわけで、朱子の『論語集註』なども参照してみたが、これでは訓古注釈の色合いが強すぎて面白い授業になりそうにない。荻生徂徠も参照したが、高校生の授業で親しみ易く取り組めそうだという観点から、伊藤仁斎の『論語古義』を使うことに決めた。中央公論社の『日本の名著・伊藤仁斎』に貝塚茂樹の口語訳があるので、これの助けを借りつつ、いつもの通りエクセルで白文と授業用の返り点・送り仮名を付したものと2種類のプリントを作成。現在の教科書の訓読法に沿った活字本がない(古いものはあるが、読み方が多少異なる)ため、読み方の決定にかなり苦心した。
 
 さて、授業も半ばまで進んだ2月下旬の日曜日に、京都、堀河下立売にある伊藤仁斎の古義堂跡を訪ねてみた。今でも仁斎の御子孫が住んでおられるようだ。一般公開はされていない。仁斎の時代からの書庫が残っているとのことで、ぜひ拝見したいが、それは、もっともっと自分が勉強してからがよいのではないかと思い、写真だけを撮って帰って来た。
 翌日の授業で、「昨日、仁斎先生のお宅に行って来た」と話し始めたら、ある生意気な男子生徒は私のことを「このオヤジ、馬鹿じゃないの?」って顔で見ていたけれど、古義堂の由来などの話を聞いて納得した様子。こういうやり取りも、授業の楽しみの一つだ。
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2012年08月21日

田中洋一編著『中学国語科 教科書新教材の授業プラン』説明的文章編

P1000637.JPG もう1点、本の宣伝と紹介。国語の話がメインですが、クラシックのお好きな方も、どうぞお付き合いください。ホルストの組曲『惑星』に絡む話題でもあるからです。この本は、一般の読者向けではなく、教員用の授業指導事例集。新学習指導要領の全面実施に伴って、この4月から中学校の教科書は全面改定され、従来の教科書にはなかった新しい文章が数多く採録されました。そうした新教材は、指導書以外の授業案がまだ出回っていないので、現場の先生方が指導書とは違ったアプローチを試みたい場合に、参考にしていただくというのが本書のねらいです。
 私が担当させていただいたのは、渡部潤一「冥王星が『準惑星』になったわけ」(三省堂・中学3年)です。新しい指導要領には、中学3年生の言語活動例として「論説や報道などに盛り込まれた情報を比較して読むこと」が挙げられており、本教材も、天文学者の渡部潤一氏の説明文の他に、「冥王星が惑星から『降格』」になったことを伝える新聞記事が比較の材料として掲げられています。
 しかし、私がこの教材の指導案を作成する上で考えたのは、天文学の側からの説明やそれに基づいた報道だけではなく、全く違った角度から冥王星を論じた論説や報道と組み合わせて読ませたいということでした。新学習指導要領での理数系重視の傾向を踏まえてでしょうか、新しい中学の教科書では、各社それぞれ、理科系の話題の文章を新しく採り入れています。そうした文章と、非「理科系」的なアプローチの文章を組み合わせて読ませたいと考えたわけです。
 その際に、私の頭に思い浮かんだのが、コリン・マシューズ作曲の「冥王星」である。ホルストの組曲『惑星』に続けて演奏されるように書かれたマシューズの作品は、かなり大きな反響と是非の議論を呼び、2001年4月には大友直人指揮の東京交響楽団によって日本初演が行われました。私もその時の演奏を聴いていたので、この題材を思い付いたのです。その後、いくつか録音も発売されていますが、冥王星が惑星から「降格」してしまった現在、最も手に入りやすいのはサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルのCD(EMI)だと思います。
 理科系のアプローチに沿って考えれば、冥王星が「準惑星」になったのは合理的なことです。太陽系の外縁部に多くの天体が見つかった以上、惑星の定義に再検討が加えられたのは当然のことですし、軌道の問題などを考えても、冥王星以外の小惑星を「惑星」に加えるよりは、新たに見つかった天体と冥王星を合わせて「準惑星」というカテゴリーを創った方が我々素人の目にも整合性があります。
 一方、私が言いたいのは次のようなことです。「文化とは、その時代を反映するものであり、社会や科学の発達など、様々な要素の影響を受けながら変わって行くものである。」だから、冥王星をどう分類するかという天文学の課題と、冥王星を地球から最も遠い「惑星」だと考えて人々が想像力をめぐらした時代に創造された芸術作品の価値とは別問題で、芸術の対象となった「冥王星」の価値は変わるものではないだろうということです。この場合、コリン・マシューズの「冥王星」に生き残るだけの価値があるかどうかは全く別個の問題です。
 当初、私は、図書館に通って日本初演の批評などで適切な新聞記事がないか探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。コンサート評は、わずか数分の「冥王星」だけに焦点を当てて書かれるものではないし、それを担当した当時の批評家たちも、どちらかと言えばマシューズの作品を評価することを避けて、他の曲目で紙数を費やしていたからです。結局、自分の趣旨に合う文章が見つからず、私自身が「比べ読み」の材料となり論説文を書き下ろしてしまいました。単純な読み比べだけでなく、「自分の考えをもつ」ということを重要視した結果、そうせざるを得ませんでした。それが、こうした授業指導案において「禁じ手」に当たるかどうかが、この指導案の評価の分かれるところだと思います。

 写真の緑色の表紙の「説明的文章編」のほか、私は執筆していませんが、オレンジ色の表紙の「文学的文章編」もあります。(東洋館出版社刊、¥2,300)
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2011年12月23日

達筆だった樋口一葉

12月18日(日)
 11月6日以来、久しぶりに日曜日が休みだったので、一服するために山梨の温泉へ。たまたま目にしたポスターがきっかけで、帰路、山梨県立文学館に立ち寄り、「樋口一葉 山梨への手紙」を見た。
 一葉の両親が現在の甲州市塩山の出身だったことから、一葉の山梨の親戚に宛てた手紙が複数残されていて、新収蔵のものを中心に展示している。今回の展示が特に興味深かったのは、新収蔵品に手紙だけでなく、詠草(和歌)が含まれていることだ。
 手紙からは、その年の繭の出来を気遣う言葉やお悔やみの言葉など、心遣いにあふれていて一葉の人柄が偲ばれる。そして、手紙もなかなか達筆だ。だが、詠草は、字そのものもさらに達筆だし、また字配りや用字などにも、手紙にはない工夫が読みとれる。例えば「秋」の一字でも、文学館のチラシに写真で掲載されている部分では左に「禾」、右に「火」という普通の「秋」だが、別の歌には左に「火」、右に「禾」という字体も用いて、同じ字体が続かないようにするなどの配慮が見られるのが興味深い。こうした字体は、田舎の親戚という具体的な読み手を想定して書かれた書簡には見られない。単に読むだけでなく、そうしたところを見ていたら、短時間のつもりだったのに、思わず時を過ごしてしまった。
 「詠草」では最後の2首、知人で当時は滋賀県の彦根中学に赴任していた馬場孤蝶(1869〜1940、英文学)からの絵葉書が届いた時に詠んだという歌が私にはとりわけ興味深かった。この展示は明後日12月25日(日)まで。図録がないのが残念。
posted by 英楽館主 at 18:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

日本国語教育学会 高等学校部会第59回研究会

日本国語教育学会 高等学校部会第59回研究会

12月4日(土) 14時30分〜 東京大学教育学部附属中等教育学校
1.実践例発表
「教育困難校における効果的な『読み』の指導〜評論文教材を中心に」
発表者:坂本 優先生(福島県立小名浜高等学校)
2.講演:「分析批評40年」 井関義久先生(桜美林大学名誉教授)

 私の勤務校では期末試験の最終日。勤務を終えてからの出席だったため、遅刻をしてしまったが、特に、前半の実践例発表を興味深く聞いた。発表者坂本優先生の勤務しておられる小名浜高校も、私の勤務校も、生徒の国語力の実態としては大差ないからだ。意見交換では発表に批判的な意見もあったが、実際に国語の授業以外の仕事の比重が大きい多くの高校の現場で国語の授業に携わるものとして、様々な工夫を重ねておられる坂本優先生の御努力に敬意を表したい。
 研究会の内容は、本来、学会のホームページが告知すべきものだが、高等学校部会のページは2009年春以来更新が進んでいないので、ネット上でも見られるように私的なこのブログに掲載しておくことにする。
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2010年03月12日

中学古典教材の索引

お知らせ

 中学国語の現行検定教科書に掲載されている古典教材について、単語レベルでの索引を作成しています。既に光村図書発行の教科書3年分については、完成しており、現在、東京書籍版、教育出版版の教科書についても作業を進めています。さらに、三省堂版、学校図書版についても作成の予定です。
 私自身、広く御意見をいただきたいと思いますし、学校現場での授業計画や国語教育研究に有用な資料として活用していただけると思いますので、学校関係者・国語教育研究に関わる方に限定で、御希望の方には資料(プリントもしくはエクセルデータ)を無償で頒布いたします。

 御希望の方は@氏名、A送り先、B勤務先の学校名、C役職名(院生の方は学年)を明記の上、下記宛にメールでお問い合わせください。

yuranosuke01★hotmail.co.jp
※ ★を@に変えて送信してください。

 なお、このアドレスは、週に1回程度しか開いておりませんので、回答には数日から1週間を要することを御容赦ください。

 上記の資料について、以下の会でも研究発表をいたします。

3月13日(土) 14時〜17時 なかのゼロホール会議室
21世紀国語教育研究会例会
館主の発表は16時前後からになる予定です。
posted by 英楽館主 at 14:13| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

一休を訪ねて…薪・酬恩庵

RIMG0313.JPG12月31日(木)
 車を京都から南へ走らせて、京田辺市の酬恩庵(通称「一休寺」)に参詣。なぜ、わざわざ一休寺を訪ねたかと言えば、先日、新指導要領の下での新規の中学の古典の教材の導入例として、江戸時代初期の仮名草子『一休ばなし』を読むという指導事例についての原稿を執筆したからだ。この原稿は、なかなか筆が進まずに困ったのだけれど、やっぱり現地を訪ねてみて良かった。
 そもそも、この酬恩庵は、なかなか趣のある禅寺だ。修復中で本堂の屋根が覆われていて、その全貌が見られなかったことなど、残念なこともあるが、飾らない風情に好感が持てる。写真は酬恩庵の庭園。冬の、それも大晦日とあって参詣客はまばらだったので、1人の縁側で庭を眺めながらのんびりと一休がこの寺で過ごした昔に思いを馳せることが出来た。庭の風情の写真の通りなかなかのものです。有名な龍安寺の石庭も結構ですが参詣客が絶え間ないので、私のように庭のことをよく知らないものが庭の雰囲気を楽しむには、格好の機会だったと言えるだろう。
 もう一つ、注釈をつけていてよくわからなかった点について、解決はしていないがヒントを得ることが出来た。『一休ばなし』巻1の5は、「一休和尚、奈良の薪といふ所に、時々はおはしましける。」という一文から始まる。この薪(たきぎ)という土地は、現在の京都府京田辺市に属するので、「奈良の薪」という表現が気になっていた。はたして薪は大和国に属していたことがあるのだろうか?きちんと調べてみないといけないけれど、車で出かけてみると、隣の八幡市に「奈良」という地名が今も残っていることに気づいた。どちらも木津川左岸の地である。「奈良の薪」とはどういう意味なのか、些細なことだが年明けに検討してみようと思う。
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丹波に出雲といふ所あり…亀岡・出雲大神宮参詣

RIMG0310.JPG12月30日(水)
 親類のお墓参りの帰りに車で足を伸ばして亀岡の出雲大神宮に参詣してみた。『徒然草』の236段に「丹波に出雲という所あり。」に始まる一段がある。
聖海上人という僧が人を誘ってこの社に参詣したところ、獅子・狛犬が他の神社とは違って後ろ向きになって互いに尻を向け合っていたので、感激屋の上人は「他の神社と違って格別だ」と感心して、年配でものを知っていそうな神官に獅子・狛犬の由来を訊いたところ、「さがなき子ども」つまり悪ガキの悪戯とわかって、上人の感涙が無駄になってしまったという笑話的な一段だ。この『徒然草』に逸話を記された「出雲」とは、この現在の亀岡の出雲大神宮のことと思われる。
写真は現在の亀岡の出雲大神宮の境内。もちろん獅子・狛犬は前を向いて向き合っている。当今、こんな立派な獅子・狛犬の向きを逆さにするような悪い子どもはいないようだ。
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2009年11月26日

『舞姫』授業余滴

 この秋、2つの高校で森鴎外『舞姫』を教えた。予備校の古文教師から出発した私の場合、現代文の経験が少なく、『舞姫』を教えたのも初めてのことだった。中間試験を終え、1校では他の教材に移り、もう1校では2学期初めから中間試験までの時数が7時間しかなかったため、つい先週、最後の場面に到達したところだ。試験の採点をしていると、授業での解説の至らなかった部分なども見えて来た。また、授業者の予想外の解答を書く生徒もいて、授業の方向づけや読みの可能性について教えられることも少なくない。拙い授業の反省を交えて、授業の「余滴」を書き記しておこう。もとより自分自身のためだが、どなたかの参考にもなればと思う。

1 冒頭場面の授業展開
 セイゴン(現ホーチミン)港に停泊中の船内にいる主人公が回想を書き綴るという体裁に始まる『舞姫』の冒頭場面については、2校とも次のような展開で授業を行った。
[第1時限]
森鴎外の年譜等の資料と、『舞姫』冒頭場面の自筆原稿・初版をプリントで配布。ドイツ留学に至るまでの鴎外の半生をたどった。特に、5歳年下の夏目漱石との前後関係や、幼少時に受けた教育(漢文の素読など)に注目させた上で、冒頭場面を生徒に音読させ、授業者が解説した。
[第2時限]
 @鴎外の自筆原稿(初版のための最終原稿)での訂正箇所、A初版原稿と教科書本文(決定稿)との異同箇所を、生徒にマーカーでマークさせ、その傾向を考えさせた。生徒に2つの作業を同時並行で行わせたのは、適切ではなかったと反省している。A、@の順で実施した方が良かったであろう。
 Aは、「天方伯に随行している事実をはやばやと明かすことは、後半部で展開するロマンの結末を読者に先取りさせるわけで、作品の密度とサスペンスをそこなうおそれがある。しかし、この一節が削除されたことで、作品の基調とやや異質な時事性が希釈されたことも事実である。」(三好行雄「『舞姫』・その前後」、『三好行雄著作集』第2巻14ページ)ということを生徒に考察させるよい機会となったと思う。不勉強を恥じつつ率直に書けば、三好行雄の著作に出会ったのは10月に入ってからで、既に当該箇所の授業を終えた後だったが、私自身の設定した方向の妥当性を確認することが出来た。
 @については、鴎外が推敲段階において、「憂ひ」を「恨み」に書き換えていることに注目させ、結末部分での「憎む」との差異を考察させることを試みた。漢文的教養の豊かな鴎外、あるいは近世から明治の作家たちを理解する場合に、国語辞典や古語辞典ではなく、漢和辞典を用いることが、適切な理解への近道と鳴ることを示しておきたかったからである。

2 森鴎外と加藤周一
 これも、授業が終わってから気付いたことだが、最近、刊行が進みつつある『加藤周一自選集』を読んで、加藤周一が鴎外についてあれこれと書いているものに触れた。「鴎外と洋楽」(第1巻)「鴎外とその時代」(第2巻)、「鴎外と『史伝』の意味」(第3巻)の3本である。編者鷲巣力による第2巻の解説によれば、加藤は1951年から1955年にかけての渡欧の際に、フランス政府の半給費留学生で、滞在費は自分で稼がねばならず、西日本新聞の「特派員」として記事を書いていたのだそうだ。東大医学部の出身で渡欧したのは森鴎外と重なり、日本の新聞にヨーロッパ情勢に関する文章を送る売文の徒として生計を支えた点では、「舞姫」の主人公太田豊太郎の設定と重なる。加藤周一がパリに滞在しながら森鴎外に親近感を抱いていたであろうことは想像に難くない。次に「舞姫」を講ずる機会があれば、加藤周一の森鴎外論を題材にした授業展開を考えてみたいと思う。
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2009年11月05日

研究発表のお知らせ 11月14日(土)

 急な話なのですが、先週末に、来週研究発表をすることに決まりました。準備期間が10日ほどしかありませんが、出来る限りのことをして臨むつもりです。中学の古典の授業に関心をお持ちの先生方には、御来場の上、御意見をいただけるとありがたく思います。

11月14日(土) 14時〜 なかのゼロホール 会議室
21世紀国語教育研究会例会

題目:「新指導要領下での中学古典学習材の開発〜2つの方向性〜」
発表者:山之内英明

 新学習指導要領の下で、小学校から古典指導が行われることになり、中学校での古典指導にも大きな変革が求められている。そこで、中学国語での新たな古典学習材の導入例として、従来から教科書で採り上げられてきた『竹取物語』の別な箇所を用いる事例と、従来は教科書に採択されていなかった井原西鶴『本朝桜陰比事』を古典落語『三方一両損』と併せて用いる事例の2例を提言し、古典学習材の開発に際しての基本的な考え方についての私見を述べることとしたい。
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2009年09月04日

森鴎外を読むためにD

RIMG0243.JPG いよいよ2学期。始業式の後、模擬試験などもあって、私の場合、明日から本格的に授業です。授業プリントを作る際に、大いに参考にさせてもらったのは、写真資料の豊富な森鴎外展(神奈川近代文学館、4月25日から6月7日)の図録。迂闊にもこの展覧会は見逃してしまいましたが、7月に中島敦展を見に行った折に入手しました。授業を通じて、鴎外自身の風貌だけでなく、鴎外の筆跡の立派さなども、写真を通じて味わってもらいたいと思います。
 年譜を見ながら思うのは、鴎外は一度しかドイツに行っていないということ。鴎外の海外体験は、若き日のドイツ留学と日露戦争に従軍した経験だけで、それ以外には海外に渡航していません。ドイツ語で話したり、書いたりすることが出来て、ヨーロッパでの生活を満喫した森鴎外のことですから、現在のように、個人で海外に行ける時代だったら、官命による留学だけでなく、何度もドイツに行っていたに違いないと思います。逆に想像力を働かせると、鴎外がドイツから帰国したときは、どれだけ憂鬱な気分だったことでしょう?
 今日、私たちが海外旅行に出かけても、帰りの飛行機で成田に着く時など、「ああ、終わってしまった」とため息をつきたくなることがしばしばですが、それでも、「また、いつか行ける」という気持ちがどこかにあります。でも、明治の昔には、そんなことは考えられなかった。この図録に目を通しながら、例えば日本からヨーロッパへの汽船の運賃はいくらだったのかとか、そんなことも調べてみたくなりました。
 鴎外が「舞姫」を執筆したのは、帰国直後のことです。鴎外の恋人がドイツから日本まで追いかけて来たという事実も報告されているため、「舞姫」は私小説のように詮索されることがしばしばですが、もっと豊かな想像力を持って授業を進めて行きたいと感じます。
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2009年09月02日

森鴎外を読むためにC

RIMG0241.JPG安川里香子 編訳 『現代訳 森鴎外「舞姫」』
(2001年、審美社刊、税込¥1,680)
 「舞姫」の現代語訳はいくつもある。訳者を選ばなければインターネット上でも入手可能だ。だが、この本は、現代語訳だけでなく、自筆稿と雑誌『国民之友』明治23(1890)年1月号別冊に発表された初稿も掲載されているのが魅力だ。
 教科書に掲載されているのは、『鴎外全集』所収の決定稿だから、読み比べが面白い。まず、活字レベルで見れば、初稿の第4段落が決定稿ではまるまる削除されている。この初稿の第4段落には「天方伯」という名前が登場しているが、天方伯が最初から登場するのか、物語の後半から登場するのかでは、全体像が随分と変わって来る。
 もう1つ。鴎外自筆稿も、単純な清書ではなく、清書の過程で推敲を加えたものだけに、鴎外が細部のどんな点にこだわったかが見えて、実に興味深い。
 今回、初回の授業はこれを使ってみようと思う。詳しく書いて授業が詰まらなくなっては本末顛倒だからこのくらいにするが、キーワードは「恨み」と「天方伯」である。
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森鴎外を読むためにB

RIMG0240.JPG生松敬三(いきまつ けいぞう)著『森鴎外』
 東京大学出版会の刊行。¥2,800+税だから安くはないが、今回の私の森鴎外探索においては、収穫の多い1冊だった。初版は1958年という古い本だが、一昨年2007年9月に新装版が出版されている。
 岩波新書の『森鴎外』(長島要一著)に辟易としていた私は、この本を紐解いてホッとした。最初の1ページから、鴎外の生きた時代に対する目配りがあったからである。例えば、「彼が生れた文久二年という都市は、ペリー来航以来九年、明治維新に先立つこと六年であり、(中略)現に、その年の目ぼしい事件だけを数えてみても、正月には坂下門の変、四月には寺田屋騒動、八月には生麦事件、…」といった具合である。
 やはり、人物の評伝は、その生きた時代とともに理解せねば、その人の人生の背景が見えて来ない。漱石に先立つこと5年、鴎外が生れた頃は、まだ薩長が倒幕の方針を決定してはおらず、開国後の迷走の時代であった。長島要一の『森鴎外』は、喩えて言えば今は亡きジュゼッペ・シノーポリ指揮のマーラーの交響曲のように、細部を妙に分析しているのにちっとも全体像が見えて来ないもどかしさがあった。
 話を戻して、この『森鴎外』の著者生松敬三(1928〜1984)は、哲学者で、ドイツ語に堪能なので、鴎外の書いたドイツ語の文献を多数引用している。だから、日本近代文学が専門で、ドイツ語に抵抗のある人には読みづらい本だろう。けれども、鴎外はドイツ留学中に相当な量のドイツ語での執筆を残しているので、それに目を向けることは鴎外を知る上では欠かせない。ドイツからの帰国直後にドイツを舞台に描かれた「舞姫」を考える上では、鴎外がドイツで何を考え、どう感じていたかを知ることはとりわけ重要だ。
 歴史好きの私にとって興味深かったのは、明治17年にドイツに留学して到着した直後に、鴎外が当時の駐ベルリン公使青木周蔵に会っているなどの記事である。外交官として知られる青木は鴎外が生れた津和野藩の隣藩長州藩の医師の家に生れていて、出自の似ている鴎外に親近感を抱いていたとしても不思議ではないが、生松は、そうした詮索には走らず、鴎外の残した文書に基づいて書くという姿勢に徹している。
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2009年08月28日

森鴎外を読むA

RIMG0230.JPG島内景二:『教科書の文学を読みなおす』
 もう1冊。宿題の参考にするのは難しい1冊ですが、論文調ではなく軽く読めて興味深いものとして、島内景二著『教科書の文学を読みなおす』(ちくまプリマー新書 092)を紹介しておきましょう。第3章「悲しみは時空を超える――『舞姫』」で鴎外の『舞姫』が扱われています。この本での『舞姫』の論じ方の特色は、『松浦宮物語』や『伊勢物語』84段など、鴎外も当然知っていたであろう古典と『舞姫』との親近性に焦点が当てられていることです。最初に「宿題の参考にするのは難しい」と書いたのは、受け売りではなく、この本を参考に自分の論を立てようと思ったら、古典を読みこなす必要があるからです。
 『伊勢物語』と『舞姫』という組み合わせはちょっと突飛な発想に思われますが、鴎外は、江戸時代に出版された版本で、たくさんの古典を読んでいます。かつて、私が大学院生だった頃には、本郷の東大の総合図書館に収められている森鴎外旧蔵本を借り出して、母校の後輩たちの授業で紹介したことがありました。これらの本は、現在は「貴重書」に指定されて、東大の学生でも借り出せなくなっていると思いますが、当時、墨で「森林太郎」と立派な字で署名の入っている本を、皆で手にとりながら教室で見たのは、楽しい思い出です。
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森鴎外を読む@

RIMG0233.JPG 私が現代文を担当している高校3年生の皆さんに、夏休みの宿題に森鴎外『舞姫』を読んでのレポートを出した責任上、私も鴎外に関する本を何冊か読んでいます。夏休みもあとわずか。宿題のヒントに、そうした本を紹介しておきましょう。1冊目は、長島要一著『森鴎外』(岩波新書、新赤版976)です。
 率直に言って、最近読んだ本の中で、ずば抜けてつまらない1冊でした。著者の長島要一氏は、この本が刊行された2005年秋の時点でデンマーク、コペンハーゲン大学異文化研究・地域研究所副所長を務めていた方です。北欧系の言語には詳しくていらっしゃるのでしょうが、鴎外訳(ドイツ語からの重訳)のイプセンを、鴎外が元にしたドイツ語訳の間違いや、鴎外が意訳した部分への論評が多くて、本の帯に謳われているように「『翻訳』という視点から文豪の創作の秘密にせまる」ことは出来ていません。
 そもそも、鴎外の翻訳を論じるなら、鴎外が得意だったドイツ語からの翻訳を正面から扱わずに、アンデルセンやイプセンなど、北欧の作家の重訳ばかりを論じるのは筋違いでしょう。また、長島要一氏の論説には、鴎外の訳業の分析は細かくても、そこから自説への論理的な展開の説明が不十分なところが少なくありません。逐一指摘するのはやめておきますが、岩波新書のシリーズで「森鴎外――文化の翻訳者――」などというタイトルだと、岩波に対する信用から「とりあえず読んでみようか」という期待を裏切る1冊です。
 宿題の参考になるとしたら、16頁から39頁の、『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』の「ドイツ3部作」を直接論じた部分だけです。
※「鴎外」の「鴎」の字は、PC上では正字が出るのですが、ブログ上にアップすると脱落してしまうようですので、不本意ながら「鴎」の字を使うことにします。
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2009年08月05日

夏の「学会シーズン」

 文学研究の「学会」は、毎年春と秋の2回にわたって大会を開催するところが多いのですが、国語教育の学会や研究大会は、今が「シーズン」です。
 8月2日(日)は巣鴨の十文字中学・高等学校で第4回全国国語教育研究大会に出席。高等学校部会では、「翻訳と近代日本語の成立を学ぶ授業展開例〜新科目現代文Aを視野に入れて」をいう題で発表もして来ました。発表の出来は「まだまだ」でした。こうした大規模な研究会での「授業実践例」の発表は初めてでしたが、参会者も、どうしても「授業実践例」なりの「型」というものに囚われてしまう(=研究の発展という視野が欠けていて、既に終わった授業の批評に終始する)人が多いので、そういう場で議論が噛み合う発表のやり方が出来るかどうかが、自分にとって大きな課題だと思いました。
 既に終わってしまった授業実践の粉飾をしても仕方がありませんから、今回の反省は2学期以降の授業に活かして行きたいと考えています。今回発表した授業実践は、二葉亭四迷を核にしたものでした。「夏休み」に入って2週間。その最初の1週間で、加藤周一、丸山眞男、福沢諭吉と、これから先の課題がどっと見えて来た感じがします。
 一昨日・昨日(8月3日〜4日)は、日本国語教育学会の第72回国語教育全国大会。初日は、日比谷公会堂という会場が苦手で、午後から出かけて早々に退散しましたが、2日目は、筑波大学附属中学校で、実践発表やワークショップに参加して来ました。私が参加したのは
 第19分科会 古典(古文・漢文)
  高橋史樹先生(岐阜県・県立岐阜高等学校)
  「物語に隠されたもう一つの意味を探る――『伊勢物語』「芥川」を学習材として――」
  松澤直子先生(神奈川県・県立鎌倉高等学校)
 「『古典に親しむ素地』をつくる――口語訳の向こう側を目指して――」
ワークショップ型分科会 17.漢文の授業づくり
  塚田勝郎先生(筑波大学附属高等学校)
です。塚田先生とは初めてお目にかかりましたが、お考えがはっきり伝わる分科会でした。また、分厚い資料が、今後の「お役立ち」です。先生方の御発表を聞きながら、「さあ、次は自分が2学期の仕込をしなければ…」と思いました。私立学校で教員をしていると、指導案を書く機会が少ないのですが、そういう作業に少し慣れて来たので、これまでよりも授業を計画的にして、質を高めることが出来ればと思っています。
posted by 英楽館主 at 08:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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