2013年08月17日

歌舞伎鑑賞教室の「葛の葉」

 そもそも歌舞伎を観る機会が減っていて、1年ぶりの観劇だっただけでなく、『芦屋道満大内鑑』「葛の葉子別れ」を観たのはかなり久しぶりのような気がする。都心からかなり離れた勤務先に勤める身として、「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」の19時開演(芝居だけ見ようと思えば19時45分から)は貴重な機会である。
 眼目の中村時蔵の葛の葉は、赤姫の葛の葉姫と女房葛の葉との演じ分けがよく出来ていると感じる。特に女房葛の葉を世話で演じる際に、生世話ではなく、丸本物ならではの世話の演じ方がしっかりと出来ていると感じた。機屋で早替わりを見せた後、舞台が回って奥座敷になると、子役はいるけれど、ほぼ一人芝居になる。最近、小劇場で歌舞伎ではない演劇を観ることが少なくないので、改めて歌舞伎座や国立劇場など大歌舞伎の舞台で客席の隅々まで届く演技をするには、役者に要求されるものが大きいことを感じる。
 ところで、私の場合、3階席や幕見席から歌舞伎を観ることがほとんどなので、国立劇場で観劇する場合の収穫は花道が見えること。鑑賞教室は3階以外は均一料金なので、いつも1階で観ることにしている。葛の葉の場合、性根が狐だから、引っ込みは六方を踏む。女形の演じる役としては珍しい引っ込み方だ。これは、原作の人形浄瑠璃にはない歌舞伎ならではの楽しみだった。
 安倍保名は坂東秀調。歌舞伎座ではまず回って来ない2枚目役を手堅く演じている。あるいは「花がない」などと評する向きもあろうが、こうした普段は回って来ない役を客席に違和感をあまり与えずに演じている点で、秀調の実力を評価すべきだろう。層が厚い座組の時もあればそうでない時もある。芝居はこうした器用な役者に支えられて成り立っているということを痛感。他に市村家橘の信田昭二、市川右之助の庄司妻柵。
 もう一つ、この日収穫だと感じたのは、竹本幹太夫の進境。御簾内で「機屋」を、出語りで道行を語ったが、特に道行が充実。もともと美声の太夫だが、それがどこか鼻につくところがあった。それが、いつの間にか発声に違和感がなくなり、本格の義太夫節の声になって来た。先日は竹本喜太夫が亡くなるなど、世代交代の進む竹本連中の中で貴重な存在になって行くに違いない。三味線は鶴澤寿治郎ほか。
 幕開きの解説は時蔵の次男の中村萬太郎。昨年7月の澤村宗之助と比べても、まだまだ硬い感じで、解説とは言え、言葉が一本調子になりがち。早くたくさんの舞台経験を積んで伸びてほしいと願う。
(7月12日所見、7月16日記)
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2012年08月03日

久しぶりの歌舞伎見物〜国立劇場7月鑑賞教室の「毛抜」

国立劇場7月歌舞伎鑑賞教室
歌舞伎の見方:澤村宗之助・片岡りき彌
歌舞伎十八番の内「毛抜」
粂寺弾正:片岡愛之助
小野春道:大谷友右衛門
秦秀太郎:市川高麗蔵
八剣玄蕃:松本錦吾
小野春風:澤村宗之助
八剣数馬:大谷廣太郎
錦の前:大谷廣松
忍びの者:片岡千志郎
腰本若菜:片岡りき彌
小原万兵衛:片岡市蔵
秦民部:坂東秀調
腰本巻絹:片岡秀太郎

 このブログに歌舞伎のことを書くのは久しぶりだ。歌舞伎座が建替中で閉鎖されていることに加え、観劇の時間的余裕がないために、歌舞伎を観る機会は減りがちだが、先月の鑑賞教室は、久しぶりにじっくりと観た。歌舞伎十八番の「毛抜」は、丸本物ではない歌舞伎狂言ならではの大らかな味わいが楽しめる一幕である。
 愛之助に期待をして芝居見物に出かけたが、その愛之助の粂寺弾正に愛嬌があって楽しいだけでなく、脇役も国立の鑑賞教室としてはよく揃っていて、落ち着いて楽しめる舞台に仕上がっていた。
愛之助は、台詞の音感のいい役者だと思うが、成田屋(市川團十郎)指導の今回の「毛抜」では、いつものように仁左衛門そっくりではなく、どこか台詞回しが成田屋そっくりという、ある意味で愛之助らしくない所にその持ち味が出ていた。差し金で毛抜が踊る場面での見栄の連続の形の良さや、秦秀太郎(市川高麗蔵)や腰本巻絹(片岡秀太郎)に振られた後の腰を付いた時の形の良さ(指をしっかりと伸ばして、荒事の気持ちが抜けていない点)など、感心する箇所も多い。
 今回の「毛抜」の良さは、もう1点、脇役の健闘にあった。中でも春風の家老秦民部の坂東秀調と片岡市蔵の悪役小原万兵衛は、それぞれの役柄に合った好演。秀調は台詞の口跡良く、篤実な家老役をよく演じている。昭和62年に先代坂東三津五郎と同時に秀調を襲名した当時は線が細かったけれど、今や頼れる脇役になった。片岡市蔵も、し所を踏まえた的確な悪役になっている。演じるべきことをきっちりとやっていて、自分を売りだそうと言った妙な嫌味がないのがいい。もう一人、この人のことを自分のブログに書くことになろうとは思っていなかったのが小野春風を演じた大谷友右衛門だ。この人は、とにかく台詞が下手で、幾度見ても上手いと思ったことがない。先々代友右衛門の台詞の調子の良さは、CDに復刻された『仮名手本忠臣蔵』の師直などで今も聴くことが出来るが、その片鱗も感じられない。しかし、大根でも存在感はある。年輪とは不思議なもので、その存在感が、殿様役のような脇役では味を出すようになって来た。
 松本錦吾の八剣玄蕃は、当初は台詞に危なっかしいところもあったが、月の後半はしっかりと演じていた。秀太郎の腰本巻絹は御馳走。愛之助としばしばコンビを組んでいた亀次郎は猿之助襲名で忙しいようだけれど、中車などは、国立の鑑賞教室(特に世話物の脇役)で場数を踏んでもらうのもいいのではないかなどと思った。
(7月5日14時30分開演の部、18日(弾正の出の直後から)、20日所見)
posted by 英楽館主 at 22:44| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月25日

久しぶりの歌舞伎見物〜国立劇場11月公演

11月25日(木)
 今日は、今年最後の「研修日」。来週は期末試験、その翌週も成績処理等で木曜日は休みでなくなってしまう。かと言って、日曜日も学校説明会で出勤が続くのだから、体を休め、心を楽しませることが大切。午前中は片付かない仕事を片付けに学校に出かけたが、午後から国立劇場に行って、久しぶりに歌舞伎を見た。演目は『国性爺合戦』。虎退治はパスして、13時50分から「楼門」と「甘輝館」「紅流し」「獅子が城」を見る。
 4月で歌舞伎座が閉まって半年、例年なら顔見世の11月になって、歌舞伎座のない寂しさを痛感する。新橋演舞場で「顔見世」は行われているが、幕見がないので、仕事帰りに「ちょっと一幕」という訳に行かないのが寂しさの最大の原因。

 さて、近松門左衛門の傑作『国性爺合戦』も、歌舞伎だと随分と台本が作り替えられてしまう。文楽では屈指の名曲の「楼門」。今回の竹本は、谷太夫と鶴澤泰二郎だが、「仁ある君も用なき臣は養ふこと能はず。」の後、「迷はで進むまことの道」まで飛んでしまうのだから、「楼門」の音楽的気分が今一つ盛り上がらない。
 市川團十郎の和藤内、市川左團治の老一官、中村東蔵の母に坂田藤十郎の錦祥女という顔ぶれ。左團治の老一官は、歌舞伎座が閉まっている今ならではの御馳走なのだろう。錦祥女は、泣く場面が多いが、藤十郎は、芝居の長さをしっかりと織り込んで、単調にならないように適切に演じていた。

 「甘輝館」も、荘重な三重で「遥かなり」とスケールを感じさせてくれる文楽の舞台をゆかしく思うが、花道での大勢の供を連れた甘輝の出など、歌舞伎には歌舞伎の味。甘輝が錦祥女を刺し殺そうとするのを老母が制する場面は、縛られて手が使えないという制約がかえって演技の説得力を高めている面白さがある。ここでは、東蔵が役の性根も技術も見せて好演。「楼門」で押えていたのが活きた。
 でも、それ以上に芝居を観に来て良かったと感じたのは、和藤内役の團十郎が元気だったこと。特に「紅流し」の後、「元の獅子が城」で錦祥女の自害が判って、甘輝が和藤内の味方になると宣言し、上座・下座が入れ替わってから装束を改めるまで、下手で中村梅玉が芝居をしている間、上手に決まったまま静止している時の力感がいい。筋隈も見事に映えて、立派な和藤内だった。
posted by 英楽館主 at 18:28| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月31日

2010 新春浅草歌舞伎

 今月は、松竹座のほか、浅草公会堂で2度にわたって歌舞伎を観た。10日の昼と11日夕方の会。1日で通しで観たかったのだが、10日夕方は「着物の日」で、11日昼は休演だったので、やむを得ず2日に分けて観た。演目と主な配役は以下の通り。

第1部(11時開演) 1月10日
お年玉御挨拶:中村七之助
1.『正札附根元曾我』
 曾我五郎時致:市川亀治郎 小林朝比奈:中村勘太郎
 長唄囃子連中(東音渡辺雅宏、稀音屋祐介ほか)
2.真山青果作『元禄忠臣蔵』「御浜御殿綱豊卿」
 徳川綱豊:片岡愛之助 中臈お喜世:中村七之助 祐筆江島:中村亀鶴
 新井勘解由:市川男女蔵 富森助右衛門:市川亀治郎
3.「忍夜恋曲者」
 滝夜叉姫:中村七之助 大宅太郎光圀:中村勘太郎
 常盤津連中(常盤津兼太夫、常盤津文字兵衛ほか)

第2部(15時30分開演) 1月11日
お年玉御挨拶:中村亀鶴
1.『奥州安達原』「袖萩祭文」
 貞任妻袖萩・桂中納言教氏実ハ安倍貞任:中村勘太郎 八幡太郎義家:中村七之助
 平{仗直方:市川男女蔵 直方妻浜夕:中村歌女之丞 
 外が浜南兵衛実ハ安倍宗任:片岡愛之助
 竹本連中(竹本愛太夫&豊澤淳一郎、竹本幹太夫&豊澤淳一郎)
2.『悪太郎』
 悪太郎:市川亀治郎 智蓮坊:中村亀鶴 太郎冠者:市川男女蔵
 伯父安木松之丞:片岡愛之助
 長唄囃子連中(岡安晃三朗、稀音屋祐介ほか)

 特に見応えがあったのは第1部。
 まず『正札附根元曽我』から。歌舞伎座と違ってセリがないので長唄囃子連中の雛壇を2つに割って、その間から五郎と朝比奈が登場。亀治郎の時致、勘太郎の朝比奈、ともにリズム感良く、小気味の良い踊りっぷり。昨年6月に歌舞伎座でも見ているが、その時以上に心地よく観た。本末顛倒とは知りつつも、長唄のこの曲は好きだ。それは、亡き三遊亭圓生が出囃子で使われていた「正札附」が、この曲の五郎と朝比奈の出の場面から取られているからだ。聴き覚えのあるメロディーも、寄席の出囃子のとぼけた味とは一味違うキリっとした三味線で、また別な味わいがある。
 2幕目、「御浜御殿綱豊卿」は、片岡仁左衛門監修での上演。その仁左衛門そっくりの愛之助の綱豊と、台詞の呼吸の良い亀治郎の富森助右衛門が対決する第3場は、緊張感が保たれていて長さを感じさせない好演だった。仁左衛門、吉右衛門、梅玉、綱豊や助右衛門を得意にするヴェテランは数多いが、この2人で歌舞伎座で演じても遜色ないと思わせるくらいだ。それは、この場での緊張感が「力み」ではなく、この作中での人間関係にふさわしい緊張感が出ていたからではないか。
 本来なら綱豊卿にお目見えなど叶うはずもない富森助右衛門役には、綱豊に対面した瞬間から綱豊とは比較にならない緊張感がある。そこに、綱豊から内蔵助に敵討の意志があるか否かを探られて、身分の上下とは別の秘密を口外で来ないという緊張も加わる。亀治郎の助右衛門を観ていると、そうした助右衛門役の背負う様々な緊張や屈折を、局面に応じてしっかりと理解して演じているように感じられた。一方の愛之助の綱豊も、身分にふさわしい鷹揚な雰囲気と遊興に心底から耽っているのはない明晰さを両立出来ていた。
 亀治郎、愛之助に比べると、男女蔵の新井勘解由は損な役どころだ。これは綱豊よりも年配の役者が自然と存在感を出す形でないとやりづらい。男女蔵には、いずれ歌舞伎座で演じる時に、若い頃には十分に演じられなかった、もしくは若い役者には演じようがなかったということを忘れずにいてもらいたい。なお、幕開きにお喜世を責める上臈浦尾と局野村役は、中村歌女之丞と市川段之。2人とも意地くね悪い役を適度に演じていた。それほど大きな見せ場ではないが、歌舞伎座だと歌江あたりに回る役どころを別な配役で見られるのも、浅草歌舞伎の楽しみの一つだ。
 最後は常盤津舞踊の大曲「将門」。舞踊には疎い私だが、歌舞伎座の3階席に比べて部隊との距離が近いことも相まって、七之助・勘太郎の2人を飽きることなく楽しんだ。ただし、常盤津の水準には首を傾げざるを得ない。

 第2部前半は丸本物の大作「袖萩祭文」。文楽でも通しで上演されたのは平成2年が最後だから、この作品の全貌を知る観客は浅草にはほとんどいないはずだ。その中で、勘太郎をはじめ、若手の役者の魅力で客席を惹きつける芝居に仕上がっていることには感心した。 丸本物は「三婆」に限らず婆の役が難しいが、そこに若手ではなく歌女之丞が浜夕に加わることで男女蔵との老夫婦役も成り立っていた。
 後半は「猿翁十種」の内に数えられている松羽目物の「悪太郎」。亀治郎が、狂言とは違う舞踊ならではの軽さをうまく演じていると思いつつ楽しんだ。
posted by 英楽館主 at 23:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月27日

松竹座初春大歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』

 昨日が千秋楽。たまたま大阪に来ていて、23時過ぎに松竹座の前を通りかかったら、楽屋の荷物や花などをトラックに積み込んで運び出す作業の真っ最中だった。私は1月2日夜の部と1月4日昼の部を観た。八段目までは充実。十段目は、再見は叶わなかったが、昨日(1月26日)、関西在住の友人で初日も見ていて幕見で十段目・十一段目を再見した友人から、月半ばにはしっかりした芝居になっていたと聞いた。
 坂田藤十郎が高師直、早野勘平、大星由良之助、戸無瀬の4役で全段に奮闘したが、中でも師直と勘平が良かった。師直は、もともとニンに合っている上に、息子たち2人、翫雀の桃井若狭之介と扇雀の塩谷判官に対してしっかりと踏み込んでいて好演。また、勘平は、六段目で東京の型にはない腹の切り方をするのが見どころだ。また、与市兵衛女房おかやを坂東竹三郎が絶品。こうした傾向は、鴈治郎時代の平成14年秋に国立劇場で演じた際と基本的に変わらない。
 上方式の演出には、見どころが多い。まず大序の幕開き。大手連、笹瀬連の紋の入った引き幕を中央から割って開くというやり方は、東京・国立劇場では見られなかったものだ。三段目、鷺坂伴内が加古川本蔵を斬るタイミングを中間たちに教える場面は、東京式の「エヘン、バッサリ」ではなく、右足を出したところで「バッサリ」という打ち合わせ方。その結果、伴内は、目録を受け取るために本蔵に近寄る時には、後ろ向きになって左足を出しながら動くことになる。城明け渡しは、評議がなく、現行の文楽に近いやり方だ。五段目も、中村仲蔵型ではない、より古いスタイルの定九郎が見られた。
 夜の部の七段目でも細かな違いがたくさん見受けられた。たとえば大星由良之助は最初から紫の着付けで、途中で着替えない。お軽の衣装は胴抜きでクドキも長いなど、東京式よりも文楽に近い。後半、寺岡平右衛門がお軽を探して出てくるところなどは、お軽自身の口から「軽といふのは私でござんす」と名乗るなど、台本に違いがある。

 六段目には、そうした「違い」を楽しむ以上の、演劇として本当に深い味わいがあった。その立役者は、与市兵衛女房おかやを演じた坂東竹三郎である。「身売り」で自らが育てた娘を売らねばならない悲哀を存分に表に出して見せる。最近の東京の『忠臣蔵』で叩き上げの役者がおかやを演じる場合には、幹部連中のお軽・勘平に対してもっと遠慮があるように感じるが、竹三郎にはそれが見えないのがいい。前半で悲しみが十分に表出されていればこそ、「勘平腹切」で夫与市兵衛の死骸が運び込まれてからの怒りや婿勘平への猜疑心も強く表現できる。おかやの刻々と変化する感情が観客の胸にもしっかりと刻み込まれるから、勘平を演じる藤十郎は、ウケに回れば自然と芝居が成り立つ。他に、竹本谷太夫と鶴澤泰二郎の竹本連中も好演。歯車が噛み合って、改めて歌舞伎の表現力を実感できた一幕だった。
ところで、坂東薪車が昼夜を通して千崎弥五郎を演じていたが、今回の上方式(成駒屋)の台本だと日頃見慣れた東京式よりも演じ甲斐がある。特に勘平に腹を切らせる場面で、東京式だと

勘平:打ちとめたるは
弥五郎&郷右衛門:打ちとめたるは
勘平:舅殿(ト勘平、刀を抜いて腹に突き立てる)

となるところだが、今回の台本だと

勘平:打ちとめたるは
弥五郎:舅であらうがの

と、弥五郎が畳みかけて行くのが面白い。薪車の千崎弥五郎は、「上手い!」と唸るほどではなかったけれど、どの場面でも誠実に体当たりをしている姿には好感を持った。

 なお、十段目の台詞が入っていなかったこと以外に気になったのは、四段目の判官切腹の場で、腹を切った後の判官(中村扇雀)の姿勢があまり良くなかったことだ。私にとって判官の「基準」となっているのは7世尾上梅幸だが、どうも最近の判官は、腹に九寸五分を突っ込んでからの姿勢がよくないように思う。今回、私は昼の部を3階2列のほぼ中央から見たが、由良之助が出て来てから、体がずいぶん左に傾いでいた。もちろん「この九寸五分は汝へ形見。」という判官の気持ちは由良之助に向かっていて当然なのだけれど、品の良さとどれだけ両立できるかがこの役の勝負どころのはずだ。先日テレビで見た当代の中村勘三郎の判官(昨年11月歌舞伎座)も、腹を切ってからの型が美しくなかった。
 八段目「道行旅路の嫁入」の地は義太夫ではなく常盤津だった。一巴太夫が出演していたが、最近めっきり声量が衰えたのが気になった。
 松竹座では、歌舞伎座なら役が回って来ない役者が抜擢されているのを見るのも楽しみの一つ。今回は、中村寿治郎の鷺坂伴内、実川延郎の斧九太夫、片岡松之助の加古川本蔵と大田了竹の2役など。
 最後になるが、私は、今後、藤十郎にもう一度東京で、それも国立劇場で上方式の『仮名手本忠臣蔵』をやってほしい、それを映像に残してほしいと思う。何よりも藤十郎自身が少しでも長く舞台に立てるように体を大切にしてほしい。国立劇場なら、昼夜奮闘する必要はなく、十月、十一月の2か月でやれば、無理なく、かついい仕事ができるはずだ。
posted by 英楽館主 at 18:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

箆棒(べらぼう)な忠臣蔵(初日夜の部)

1月2日 大阪松竹座 16時35分(実態)開演
『仮名手本忠臣蔵』

 今年の初芝居は、大阪松竹座の『仮名手本忠臣蔵』夜の部の初日。昼の部が押して、入れ替えに手間取り、5分遅れの16時35分に開演。
 開演の時刻は正確にしてもらいたい。遅れるなら、昨年12月の歌舞伎座のように稽古の段階でホームページに詫びを入れるべきだ。だが、それ以上に失態続きだったのは、肝心の舞台であった。

 本当は1月4日(3日目)に昼夜通しで見物したかったのだが、なんと1月4日の夜の部が「貸切」でチケットが取れなかったため、渋々初日を見物。初日で大丈夫かと思いながらチケットを取ったが、案の定不安が的中。坂田藤十郎が全段に出演するというのが眼目で、夜の部は七段目から。八段目までは良かったが、十段目以降は、東京弁で言えば、箆棒な忠臣蔵、まるで「俄」のようなボロボロの『忠臣蔵』だった。
 関西では84年ぶりの十段目「天川屋義平内の場」上演と言うことで、まあ見ておかなければと思って出かけたのだ、何しろ大星由良之助を演じた坂田藤十郎(78歳)と、天川屋義平を演じた片岡我当(75歳)の2人で合わせて153歳である。滅多に上演されない(2人とも10段目は初役)「天川屋義平内の場」は台詞が全然と言ってよいほど入っておらず、滅茶苦茶な出来。歌舞伎は最初の3日間くらいはプロンプターがついても仕方がないものと言うが、それにしても酷い。無料の舞台稽古の見学会でもこんなに酷かったら話にならない。特に幕切れの出立の場面は、2人とも台詞が入っておらず、プロンプターの声が3階客席まで筒抜けなのに、ワンテンポ置いて聞こえて来る御両人の台詞はプロンプターの「ささやき」の半分程度が抜けてしまっていて、2人のうちどちらの台詞が抜けたのかよくわからないくらいだった。
 3階客席や帰りの御堂筋線の車内では、私が何も言わなくても「いくらなんでも酷い」という声が相次いでいた。藤十郎も、地下鉄車内の声に耳を傾けるべきだろう。
 東京式の演出との違いについては、項を改めて報告しよう。私の言い分としては、どれほどの贔屓か知らないが、正月の4日に貸切をさせる松竹の見識の無さに問題がある。正月興行の貸切は、いくらなんでも松の内が明けてからにするものだ。

追記
 1月4日の昼の部終演後に、松竹座関係者と話をした。松竹座のスタッフも真摯に対応してくれた。私が言いたいことは次のようなことだ。
@ 坂田藤十郎や片岡我当のようなヴェテランの役者を活かすような制作をしてもらいたい。歌舞伎役者も棟梁ともなれば、特に元日は自分の台詞を覚える暇もなく、お弟子さんの年賀の挨拶などに明け暮れるのだから、正月に年配の役者が初役を演じるのはリスクが大きい。結果として役者の評判を損ねることになる。
A 団体を入れるのと貸切を入れるのとは訳が違う。もし4日夜に団体客が入っても幕見があれば、10段目を見直すことが出来たが、貸切でそれが出来ない以上、私は初日に自分の目で見たままを書かざるを得ない。それは、藤十郎や我当の名誉を損なうことにしかつながらない。
(1月3日記、同4日追記)
posted by 英楽館主 at 00:14| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

『外郎売』を楽しむ

11月23日(祝) 12時 国立劇場

歌舞伎十八番の内 外郎売

外郎売 実ハ曾我五郎時致 市川團十郎
大磯の虎         中村芝雀
小林朝比奈        中村翫雀
小林妹舞鶴        中村扇雀
梶原平三景時       坂東桂三
梶原平次景高       坂東亀三郎
茶道珍斎         片岡市蔵
化粧坂の少将       市川右之助
工藤左衛門祐経      坂東弥十郎 ほか

大薩摩連中   杵屋巳紗鳳/柏伊三郎 ほか
 
 久しぶりに国立劇場で歌舞伎を観る。歌舞伎十八番『外郎売』。市川團十郎を観たかった。『外郎売』は、「対面」風の舞台に始まり、曾我五郎時致が外郎売に身をやつしてやって来て、早口の売り声を聞かせて見せる。五郎はついに堪忍しきれなくなって本性を表すが、敵工藤祐経に狩場の切手を渡されて、その場は納まるという筋立て。曾我物の世界で脚色されているが、見せ所、聴かせ所は早口の売り声であって、ドラマ性は主眼ではない。
 今さら言うまでもないが、團十郎の良さの1つは、『外郎売』のようにドラマ性とは別の世界の大らかさにある。個人的には、10月に安田蛙文作『曾我錦几帳』という浄瑠璃の翻刻作業をやって、曾我物には相当の時間をかけて付き合っているのだが、浄瑠璃のように緊密なドラマ性を求められる世界と曽我の世界とは噛み合わないと感じていたので、歌舞伎の舞台を見てホッとした。また、オペラの方で、『ヴォツェック』や『カプリッチョ』の演出を重視し、読み解かねばならない舞台が続いていた中で、大らかな江戸歌舞伎は、格好の息抜きになった。
 團十郎は、早口がうまい訳ではないが、「これでいいのだ」と思う。そして、脇に豪華な顔ぶれが並んで、『仮名手本忠臣蔵』のかかった歌舞伎座よりも顔見世らしい気分があった。開演前に筋書を買わずに席について、誰が何を演じているか先入観抜きに見ていたが、朝比奈を演じた翫雀が的確だった。力みが感じられなかったからだ。坂東弥十郎の工藤には何か物足りなさを感じた。工藤という役は、居るだけで工藤の貫禄があるとお客に感じさせなきゃいけない役で、別にどこをどうするという工夫のしどころがない役だけに難しいと思う。弥十郎が、無理に貫禄を出そうとしていなかったのは正しい演じ方だと思う。そういう意味では、国立の歌舞伎で工藤の役が回って来ること自体が「損な役」なのだと思う。
 本当は2幕目以降も楽しみだったのだが、日生劇場での『カプリッチョ』の批評を担当することになって、前日に引き続き『カプリッチョ』を見ることにしたため、1幕だけで国立劇場を後にした。
posted by 英楽館主 at 09:21| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

顔見世の『仮名手本忠臣蔵』

11月3日(祝) 16時半 歌舞伎座
 今年の顔見世は『仮名手本忠臣蔵』だった。このところ、歌舞伎座で『忠臣蔵』の通しが出るのは決まって2月だったので、私は、「歌舞伎座さよなら公演」の『忠臣蔵』も来年2月だと決めてかかっていたから、演目が発表された時に予想外だと思った。結局、3日に夜の部を見に行っただけで、昼の部を見損ねてしまったが、その夜の部、五段目から七段目の短評を掲載しておこう。なお、十一段目は、多用につきパスして「早退」した。

五段目・六段目
 尾上菊五郎の勘平を、いったい何度見てきたことだろうか。でも、今回の勘平は、これまで見た中でも一番の出来だった。その理由は、1つは脇が揃っていたこと、もう1つには、7世尾上梅幸が病床にあった時以来、菊五郎はいつも判官と勘平の2役をこなして来たが、今回は勘平に専念できらことにあったと思う。
中村東蔵の与市兵衛女房(おかや)、市川段四郎の不破数右衛門は出色。芸域の広い東蔵に老け役はもったいないという声もあろうが、特に『忠臣蔵』六段目のこの通称「おかや」の役は、役者が良くないと勘平の死が無駄になってしまうように思われる。東蔵のおかやは、出過ぎず、引っ込み過ぎずという加減がちょうどよい。段四郎も、「渇しても盗泉の水を飲まず…」以下の台詞が重過ぎず、軽過ぎずという塩梅だった。
 今回は、六段目の竹本をヴェテランの竹本喜太夫が丸々務めたのも、この段が良くまとまった一因。三味線は豊澤菊二郎。
 
七段目
 私は、片岡仁左衛門の大星由良之助は何度も見て来たが、松本幸四郎の寺岡平右衛門は初めて見た。その平右衛門が良くない。腹がなく、作り声で、妹に対しては情味を見せるが、敵討ちへの秘めた決意が感じられない。お軽は中村福助。いつもの通り、一人で車輪になってしまう。そんなお軽を見る位なら、六段目のお軽の時蔵で通して見たかった。人気役者は揃ったのに、どうもちぐはぐな感じで、今一つの茶屋場だった。
 脇では、三人侍の若手(中村松江・市川男女蔵・澤村宗之助)が、台詞がはっきりして健闘していた。竹本は前半が巽太夫・鶴澤祐二、後半が綾太夫・鶴澤宏太郎。
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2009年08月28日

8月歌舞伎座

8月20日(金)
 授業を終えた後、歌舞伎座へ。第3部を見る。到着したのが18時25分頃で、1幕目の『お国と五平』は、通路で立ち見。既に坂東三津五郎の池田友之丞が虚無僧の編み笠を脱いで3人の会話になってからの後半だけを見たが、面白いというよりは奇妙な感触の作品で、特に友之丞(三津五郎)が五平(勘太郎)に迫って行く場面の狂気を帯びたような気配に演劇としてのリアリティを感じた。もう一度見るよりは、谷崎潤一郎の原作を読んでみたい作品。
 2幕目以降は自分の席(3階最後列)で『怪談乳房榎』を楽しんだ。三遊亭圓朝の原作を脚本化したもので、以前にも中村屋(当時は中村勘九郎)で見た時に同じことを感じたが、スピーディーな展開に仕立てるあまりに、芝居気が薄い。勘三郎の菱川重信ほか4役、中村橋之助の磯貝浪江、中村福助の重信妻お関ほか。茶屋の婆役で出演していた中村小山三は、この日が「90歳の誕生日」だそうで、アドリブが入っていたのが記憶にとどまりそうな1コマ。『かぶき手帖』によれば大正9(1920)年生まれだから、「数えで90歳」ということのようだが、とてもそんな年には見えない。名脇役小山三には、まだまだ舞台で頑張ってほしい。
 今回は、芝居そのものの面白さよりも、幕間に飲み物を買いに出かけた時に、晴海通りの向かい側から歌舞伎座を見上げて、「ああ、来年の夏には、もうこの歌舞伎座は取り壊されているんだなあ」という感慨が一番大きかった。今月は、三津五郎の『六歌仙容彩』が一番見たかったのだが、時間の都合がつかなかったのが心残り。
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2009年02月23日

忘れ難い役者 中村又五郎

 先週、歌舞伎役者の中村又五郎さんが亡くなった。ここ数年は舞台に立っていなかったが、忘れがたい味のある役者だった。94歳で老衰による大往生は、理想とすべき人生の「卒業」のし方かもしれないが、もう、あの謙虚な人柄がにじみ出ていた舞台に接することが出来ないと思うと、往年の舞台がとても懐かしく感じられる。特に目に残っているのは、『籠釣瓶花街酔醒』の治六や『ひらかな盛衰記』の権四郎,『源平布引滝』の九郎助だ。後の2つは、いずれも時代物の三段目で、役の持つ世話の味と場面全体の三段目切の格とを両立させる配慮に行き届いた演技を見せていた。小柄で姿は目立つわけではなかったが、脇役としてのたしかな存在感がいつも光っていた。
 「芸」では、知っていること、覚えていることが財産となる。私の好きな芝居噺「淀五郎」を6代目三遊亭圓生で聴くと、どの録音・録画でも必ず、「お前、師匠の(判官)は見ていないのかい?…。見てない。そうか。役者という者は、こんな役は自分には来ないと思っても、みておかなくちゃいけないものだよ。…」と言って澤村淀五郎を諭す場面がある。私は、それを聴く度に、いつも中村又五郎を思い浮かべながら、「その通りだ」と相槌を打っていた。
 初代吉右衛門の芸風を現吉右衛門に伝承する上で欠かせない存在だった。大向こうは、「播磨屋」ではなく、「又播磨」というこの人専用の呼び方で褒めることが多かったが、その声には、大向こうの人々の、彼に対する敬愛の念が込められていたように思う。また、後進の育成という点でも、又五郎ほど功績のある人はいない。教えを受けた役者さんの中から、1人でも多くの名脇役が出て、歌舞伎の味わいを伝えて行ってほしい。そして、私達も、脇役の方々にも目を配りながら、芝居を見続けたいものだ。
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2009年02月01日

大阪松竹座観劇記 補足

 昨晩の記事に、3点ほど補足しておきたい。いずれも、私にとっては観劇の大事なポイントだから。

大三重
 松竹座の記事で触れた「大三重」について、少し補足しておこう。もともとは、時代物の大序(だいじょ)で使われた三味線の手で、「三重」と言っても重音を使わずにゆったりと弾く。後に、神聖なものを表現する場面で使われるようになった。後者の代表は、『菅原伝授手習鑑』二段目(丞相名残)の「涙の玉の木げん樹(もくげんじゅ、「げん」は木扁に患。)」の箇所で、文楽の三味線弾きの方々も大切に弾いている。
 なお、今回の「二月堂」では、竹本愛太夫と豊澤菊二郎が竹本を務めていた(隣の騒音抜きで、もっとしっかり聴きたかった)。また、「鳥居前」は竹本幹太夫と豊澤勝二郎の担当だった。

脇役のこと
 昨晩は、筋書を見ないで記憶に頼って文章を書いていたので、脇役まで思い出せなかった。少し補足しておくと、「鳥居前」の逸見藤太は片岡松之助。歌舞伎座では回って来ない役だろうと思って、注目して見た。忠信に踏み潰されて死ぬ演技で、「目が飛び出る」様を、小道具を使って滑稽に表現していたが、あれは東京でもやっていたのかどうか、今度確認してみようと思う。「吉田屋」の亭主喜左衛門と女房おきさは、市川段四郎と坂東竹三郎。2人とも昼の部は一役だけだったので、ちょっと物足りないと感じた。

3階廊下の写真のこと
 松竹座の3階廊下にも、歌舞伎座3階と同様に、往年の名優の写真が飾られている。ただし、顔ぶれは歌舞伎座とはかなり違っている。7世嵐徳三郎(昭和8〜平成12)の写真を懐かしく思いながら見た。そもそも、上方では歴史のある嵐姓と実川姓の役者がほとんどいなくなってしまったのは、淋しいことだ。嵐姓で写真が飾られていたのは、10世嵐三右衛門(明治40〜昭和55)、5世嵐璃かく(「かく」は王扁に玉、明治33年〜昭和55年)、7世嵐吉三郎(明治27〜昭和48)、10世嵐雛助(大正3〜昭和61)。いずれも、昭和61年の秋から歌舞伎を見始めた私が舞台を知らない役者さんたちだ。もっと早く歌舞伎を好きになって、もっとたくさんの役者さんを見たかったなあと思いつつ、その分、今の役者さんを、名題になっていない人も含めて、しっかり見ておきたいと改めて思う。
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2009年01月31日

松竹座 正月大歌舞伎(昼の部)千秋楽

RIMG0243.JPG1月27日(火)
 前日夜から大阪に滞在。今日は1日休暇を取った。朝、起きてから『オン・ステージ新聞』の原稿を書く。ネット・ブックは持って来たが、Eモバイルの端末を忘れてしまったから原稿が送信できず、パソコンの画面を見ながら携帯メールで打ち直して送るという面倒くさいことになってしまった。私の場合、携帯の操作は得意ではないこともあって、1080字の批評文を打つのに1時間かかってしまった。
 11時から松竹座の歌舞伎を見に行く。千秋楽だが、当日券でも3階席があるのは、私には手ごろで有り難かった。演目は
  『義経千本桜』「鳥居前」
  『良弁杉由来』「二月堂」
  『廓文章』「吉田屋」
  舞踊「お祭り」
の4本立て。
 まず、『義経千本桜』の「鳥居前」だが、このブログにも月初めに書いたように、初詣で伏見稲荷に行ったので、記憶の中の伏見稲荷と舞台風景を重ねて、これまで以上に楽しみながら見た。
配役は片岡孝太郎の静御前、片岡愛之助の義経、坂東薪車の武蔵坊弁慶、中村翫雀の狐忠信ほか。まず、薪車の武蔵坊が健闘している。丁寧に演じていて好感を持ったが、竹本連中が語っている地から自分の台詞へと繋ぐところに今一つ課題が残る。ぜひ、若いうちに義太夫をしっかり腹に入れてほしい。そうしたら、役の大きさが自然と表現できる、とてもいい役者になる素質があると思う。
 さて、静御前が危機一髪というところで翫雀の忠信が登場。相変わらず力み過ぎていて、動きのキレが感じられない。かつて、猿之助が元気だった頃には頻繁に見ることの出来た「鳥居前」だが、久しぶりに見ると、やっぱり道行や河連館まで見通した力配分がしっかりと出来ていてテンポが良かったなあと懐かしく思い出される。翫雀には、「『鳥居前』からそんなに張り切り過ぎてどうするんだよ」と言いたい。確かに、「鳥居前」の忠信は「荒事」である。でも、「この忠信で道行を見たくないな」と思わせるようでは駄目だ。
 2番目が「二月堂」。実は、この1幕が楽しみで松竹座に来たと言ってもいい。「二月堂」が好きなのは、義太夫の面白さが文楽から歌舞伎に移されても感じられる1幕で、特に、良弁が二月堂のセットの階段を下りて来る場面の三味線に「大三重(おおさんじゅう)」と呼ばれる手がついているのが、何とも言えず味があるからだ。もう一つ、東京では役に恵まれない片岡我當と片岡秀太郎の良弁と渚の方という配役に心を惹かれたからである。
 ところが、ここで大敵出現!2幕目から現れたオバサンがいて、このオバサンが松嶋屋のファンであるらしく、とにかく我当と秀太郎と仁左衛門が舞台に出て来ると、やたらと拍手をするのである。全くつける薬のないオバサンで、おそらく、竹本連中の三味線を聴こうなどとは微塵も思っていない。というわけで、せっかくの大三重は、心を落ち着けて聴くことが出来なかった。「二月堂」の場合だと、堂内に良弁の姿が見えた時ではなく、下手側の縁先に出た瞬間や、上手側の階段を下りて、舞台中央に落ち着いたところで「松嶋屋!」と声を掛けるのが適切な方法だろう。拍手、それも長々と叩かれると迷惑以外の何物でもない。
 さて、我當の良弁は、昭和46年の襲名以来だそうだが、この役を大切に演じているという心根が、どことなくよく伝わって来る舞台だった。秀太郎の渚の方が、意外なほどにふっくらと見えたのには少し驚いた。2人とも、義太夫に乗る芝居は得意な役者だし、我當は、時折(たとえば一昨年の国立劇場での合邦など)、役作りが軽薄な時があるが、今回は気力も十分だった。
 「二月堂」の一幕の味わいという点で言えば、私は文楽の方が好きだ。けれども、歌舞伎の「二月堂」でなければ体験できない楽しみは、二月堂のセットである。東大寺にも月初めに出かけて、久々に実物の二月堂に参観したので、頭の中では「実物はもっと〜だった」と思う点があっても、なんだか有りがたいお寺に来たような気分になってしまう。
 なお、我當は「二月堂」を演じる際に、舞台に香を焚いていたが、少し焚き過ぎで、香が強過ぎると感じた。焚いてもよいと思うが、その日の天候や客の入りによって、香り方が違うので、細心の注意を払ってほしい。平日で入りが薄い日は、満席の日と同じように焚くと、香が強くなり過ぎる。
 昼食の休憩時で道頓堀界隈を散歩して大阪風かつ古風なカレー(御飯とルーを混ぜてあるやつ。店のメニューには「セイロン・ライス」とあった。¥450)を食べて戻ると、すぐに3つ目の「吉田屋」が開幕。中村扇雀の藤屋伊左衛門、坂田藤十郎の夕霧という親子の顔合わせ。扇雀の伊左衛門は、見た目は悪くないんだけれど、上方の大店の若旦那のじゃらじゃらとした雰囲気をもっと出せるといいなあと思う。昨年喜寿の藤十郎は、変わらぬ元気な舞台。
 締めは清元の舞踊「お祭り」。私のように役者の容色にはあまり囚われない方でも、仁左衛門の鳶頭には、「すっきりとカッコいい!」と納得。松嶋屋は芸者(孝太郎)が出る演じ方。清元は志佐雄太夫ほかの顔ぶれ。打出しは15時だった。
(写真は、現在の「良弁杉」)
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2009年01月25日

2009年 浅草歌舞伎 第1部

RIMG0293.JPG1月23日(金) 浅草歌舞伎第1部
 本来、金曜日は「研修日」ということになっていて、学校に行かなくてもいいはずなのだが、秋以降、ほとんど休んだことがない。高3の担任をやっていると、AO入試やら推薦入試やらが土曜日にあることが多くて、金曜日は休むに休めなかったからだ。それに、顧問をしている部活も金曜日が練習日だし。金曜日以外が「研修日」ならもっと休めたのだが、私の勤務校の管理職は、そういうことに対する配慮が著しく欠けている。
 閑話休題、センター試験も終わったし、「今日は学校には行かないぞ!」という決意で浅草に出かける。そもそも、古典の教師が歌舞伎を見に行って何が悪い?というわけで、今年も浅草歌舞伎を見た。筋書も買わずに見ていたので、配役の詳細などもわからないままの雑感に過ぎないが、忘れないうちに書き記しておきたい。
    *          *          *
 第1部は、市川亀治郎の挨拶で開幕し、いわゆる『一条大蔵卿』の「曲舞」と「奥殿」、そして新古演劇十種ノ内『土蜘』という狂言立てである。
 まず、亀治郎の口跡が、若い頃の猿之助にそっくりになって来たことに驚く。亀治郎は、「獅童さんは、今年は新橋演舞場に裏切ってしまい、愛之助さんは大阪に帰ってしまいました」と挨拶して、場内の笑いを取っていたが、その分、亀治郎や勘太郎の役割がクローズ・アップされるのだから、それはそれで楽しみなことだ。
《演目と配役》
  「一条大蔵卿」
    一条大蔵卿:市川亀治郎
    常盤御前:中村七之助
    吉岡鬼次郎:中村勘太郎
    女房お京:尾上松也
    八剣勘解由:中村亀鶴
    播磨大掾広盛:市川男女蔵
  「土蜘」
    僧智籌実は土蛛の精:中村勘太郎
    平井保昌:中村亀鶴
    源頼光:尾上松也
    侍女胡蝶:中村七之助
1.「一条大蔵卿」曲舞・奥殿
 あまり出ない「曲舞」の場が面白い。例えば、大蔵卿が勘解由に馬乗りになった姿勢で数拍子を踏むところなど、面白い型だと思う。また、そうした足拍子のところどころに切れ味を要する箇所があり、そこには、「大蔵卿の阿呆ぶりは、あくまで作り阿呆だ」という振付の意図があるように思われる。あるいは、亀治郎の足拍子に切れ味があり、そこに振付の面白さが発揮されていたと言うべきかもしれない。
 亀治郎の大蔵卿は、衣装も面白かった。「曲舞」は、能の段唐織を模して、2種の織物が段違いになっているものを着ていたが、「奥殿」でぶっ返りの後の腰から下も、2種類の文様が段違いになっているもので、その趣が重ならないように、うまい選択をしていたと思う。
 ところで、私の席は、3階席の、ちょうど花道の真上あたりだったのだが、役者の演技で気になったのは、男女蔵の播磨大掾の花道の出入り。肩をゆするように歩いていて、上から見ると左右のブレが大きいのだが、長袴を穿く役柄の気品と悪役の「押し出し」を混同してはいないだろうか?
 「奥殿」は、勘太郎の吉岡鬼次郎と松也のお京のやり取りが、間が良くて上出来。芸歴を考えると、松也が大健闘ということだ。「一条大蔵卿」は、もともと『鬼一法眼三略巻』の四段目が歌舞伎の世界で独立したものだけに、鬼一法眼の世界と関わる鬼次郎とお京がしっかりしているのは大切なことだ。亀治郎の大蔵卿は、勘三郎や吉右衛門とはまた違った愛嬌があり、それが若さと程よく重なって、見ていて楽しい。亀鶴の八剣勘解由も健闘していた。
 ところで、原作の浄瑠璃『鬼一法眼三略巻』は、玉川大学出版部から翻刻(義太夫節浄瑠璃本未翻刻作品集成9)が出て、手軽に読めるようになった(写真参照、国立劇場の売店などでも手軽に買える)。歌舞伎では、三段目「菊畑」と四段目が一緒に上演されることはまずないけれど、御興味のある方は一読されると、舞台鑑賞の面白さが広がると思う。ちなみに、現行の『一条大蔵卿』の台本だが、最後に大蔵卿から鬼次郎に与えられる名剣の銘が「友切丸」というのは後世の歌舞伎台本の付会で、原作では単に「重代のわざ物」と呼ばれるだけで、銘はない。紹介しておくならば、本文は「鬼次郎も。さらばさらばと立出れば。是々おまちやれはなむけ申さふ。是此太刀は重代のわざ物。汝にくれるぞ。ハツといたゞく別れの袖。…」(同語反復の箇所のみ私に表記を改めた)となっている。別に改変が悪いと言うつもりはない。そうではなく、私は、曽我狂言などから刀の名前が借用される経緯に興味を持っている。
2.『土蜘』
 久しぶりに歌舞伎の『土蜘』を見た。このところ、能の「土蜘蛛」を見ることの方が多かったので、なるほど、舞踊だとこんな「型」が能にはあり得ない面白さなのか!と、いろいろなところで関心した。必ずしも歌舞伎の型の方がいいと思っているわけではないが、違いがわかると、どうということなく見える型も面白くなるものだ。例えば、足先を外に開くような動きや、アキレス腱を伸ばすように後ろ脚を引いて足を前後に開く型は、能にはないものだ。腕を開いての動きにも、能にはないものが多い。
 松也の頼光は、出の場面こそ危なっかしい感じも残っていたが、他の役者と台詞で渡り合う場面は、いずれも十分な安定感があった。勘太郎の智籌、七之助の胡蝶も楽しませてもらったが、この2人は、ともに謡がかりになると弱点をさらけ出してしまう。七之助の場合は、女形の発声で、さらに謡がかりにならねばならないのだから難しかろうが、勘太郎はそういう技巧は要らないのだから、もっと「謡がかり」らしさがストレートに伝わるくらいまで鍛錬してほしいものだ。
 最後になるが、中村亀鶴が八剣勘解由と平井保昌を好演。きっちり演じているので、悪い意味で気になる箇所がなかったことを書き添えておきたい。
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2009年01月10日

歌舞伎十八番「象引」に心ひかれる理由

090104 169.jpg 今月上演されている歌舞伎の中で、一番見たいのは国立劇場の「象引」。ドラマ性があるわけではなく、良く言えば江戸の荒事らしい大らかな芝居、悪く言えば無茶苦茶な芝居だけれど、「象引」に心をひかれる理由が2つある。
 1つは、先日も日記に書いたように、成田屋(市川團十郎)がこの芝居でカムバックしていること。そして、もう1つは、去年の夏に読んだ薄井ゆうじの『享保のロンリー・エレファント』(岩波書店刊、写真)という小説が面白かったので、もともと、今年の正月興行の演目が発表される前から、「象引」を見たいと思っていたからである。この小説の最後に、3代目市川團十郎が「象引」に臨むという脚色がなされていた。
 きっと、国立劇場の筋書にも解説があるだろうけれど、享保13年に実際に象が来日したことが、「象引」の背景になっていると思いきや、「象引」の初演は、それを遡る元禄14年なのだそうだ。享保13年に来日した象は、歌舞伎ではなく、浄瑠璃に『眉間尺象貢(みけんじゃくぞうのみつぎ)』に脚色されている。これについては、むとうじゅんこさんのホームページに詳しい話が書かれているので、そちらを御覧いただきたい。
http://homepage2.nifty.com/jmuto/sub03.htm
 私の操作が下手なせいか、どうもトップページから象の話にたどりつけない。象の話からはトップページに飛べるようだ。
 ともあれ、今月中に、たとえ「象引」1幕しか見られなくても、ぜひ見に行こうと思っている。

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2008年09月20日

秀山祭 夜の部(1) 「盛綱陣屋」

 横浜のみなとみらいホールのツァラトゥストラが鳴り止んだのが15:40。拍手は失礼してすぐに歌舞伎座に向かったが、さすがに開演には間に合わず、佐々木盛綱と和田兵衛とのやり取りが始まっていた。
その「盛綱陣屋」。祭主である中村吉右衛門の盛綱、中村芝翫の微妙、坂東玉三郎の早瀬、中村福助の篝火、市川左團次の和田兵衛ほか、役者の顔ぶれも揃っている。上演の機会も少なくない狂言だが、見ている回数の割に配役のヴァリエーションが乏しい狂言かもしれない。今回見て納得したのは中村歌六の時政だ。単に歌六がよく演じていただけでなく、それを見た私も、作品への理解を深めることが出来た。
 私にとって、盛綱の基準の1つとなる舞台は、昭和37年、11代目團十郎襲名のそれである。もとより昭和39年生まれの私が生で見ているはずはないが、そうは言っても、歌舞伎だけでなく文楽の盛綱も何度も見ているから、映像を丁寧に見れば、昭和37年の舞台のクオリティーの高さは自ずと理解出来る。この昭和37年の舞台で時政を演じているのは、8世市川團蔵だ。小柄だし押し出しも強くないが、老獪な、猜疑心の強い人物像をうまく表現している。
 史実の家康に当たる時政に、そう言った深い猜疑心があったか否かはわからないが、鎧櫃の中に榛谷十郎を密偵として残して帰る近江源氏先陣館の時正像としては大事な要素なのだろう。
 私は、今回の歌六の時政に、8世團蔵に通じる、もっと言えば8世團蔵を範とした人物造形が見られたと思う。筋書を手に顧みると、これまで私が見て来た時政は左團次、彦三郎、我当、富十郎、先代の9世三津五郎の5人。そのうち彦三郎以外の4人は私が見て来た和田兵衛と重なる。いずれも実力派揃いと言えば聞こえが良いが、割と似たタイプの役者たちだ。大病を患った彦三郎を除けば、声がよく通り、割舌も悪くないが、台詞に深みの足りないタイプが多い。
 つまり、平成歌舞伎の盛綱は、役柄のヴァリエーションが1色少なくなっていたのである。今回の歌六の時政に左團次の和田兵衛という顔ぶれは、私が見た昭和63年以降の盛綱の中では、最も対照の妙が感じられる配役だったと言えるだろう。
 歌六の時政は、しっかりと聞かせながらも声を張り上げず、腹に一物ありそうな少しこもった台詞回しの加減が巧みだったのが良い。対する和田兵衛は、気ままな行動で敵なのか味方なのかよくわからない役どころ。2年半前に現勘三郎襲名興行で演じた團十郎のように、技巧や上手下手を超えた存在感が発揮されると面白くなることだろう。
時政の出は首実検の前後のみ。和田兵衛との違いがはっきりすると、実検で対峙する盛綱との違いもまた際立つ。奸智の時政と情の盛綱。智将ではなく、あくまで奸智の大将に見えるように演じるのが脇役の勘どころだ。それを外さないところに現在の歌六の進境がある。
 吉右衛門の盛綱ほか、顔が揃って楽しめたが、欲を言えば篝火の福助と早瀬の玉三郎のやり取りに面白みが足りない。血縁ではない嫁同士を違う家の役者が演じるからこその気遣いが舞台から漂って来ないのだ。私には、単に福助と玉三郎に情味が欠けているだけでなく、両者が、お互いの芝居に関わろうとしていないように見えてならない。
 芝翫が8回目の微妙。他に適材が思い浮かばないが、芝翫が元気なうちに他の役者に演じさせて伝承しておく必要を感じる。
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2008年07月28日

歌舞伎「白浪五人男」と映画『弁天小僧』

7月27日(日)
 今日はひさびさのOFF。7日から26日まで20日間仕事が連続してしまったので、疲労が蓄積していて、眠りたいのにかえって眠れない。
 朝、普段よりはゆっくり起き出して、まず25日(金)にNHKで放送された5月歌舞伎座の「白浪五人男」(『青砥稿花紅彩画』)の映像をDVDに整理した。1学期の間、芝居にはなんとか駆け付けてもブログに書く時間が取れずにいたが、5月の「白浪五人男」は、「五人男」の顔ぶれが揃って充実した舞台だった。私の記憶では、平成4年5月以来の大顔合わせだろう。赤星十三郎と忠信利平の2役には若手が配されることが多いが、今回は中村時蔵の赤星十三郎に坂東三津五郎の忠信利平という贅沢な顔ぶれ。この贅沢さは、2幕目も押し詰まった「稲瀬川勢揃いの場」でとりわけ発揮されていた。三津五郎は、尾上菊五郎や市川左團次と並んでも七五調の台詞術が一際巧みで、存在感があった。「勢揃い」では上手から日本駄右衛門、弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸の順に並ぶが、その並びで扇の要に当たる忠信利平に存在感があると、全体がぐっと引き締まる。また、「勢揃い」の弁天小僧は、「浜松屋」と違って完全に立役の台詞術だが、時蔵の赤星の台詞回しに、立役ながらふくよかな色気があるのも、5人の名乗りに表現の幅を生み出していた。市川團十郎の日本駄右衛門も含めて、この顔ぶれは今後もいつでもは見られないだろう。
 そんな舞台の記憶を映像で確認しながら、コーヒーを飲んでくつろぐ。せっかくの機会なので、続けて伊藤大輔監督、市川雷蔵主演の映画『弁天小僧』(1958年・大映)を楽しんだ。歌舞伎の通称そのままのタイトルだが、鼠小僧同様に弁天小僧が屋根から屋根へと飛び回ったり、遠山左衛門尉(勝新太郎)が出て来たりと、趣向は盛り沢山。2世中村鴈治郎が脇役で出ていたりするのも興味深い。弁天小僧と彼を「菊之助さま」と慕う町娘とのキスシーン(昔はきっと話題になったのでしょうね!?)があったり、高いアングルから映した大捕り物のシーンがあったりと、歌舞伎にはない娯楽性もたっぷりと盛り込まれている。
 歌舞伎文化の多層性を楽しめた一時。午後の出来事は別項目で書きましょう
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2008年07月16日

千本桜&原宿

7月13日(日)
 国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に出かけ、中村歌昇の忠信で『義経千本桜』「河連館」を見る。日頃は歌舞伎座の3階席か幕見席でばかり見ているが、こういう時は1階席、花道近くで見る。距離のある席では感じないことだが、近くで見ていると、歌昇の狐忠信がそれこそ一挙手一投足を丁寧に演じている手順がよく伝わって来る。「河連法眼館」は、他の丸本物以上に、文楽で端場の部分と、「園原や〜」以降の切場の部分とで型の密度が全く違うことを実感した。
 近くで見る時は衣装も楽しみだ。端場(「八幡山崎」)で出て来る佐藤忠信の衣装が立派。ふだん3階や幕見席からは見えないけれど、忠信は武士として久しぶりに主君義経に面会するので、出で立ちには気を遣っているのですね。右の腰には、別に何に使うわけではないけれど、印籠をしっかりと下げていることに気付きました。
その佐藤忠信が偽忠信を捕らえようと刀の提げ緒を扱うところなどは、もっと形よく演じてほしいと思ったが、歌昇の忠信には、型をしっかりと演じようという意志と、役柄への感情移入とのバランスが取れていて、全体に好感を抱いた。中村種太郎の義経はまだまだ。でも、こういう役がつくようになって、これからはお正月の浅草歌舞伎などでがんばってもらいたいと思った。
 夜になってから急用が出来て原宿に向かう。原宿の町を歩いたのは、いったい何年ぶりだろう。青山に能を見に行った帰りに原宿駅まで歩くこともあり、まったく縁がないわけではないのだが、たいていは千鳥足で風景など覚えていない。だが、この日は久しぶりに明治通り、竹下通りなどを思いがけなく歩くことになった。ラフォーレ原宿の建物を見て、「ああ、呂大夫を中心に若い観客の開拓を課題に掲げて『原宿文楽』をやったのは、もう20年も昔のことだなあ」と、1人思わず感慨にふける。記憶をたぐれば、原宿文楽の第1回も『義経千本桜』四段目ではなかったか。桜の文様の肩衣をつけた豊竹呂大夫の姿が脳裏に浮かぶ。『千本桜』を見ることに始まり、『千本桜』の思い出に終わった1日だった。
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2008年03月25日

歌舞伎座120年 3月大歌舞伎

 3月20日(祝)。2ヶ月ぶりに歌舞伎座へ行く。昼の部『一谷嫩軍記』の「組討」を幕見で見て、一旦学校に行って仕事。そして、夜の部を見る。
 「組討」は、坂田藤十郎の敦盛が所作に若々しさがあっていい。片岡市蔵の平山武者所も、書く上の役者相手に頑張っている。肝心の市川團十郎の熊谷は、成田屋らしいと言えばそれまでだが、「忰ッ、小次郎直家と…」など、肚芸が要求されるところで台詞が大雑把に過ぎるように思う。
 夜の部は歌舞伎座120年 3月大歌舞伎・中村富十郎の『御存鈴ヶ森』から。役者さんには申し訳ないが、私はこの芝居が好きになれない。特に立ち回りで腕が切れたり、足が切れたり…という表現。
 中幕は、坂田藤十郎喜寿記念の『京鹿子娘道成寺』道行から押し戻しまで。道行での装束が、成駒屋のように黒ではなく、上品な紫に鹿子絞りをあしらったもので、見て新鮮に感じた。素踊り、笠、手拭いを使っての「恋の手習」、鞨鼓、手鈴、いずれも視覚的な若さと踊りの熟練が両立されていて素晴らしいと思うが、中でも前半での体のこなしにぶれのない踊りぶりがいいと思う。長唄も、日ごろの鳥羽屋里長らとは違った顔ぶれという魅力があった。
 後半は、久しぶりに舞台にかかった『江戸育お祭左七』。明治31年に歌舞伎座で初演されたという作品で、歌舞伎座120年にちなんでのプログラミングだろう。
 私は、昭和63年5月に歌舞伎座で見た、3世河原崎権十郎の「お祭左七」が忘れられない。晩年、大歌舞伎で脇役に回ることが多かった権十郎が珍しく主役を演じたのであった。権十郎の左七は、台詞に独特の力みがあり、「上手い」役者ではなかったが、役者の「ニン」というものを体現していて、他の世話物の舞台にはない味があったことをよく覚えている。
今回の尾上菊五郎の左七は、粋な風情という点でも、技巧の面でも申し分ない。加えて、中村時蔵の芸者小糸に、脂の乗った役者の美しさがある。序幕の祭見物の場面で着ていた縹色で裾に流水文様のあしらわれた衣装も洒落ていた。
誤解から左七が小糸を殺してしまう最後の15分ほどは、文学的には救いのない展開だが、祭の風情や左七の貧乏所帯の描写といった、この作品に特有の味わいがあった。
 夜の部が終演して、帰り際に、1階受付でYさんのお姿を見つけ、挨拶をした。Yさんは、歌舞伎座の職員で、以前、幕見の並び方について強く意見を言ったので、その時は不快な思いもさせたと思うが、昨年秋から幕見の並び方が変わったので、そのお礼を言う。具体的には、以前は、数人のグループのうちの誰か1人が並んで、例えば「3人」と言えば3人入場できたのだが、現在は、並んでいる人の数しか数えなくなった。その結果、これまでの並び方だと、駆けつけても「満員」と断られ、にもかかわらず、仲間が並んでいた人は「割り込み」が可能というやり方だったが、現在は、実際に歌舞伎座に足を運んだ順で入場できるようになったのである。仕事の合間を縫って幕見に足を運ぼうという客から見れば、妥当な方法だと思っている。
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2008年02月10日

『助六』河東節余談

 歌舞伎座で助六を見た1月14日の話。思い出したので、書いておこう。
『連獅子』の後の休憩でナイル・レストランに行き、注文したカレーが出て来るまで筋書きを見ていたら、インド人の店主が話しかけてきた。曰く「昨日だったら、僕も出演していたんだけどね。」私は、正直言って、「変な冗談を言うなあ」と思ったが、店主は筋書きの頁をめくって、河東節十寸見会の出演者連名の頁を開き、御自分の名前を指差してくれた。確かに「ナイル」さんのお名前があるではないか!
 「お稽古とか、大変じゃないですか?」と訊ねると、「僕は清元を稽古しているから、全然問題ないですよ。」と涼しい顔。恐れ入りました。確かに、ナイルさんの日本語は、外国人訛りを感じさせない立派なものです。
 邦楽が平均的な日本人の日常生活から遠のき、歌舞伎のファンでも音楽的要素に注文をつける人が少なくなっている昨今ですが、邦楽に注目してくださる外国人の方もいることを知って、とても嬉しく思いました。
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2008年02月09日

『助六由縁江戸桜』〜河東節のおおらかさ

20080120 001.jpg 日が経ってしまったが、1月の歌舞伎座は夜の部(1月14日)だけ観た。『鶴寿千歳』は間に合わず、『連獅子』と『助六由縁江戸桜』を観る。
 歌舞伎を見始めた頃、私の周囲には「『助六』は河東節で見なければ面白くない」と指南してくださる方がいた。それ以来、素直にそう信じつつ『助六』を見てきたが、いったいどうして『助六』は河東節に限るのだろうか。最近になって、そういうことがようやく実感としてわかって来たように思う。
 河東節は、現在歌舞伎舞踊の地で使われる他の浄瑠璃よりも発生が古く、かつ魚河岸の素人衆が河東節連中として『助六由縁江戸桜』に出演し、後援するという習慣があったため、技巧を弄さないおおらかな曲風が特徴だ。特に『助六』は、緩急の変化がほとんどなく、西洋音楽で言えばモデラートくらいのテンポのおおらかな間で曲が続くところに特色がある。
 成田屋の助六は、音楽的なおおらかさと、出端での傘に一つだけある杏葉牡丹の紋の扱いなどの踊りの繊細さの両立が要求されるところに、その味わいがあると言うことができるだろう。
 筋書きによれば、成田屋の代々で還暦を過ぎて助六を演じたのは当代が初めてのことなのだそうだ。逆に言えば、これからは海老蔵の助六の時代になるのかななどと思いながら、当代の團十郎の助六を楽しんだ。私は、かつては團十郎贔屓ではなかったが、近年は、器用にではない芸風が好きだ。減点法で採点できない彼のような芸風の役者が今後再び出て来るかどうか。そう思うと、今回の『助六』はどうしても見ておきたかった。
 NHKで初日の生中継があったが、14日は、團十郎の喉が少し苦しそうだった。市川左團次の髭の意休も上出来。単に手馴れた役というだけでなく、この人は、近年、脇役に徹することが出来るようになり、芸に嫌味がなくなってきた。中村福助の揚巻は、相変わらず声を張り上げる時の台詞回しが気になる。意休への「悪態の初音」などで、いつも叫んで歌ってしまうタイプのソプラノ歌手のように聞こえるのだ。中村梅玉の白酒売実は曾我十郎祐成は、丁寧に一生懸命やっているのが表に出てしまって、かえって滑稽さが後退している。他に、市川段四郎の口上・くわんぺら門兵衛、中村歌昇の朝顔仙平、中村東蔵の通人、中村芝翫の母曾我満江などの配役だった。
 さて、『助六』は楽しかったが、高麗屋親子の『連獅子』はいかがなものか。長唄(芳村伊十蔵)が節の冒頭部分で妙に気張ってしまうのが気になった。親獅子(松本幸四郎)に谷に蹴落とされた子獅子(市川染五郎)が這い上がってくるところなどは、染五郎の跳躍のキレがよくて好感を持ったが、キリの獅子の髪洗いで、染五郎が妙に奮闘して親獅子を一周追い抜くところは疑問。とりわけ染五郎の足腰が定まらなくなっていたのが気になった。
写真はロビーに飾られていた揚巻の裲襠。
posted by 英楽館主 at 16:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 歌舞伎〜幕見席からのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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