2011年04月29日

柳家小満んに「レッドカード」1枚!

 このところ一番更新されていなかったのがこの「寄席日和」のコーナー。ここのところ時間に余裕がなく、寄席には久しく足を運んでいない。TBSの落語研究会は、会員になっているのでほぼ毎月聞いているが、18時30分の開演に間に合うことは稀。昨日も、19時25分頃に国立小劇場に到着すると、既に3席目の柳亭市馬の「厩火事」のマクラが済んで本題に入ったところであった。

第514回 落語研究会
(あくび指南    古今亭菊六)
(おしくら      柳家三三)
厩火事       柳亭市馬
人生が二度あれば 春風亭昇太
中村仲蔵     柳家小満ん

 市馬は「厩火事」をしっかりと演じていた。髪結いの妻と仕事もしないで家で呑んだくれている亭主の話。夫と別れたいとは全く思っていないにもかかわらず、夫とすぐに口喧嘩をしてしまう妻、自分が稼いでいるという自信と、年上で自分が先に老いて行くという不安の入り混じった髪結いの妻の心情を、色っぽく、けれどもあざとくならない程度に、丁寧に描写していた。
 仲入を挟んで春風亭昇太の自作自演「人生が二度あれば」。既に何度も演じてしっかり手の内に入っている様子。陽気に演じているが、マクラから、本題の内容を意識して念入りに構成されていた。ある老人が若き日を懐かしく思い出しながら散歩に出かけたり新聞を読んだりという日常の一コマ。盆栽の松の手入れをしていると、涙が松にこぼれ、その瞬間、松の精が老人の前に現れ、「これを噛めば戻りたい昔に戻れる」という松ぼっくりを渡してくれる。老人は懐かしい昔に戻ってみるが…。
 結局、老人が「人生は一度きりのものだ」と納得するという、メルヘン的な物語。老人の述懐にちょっと飽きるかなと感じていると、今風の若者の言葉遣いの松の精が突然現れて、改めて賑やかで陽気な昇太の世界に引き込まれてしまうところに演者の力量と魅力を感じた一席だった。

 ここで席を立って帰った客が30名くらいいた。私もそうするべきだったが、貧乏根性でついトリの柳家小満んの「中村仲蔵」まで聞いてしまった。これが、録音・録画・実演を問わず私の知る限りでは最低の出来。1942年生まれの戦中派で、8代目桂文楽門下。既にヴェテランのはずだが、そもそも語り口が一本調子、会話のやり取りはまだしも地の文が特に単調。加えて芝居のことをよくわかっていないのだから、芝居噺を演じてうまく行くはずがない。
 出来の悪かった点を挙げればキリがない。いくつか指摘しておくと、まず芝居の用語で噛むのは拙い。梨園の名門の出ではなかった中村仲蔵が登場する噺にはつきものの役者の階級の説明で「下立ち役(したたちやく)」と最初に言う時にすっと出て来ない。『仮名手本忠臣蔵』の上演に関する慣習の説明で四段目の「出物止め(でものどめ)」がするっと出ない。プロとして恥ずかしいと反省すべきだ。
 次に仲蔵が斧定九郎の型を工夫した芝居の初日を、私の聴き間違いでなければ「明暦3年8月18日」と言ったこと。今回の映像はおそらく放送されないと思うが、もし放送されれば明らかになることだろう。「れき」の部分ははっきり聞こえたが「ほうれき」とは言っていなかったと記憶している。もちろん正しくは「明和」だが、小満んはきちんと覚えていなかったようだ。「明」から始まる年号で、さすがに「明治」ではないとは常識でわかったのだろうが、明和3年(1766年)を明暦3年(1657年)と誤るのは不味い。何しろ浅野内匠頭による刃傷事件が元禄14年(1701年)、人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の初演が寛延元年(1748年)のことだから、致命的なミスである。
 後半、「浅野内匠頭の家来斧定九郎」と言ったのも実説と浄瑠璃・歌舞伎の世界を混同した説明で奇妙。
 芸の拙さに加えて勉強不足。プロと呼ぶに値しない高座。TBSはなぜかここのところ柳家小満んをよく使うが、その理由は高座からは到底納得できない。「2度と呼ぶな」と言いたいが、少なくとも「次の1回は出場停止」を求めたいところ。柳家小満んには座布団ではなく「レッドカード」を1枚進呈したい。
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2010年02月13日

鈴本演芸場 2月上席 その2

100213 010a.jpg2月4日(木) 夜の部
 落語:前座(古今亭きょう介)「子ほめ」
 落語:柳家わさび:「元犬」
 太神楽曲芸:鏡味仙三郎社中
 講談:宝井琴調「義士銘々伝・安兵衛婿入り」
 落語:入船亭扇遊「浮世床」
 紙切り:林家正楽
 落語:春風亭百栄「初デート」
 落語:五街道雲助「壺算」
    仲入り
 漫才:大空遊平・かほり
 落語:隅田川馬石「安兵衛狐」
 マジック:花島世津子
 落語:桃月庵白酒「井戸の茶碗」

 3日は節分の特別サービスで平日とは思えない大入りだったが、この日は普段の平日の寄席に戻った感じだった。この日面白かったのは隅田川馬石の「安兵衛狐」。寄席でもそういつでも聴ける噺ではないが、兄弟子の白酒が年末の落語研究会で演じていたから、兄弟弟子の聴き比べという意味でも興味深かった。馬石は、このネタをもともと演じようと思っていたのか、それとも、この日馬石と出番を交替した宝井琴調が「(堀部)安兵衛婿入り」を口演したので、「安兵衛」という名前のつながりで演じようと思いついたのか、それは本人に訊かねばわからない。落語会とは違って15分の持ち時間でサゲまで演じるためには、無駄なく話を運ばなければならない。丁寧に演じた落語研究会での白酒とは逆の工夫が必要になるわけだが、そういう点でうまく演じていたと思う。馬石は、若手真打の中でも勉強家の1人として私は注目している。
 その師匠、五街道雲助の「壺算」は、うまくまとまっているのだが、「抜けた」もしくは「とぼけた」味に欠けていると感じた。これは演目との相性だろう。漫才の大空遊平・かほりの演題は「スローライフ」とでも名付けておけばよいだろうか。昨日とまったく同じネタ。違うのはこの日は遊平が噛まなかったことだけ。遊平・かほりに限らないが、私は寄席で台本通りの漫才を面白いと思ったことがほとんどない。だいたい、寄席って言うのは、トリの噺家目当てに出かける場合が多いから、今回の私のように連日出かける客もいるものだ。同じ噺を2度聴かされても面白くない。
 トリの桃月庵白酒は、この日は「井戸の茶碗」。入れ事が多過ぎたというのは私の感想。率直に言って、私は「井戸の茶碗」という噺を知ってはいるが熟知していないので、個人的には、噺の骨格をしっかりと聴かせてほしかった。ところで、写真は東京国立博物館所蔵の「大井戸茶碗 銘 有楽(うらく)」。先日常設展を観覧した時に撮影したもの。その解説によれば、「井戸の茶碗」というのは朝鮮伝来で価値あるものとされたようだ。
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鈴本演芸場 2月上席 その1

 友人に、桃月庵白酒のファンがいて、「ぜひ行こう」というお勧めで、2月3日、4日の両日、鈴本演芸場に出かけた。昨年後半は忙しかったこともあって、寄席は夏休み以来久しぶり。3日は節分で仲入りに豆まきならぬ手拭いなどを撒くプレゼントがあったので、この日を選んだ。入試などで忙しいのだが、3日だけではなく、4日も諸事情あって急遽聴きに出かけた。2日続きで寄席に顔を出したのは2008年の暮れ以来ではないかと思う。

2月3日 夜の部
 落語:前座(三遊亭多ぼう)「牛ほめ」
 落語:初音家左吉「転失気」
 曲独楽:三増紋之助
 落語:隅田川馬石「強情灸」
 落語:入船亭扇遊「一目上がり」
 紙切り:林家正楽
 落語:春風亭百栄「寿司屋水滸伝」
  ※演題については、いつもコメントを寄せて下さるあかねこさんから御教示いただきました。
 落語:五街道雲助「町内の若い衆」
   仲入り
 漫才:大空遊平・かほり
 講談:宝井琴調「大岡政談・人情匙加減」
 奇術:アサダ2世
 落語:桃月庵白酒「お見立て」

 この日は、扇遊の「一目上がり」と白酒の「お見立て」がとりわけ面白かった。「一目上がり」は前座や二つ目で教わる噺だが、扇遊のような実力者がテンポよく演じると、「賛・詩・悟・七福神・句」という噺の進展はわかっていても、後半、お客が先の展開を予想できるようになってくると、それと比例して展開が早まって行く面白さに身を委ねながら聴くことが出来た。
 白酒の「お見立て」は、まず横綱朝青龍の話題、「引退して『相撲芸術協会』を設立」とか「内舘牧子と結婚」などの毒を含んだ時事マクラでたっぷり笑わせてから本題へ。実際、4日には朝青龍が引退を発表したので、こういう話題で笑えるのはこの日が最後だった。肝心の「お見立て」は、田舎客をしっかりと演じていたという印象。これは悪口ではないが褒め言葉でもない。「お見立て」は、喜助がシテの噺ではなかろうか。田舎客と遊女喜勢川との間を右往左往させられる喜助の姿は、現実世界で上司とお客の板挟みになる一般人の苦労と重なる。そうした苦労を酒でも飲みながらボヤくのがサラリーマンの日常だが、それをボヤくのではなく、落語の中の他者の姿に重ねて笑い飛ばすのが、この落語の味わいなのではないか。遊女の狡さを描くなら「お見立て」よりも「三枚起請」だろうし、田舎者の武骨さを描くなら「権助」ネタの噺だろう。
 サゲの直前、山谷の墓地で、田舎客が墓を改めると別人の墓であるとわかってしまう場面を、白酒は、@「〜信士」(男性の墓)A「〜童子」(子供の墓)とお定まりで進めた後、B森繁久弥、C森光子と続けた。時事ネタに始まり時事ネタに終わる首尾一貫もあり、特にCなどは御存命の方だから毒がたっぷりあって、場内は爆笑だが、「お見立て」という噺の本質から転げ落ちる危険性も感じないわけではない。古典に正攻法で勝負する白酒だからこそ、この噺もさらに磨いて、お客を爆笑させながらも焦点がより定まった演じ方に持って行ってほしいと思う。
 春風亭百栄の新作物「寿司屋水滸伝」は初めて聴いた。「素人鰻」の鮨屋版といった噺で、回転鮨の普及で鰻よりも鮨が庶民に馴染んでいる当世に合わせて、刺身を切れない板前が登場する。まずまずの面白さ。不足があるとすれば、「素人鰻」で「我々でも料理をやってみれば、刺身くらいは作れるが、生きたウナギを捌くとなると、これはちょっと素人には無理ではないか」と感じるような共感を持てない点だろうか。

2010年2月13日記、15日補筆。
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2010年01月02日

「三枚起請」東西の聴き比べ

 年末年始、自宅を離れて過ごしているので、今回は初めてTSUTAYAでCDレンタルのサービスを使ってみた。京都西院店でレンタルコーナーを見ると、クラシックも結構いろいろなCDがある。買うのではなく借りるのなら、1回しか聴かないだろうというものも気楽に手に取れるのが良いところだ。棚を見ていると、いわゆる「Jクラシック」系が多い。クラシックおたく以外の人々からクラシック音楽がどう見られているかを知る良い機会でもある。
 結局、クラシック2点、落語4点をレンタル。落語は関西なので桂米朝や桂文枝のCDがたくさんあった。そういうわけで、年末年始に聴いたCDの中から、落語「三枚起請」の聴き比べについて書いてみよう。

(1)5代目桂文枝の「三枚起請」(SICL-115)
 もともとは上方落語の「三枚起請」だが、東京の寄席で聴けば必ず吉原を舞台にした演じ方になるので、私にとっては、文枝の録音で上方版が聴けるのは貴重だ。
 登場人物は、騙される男3人が下駄屋喜六、仏壇屋源兵衛、指物屋清八。「喜イやん」と呼ばれる喜六は間が抜けたキャラクターで、指物屋清八は直情型。女郎の名が備前屋店小照こと本名タネ。
 言葉遣いも興味深い。小佐田定雄氏の解説でも取り上げられている「丁子が乗った」(小佐田氏の解説の受け売りだが、「灯心の燃えカスが丁子のようになること」を「いいことがある前兆」として縁起がよいと喜んだ)のような、現在ではわかりにくくなっている言葉に接することが出来るのも面白い。だが、もっと噺の骨格に関わる言葉、例えば、同じ女郎の起請文が何枚も出て来ることに対して騙された男たちが「口惜(くちお)しい」と言う辺りも、「口惜(くや)しい」という東京の演じ方よりも古風な印象を受ける。文枝の口演には古語「口惜(くちを)し」の語感に通じるものが感じられた。
 3人が茶屋に乗り込んで、裁き役の源兵衛が女を相手に追及するくだりで、言い逃れをする女は喜六を「付け豆の土左衛門」呼ばわりする。実演のライブだが、マクラは紙治(『心中天網島』や『心中紙屋治兵衛』、『天網島時雨炬燵』)の中の巻の話題にさらりと触れてすぐに本題に入る。この紙治の話題がいかにも大阪らしい演じ方と感じられる。

(2)3代目古今亭志ん朝の「三枚起請」(SICL-11)
 東京の志ん朝は、もちろん吉原を舞台として「三枚起請」を演じる。関東人にとっては、こちらの方が聴き慣れたやり方だ。騙される男は、唐物屋猪之助(通称「猪之(いの)さん」)、棟梁、経師屋清三(同「清公(せいこう)」)、女郎の名は「新吉原江戸町二丁目朝日楼内喜瀬川こと本名中山ミツ」ということになっている。間抜けな若旦那の猪之さんは、女の言い逃れの中では「水甕落っこったお飯(まんま)粒」呼ばわりされる。
 志ん朝の「三枚起請」は、CD解説の榎本滋民氏も指摘しているように、マクラの運びの上手さが光る。惚れ合った男女の心変わりを恐れる心情を話題にして、色っぽい話題を下品にならずに進めるところが上手いのだ。なお、起請文やそこに書かれた名前は文枝ほど丁寧には読まない。また、「丁子」の話題には志ん朝も触れているが、筑前煮(ちくぜんだき)の話題は出て来ない。

(3)東西の「三枚起請」
 私は、東西の「三枚起請」の聴き比べをする際の一番のポイントは、小佐田氏も榎本氏も触れていない、騙される3人の男たちの人物造形の比較ではないかと思う。難波新地を舞台にした上方落語では騙される3人はいずれも商人だが、東京の演じ方だと「棟梁」が入って来るから、商人2人と職人1人である。「棟梁」と言えば大工だろう。他の2人とどう性格が違うのか、説明を必要としない。だからあっさりと演じることが出来る。それに比べると、商人3人が次々に登場する元々の上方落語の方が技術を要するのかもしれない。文枝の口演で、清八が「しゃべりの清八」と呼ばれて腹を立てるくだりが長いのも、そうした所に理由があろう。上方の味、江戸・東京の味、それぞれに面白さや難しさがあり、「どちらが上手い」と単純に比較することは出来ない。今日の私たちの感覚だけを尺度として評するのは不十分な気がする。
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2009年12月26日

第498回 TBS落語研究会

12月24日(木) 18時30分 国立小劇場

第498回落語研究会
「一目上がり」 立川志の若
「安兵衛狐」  桃月庵白酒
「言訳座頭」  柳家権太楼
「茶金」    三遊亭歌武蔵
「芝浜」    五街道雲助

 師走の落語研究会。今年はクリスマス・イヴの開催のため、人気のある噺家が揃った割には当日券の売れ行きが悪く、後方には空席もあった。筆者にとっては、一席目からじっくり聴けたのは久しぶり。
 落語には「よくまあ考えたものだ」と感心してしまう話があるが、「一目上がり」もその一つ。「讃」「詩」「悟」と続いて、後半はテンポ良く「七福神」「句」と並べるリズム感が面白い。立川志の若は初めて聴いたが悪くない。また機会があれば聴いてみよう。
 二席目、「安兵衛狐」は長屋ばなし。へそ曲がりの源兵衛と隣の安兵衛は、それぞれ幽霊と狐を嫁にするが…。登場人物の多い話を、白酒が的確に語りわけていた。
 三席目、「言訳座頭」は、聴いてみたら「掛取」の変則型の一つ。大晦日に掛けの取り立てに追われた夫婦が座頭に言い訳を肩代わりしてもらうという話だが、座頭というものが身近な存在ではなくなった今日では、その面白さが伝わりにくくなっているかもしれない。権太楼は「掛取」の別の変則型である「睨み返し」が絶品なので、そちらで大いに笑いたい気もしたが、聴くことでこちらの引き出しが一つ増えたというのが収穫だ。
 仲入り後は、三遊亭歌武蔵の「茶金」。これも楽しく聴いた。先月だったか、10月だったかに聴いた柳家さん喬の「鴻池の犬」よりは工夫の跡が見られたが、京都弁はまだまだ磨いてほしい。
 トリは五街道雲助の「芝浜」。落語研究会では、4年前に権太楼の「芝浜」が出ているが、噺家それぞれの持ち味が出るのが名作の所以だろう。雲助の「芝浜」は、夫婦の会話を丁寧に磨いてあること、金を拾う朝と女房から「金を拾ったのは夢だ」と聞かされる翌朝をぴったりと同じ言葉、同じ間で演じて話の枠組をしっかりと作っていたあたりに持ち味を感じた。6・7月の「髪結新三 上下」、8月の「中村仲蔵」、そしてこの日の「芝浜」と、今年、雲助の高座は4回聴いたが、その中でも気の入った、充実した一席だった。
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2009年11月29日

第497回 TBS落語研究会

11月26日(木) 18時30分 国立小劇場

第497回 TBS落語研究会
「鴻池の犬」柳家さん喬
「禁酒番屋」柳家花緑
「宮戸川(下)」柳家小満ん

 仕事の都合で、5席の落語が並ぶうちの3席目、さん喬の「鴻池の犬」から聴く。私は、これまで英楽館にも柳家さん喬をしばしば取り上げて来た。いつも高座から研究熱心さや日頃の稽古がうかがえると感じている。でも、今回は中途半端に終わった。
 「鴻池の犬」は江戸生れの3匹の犬のうち、大坂の鴻池善右衛門家に貰われていった兄犬のクロを追って、弟犬のシロが大坂まで苦労の旅をして再会を果たすという犬の人情噺。犬の仕種なども入って親しみ易いものだが、江戸・東京の言葉と大坂の言葉を使い分けるという技が要求される噺でもある。義太夫節を稽古していて近世の大坂の言葉に日頃苦心している館主は、東京の関西人ではないお客の中ではこの点に特に厳しい客かもしれないが、さん喬の「大阪弁」は、代わり目では「大阪弁」にしなくちゃという意識が感じられるものの、2言3言進んで行くと、曖昧になってしまう。この点を克服してほしい。
 柳家花緑の「禁酒番屋」は、まずまずの出来。もともと滑稽なだが、マクラでの落語ブーム談義は、観客との距離感を操作出来ていないという意味で感心しない。
 柳家小満んの「宮戸川(下)」は、珍しい噺とのことで、拝聴したが、噺の運びが巧くないのが難点である。最後は「悪い夢を見ていた」ということで、「夢金」や「鼠穴」同様にストンと落ちるような話だが、運びがもたついていると、こうしたサゲが活きない。
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2009年09月01日

さん喬の「百年目」

RIMG0239.JPG8月18日(火) 鈴本演芸場
 この日も、授業を終えてから鈴本夏まつりに出かけて、後半だけを聴いた。番組は

  柳家小菊:俗曲
  柳家権太楼:落語「青菜」
  林家正楽:紙切り(線香花火・阿波踊りなど)
  柳家さん喬:落語「百年目」

 「青菜」は夏の噺。実は、実演で聴くのは初めてだったので、心から楽しんだ。他所で感心したことを長屋で再現して失敗をするという蘆頭者(ろうずもの)を題材にした噺。続く正楽の紙切りでは、先日徳島に行って見て来たばかりなので「阿波踊り」をリクエストしてみた(写真)。

 さて、さん喬の「百年目」。昨年だったか、TBS落語研究会で権太楼の「百年目」を聴いて、噺家のニンに合わないとどうにもならない噺だと感じていたので、技巧に優れるさん喬に期待をして足を運んだ。確かに、いろいろと発見や考えさせられるところのある高座だったのだが、満足とまでは行かなかった。

 「百年目」は、演じる上では難しい噺だと思う。(1)番頭が店で丁稚や手代、2番番頭に小言を言う(2)番頭が店を出て、幇間の一八と連れ立って船に乗るまで(3)隅田川での花見の船遊び(4)向島で船から下りて、旦那と鉢合わせする場面(5)夜、番頭が店に帰ってから、翌朝、旦那に呼ばれるまで(6)旦那と番頭との対話、と言った具合で、場面転換が多い。しかも、それぞれの場面に、例えば(2)で駄菓子屋の2階で番頭が着替えると言った細かい場面が織り込まれている。登場人物は、旦那、番頭、2番番頭、丁稚、手代、幇間、芸者たち、旦那のお供の医者。少なくとも8人以上に及ぶ。

 さん喬の「百年目」は丁寧だった。ただ、疑問があったのは、(1)の小言の場面の後半で、2番番頭幸助に異見をする時に小声になる箇所だ。これでは、番頭は「部下思いのいい人」になってしまう。そうすると、(6)での旦那と番頭とのやり取りの味わいも半減してしまうように思うのだ。
 (1)で店の者に小言を並べる時に「幇間(たいこもち)という餅は煮て食うのか焼いて食うのか」と訊ねて見せる「堅物」の番頭が、実は(2)(3)では豪勢に遊ぶというのは、「百年目」という噺の骨格だと言ってよい。本当は遊びを知り尽くしている番頭が、店の者にはそういう姿を見せず、「堅い番頭さん」で通しているのだ。

 元は上方噺の「百年目」は、大阪の商家の人間模様を巧みに描いている。商家とは、商売が左前になれば傾いてしまうもの。誰を番頭に取り立てるか、店を誰に継がせるかは常に大問題である。実際、養子に店を継がせるということも少なくなかった。今日の大企業の重役や管理職と同様、商家でも、旦那は旦那、番頭は番頭の役割を演じることで生きている。その人間模様の描き方が上手いからこそ「百年目」は傑作なのだ。
 とすると、さん喬のように番頭が2番番頭の幸助にだけ小声で親身に異見しては、店の者に示しがつかない。店を取り仕切るからには、番頭は、「他の者には遠慮なく小言を言う」役を演じる。外に出てぱっと遊ぶ番頭の姿に、番頭を演じるストレスを見出すのは、観客にとってもた易いことだし、演者がここで一言入れても、それは構わないと思う。
手元にある少し古い速記(講談社『落語名人大全』(榎本滋民・三田純市編、1995刊)所収、3代目桂文三のもの。桂文三は安政6年生まれ、大正6年没というから1859〜1917。)を見てみると、この場面でこんなやり取りがある。

番頭「遠いとこまでお茶買いにいきなはんねな……」
幸助「いえ、そうやおまへん……ああ、難儀やな。つまり、その、何でおます、ちょっと、あっさり騒いどいて……あとは娼妓を買うて……」
番頭「腰掛けるのかい」
幸助「いいえ、早ういうたら姫買い……」
番頭「やかましいっ」
幸助「へっ」
番頭「あんたわたいを何と思うてなはる。何ぼわたいが突念参(づくねんじん)でも、人さんから聞いてそれくらいのことは知ってますわい。(中略)あんたがどういうかしらんと思うて、知ってとぼけてたら、ようぬけぬけとそれだけのことをわたいの前ではっきりいいなはった。(以下略)」

 番頭が実は遊びも知っている人物だということが、この昔の大阪の演じ方だと、観客にだけでなく、店の者にも示されていることがわかる。東京に「百年目」を持ち込んだのが誰なのか、まだ詳しく調べていないが、私の知る限り、6代目三遊亭圓生の「百年目」(私の手元にあるのは圓生がNHKに残した映像)には、既にこの件がない。
 「百年目」という噺に磨きをかける時には、単に端正に演じるだけでなく、話の原点を意識しないと、江戸東京落語風の人情噺との区別がつかなくなってしまうのではないだろうか。8月18日の鈴本での「百年目」は、さん喬が衆目の一致するところ抜群の力量の持ち主であるだけに、演出を再考願いたいと感じた一席だった。
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2009年08月29日

鈴本演芸場8月中席 吉例夏夜噺

8月14日(金)
 徳島の合宿を終えて、羽田から鈴本演芸場に直行。権太楼・さん喬の恒例の「夏祭り」を聴く。番組は以下の通り。

  三増紋之助:曲独楽
  橘家圓太郎:落語「たがや」
  ホームラン:漫才
  桃月庵白酒:落語
  柳家甚語楼:落語「金の大黒」
  鏡味仙三郎社中:太神楽曲芸
  橘家文左衛門:落語「道灌」
    中入り
  柳家小菊:俗曲
  柳家権太楼:落語「試し酒」
  林家正楽:紙切り(線香花火・竹林・バーベキューなど)
  柳家さん喬:落語「掛け取り」

 2週間前のことで、白酒の演題だけ忘れてしまった(この日は寝ていたわけではないヨ)が、充実した番組だった。まず、圓太郎「たがや」の威勢の良い啖呵を聴いて、この日は、寄席に来たぞっていう「聴く気」になった。
 後半、「試し酒」は何人もの噺家で聴いている演題だが、久蔵の無骨ぶりなどをことさらに強調しなくても「いいじゃないですか」と言う旦那の台詞に愛嬌があって思わず笑ってしまうのが権太楼の持ち味だろう。田舎者の久蔵が五升の酒が飲めるかで賭けをして、実際に飲ませてみるという噺だが、変化をつけるために、普通、四升目は呑む久蔵ではなく、呑みっぷりを見ている得意先の旦那の仕草を見せる。この日はこの場面も面白かった。脇役の描写が巧みで、酒を呑んで見せる仕草に、鼻につくような誇張がなかった点で、印象に残る「試し酒」だったと言ってもよいだろう。
 紙切りの後、トリはさん喬で「掛け取り」。大晦日の噺で季節はずれだが、それを言い出すと、真夏の噺とかお盆の噺って、そう多くはないから、恒例の「夏祭り」が成り立たなくなってしまう。さん喬は関西人ではないし、義太夫の真似が得意でないのは仕方のないところで、あとはいつも通り丁寧に狂歌・歌舞伎・喧嘩・三河万歳をしっかりと演じていた。
posted by 英楽館主 at 10:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 寄席日和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

五街道雲助の「中村仲蔵」を聴く

RIMG0136.JPG8月8日(土)
 久しぶりに寄席へ。珍しく国立演芸場に足を運んだ。顔ぶれは以下の通り。
8月上席 「夏賑江戸豪端」(にぎわいのなつえどのほりばた)
  金原亭小駒「町内の若い衆」
  林家彦いち「睨み合い」
  古今亭志ん丸「幇間腹」
  ざっくばらん    漫才
  三遊亭歌司「蜘蛛駕籠」
     中入り
  伊藤夢葉 奇術
  五明楼玉の輔「マキシム・ド・呑兵衛」
  大瀬ゆめじ・うたじ 漫才
  五街道雲助「中村仲蔵」

 ちょっと遅れて到着したら、金原亭小駒が「町内の若い衆」を口演中。一席終わってから席についた。この日は彦いちと志ん丸の出番が予告と逆で、彦いちは新作「睨み合い」。西川口駅と川口駅の間で緊急停車した車内で、ヘッドホンから音漏れをさせて音楽を聴いている今どきの若者と語り手の彦いち自身が睨み合う緊張の場面を「ドキュメンタリー風に」描いたという一席。面白くはないが、落語で一人称の語りは珍しい。志ん丸は、鍼に凝り出した若旦那が幇間の一八を相手に試し打ちをするという「幇間腹」。中入り前の歌司は辻駕籠を題材にした「蜘蛛駕籠」。どちらもまずまずの出来。中入り後、伊藤夢葉の奇術の後、五明楼玉の輔は、足立区綾瀬の居酒屋「呑兵衛」の老夫婦が孫に招待されたフランス料理レストランの影響を受けて勘違いのサービスをするという新作「マキシム・ド・呑兵衛」。漫才は2組とも面白くなかった。特に前半のざっくばらんは退屈。大瀬ゆめじ・うたじも、先が見えているネタで時間を潰している感覚が楽しくない。
 さて、お目当ての五街道雲助の「中村仲蔵」。ほとんどマクラも置かずに本題に入って、40分弱の熱演。もう10年以上前のTBSの落語特選会でも雲助の「中村仲蔵」を聴いたことがあるが、基本的な演出はその時と変わらない。初代中村仲蔵が『仮名手本忠臣蔵』5段目の斧定九郎の型を工夫した経緯を扱ったこの噺、私はかつて、三遊亭圓生の録音でこの噺に馴染んで行ったので、少し演り方が違うなあと思うが、この噺の芸系について詳しいことはまだ調べていない。いずれにせよ、雲助の「中村仲蔵」は、「五段目の斧定九郎一役だけ」ということになる経緯は詳しくなく(圓生の演り方だと、作者の金井三笑が絡んで来る)、仲蔵が役の工夫をする過程で仲蔵の女房おきしの役割が大きいのが特色ではないかと思う。結びは芝居をしくじったと思い込んで旅に出ようとした中村仲蔵が、5代目市川團十郎宅に呼ばれ、そこで女房とも再会するところで締め括られた。

 初代中村仲蔵(1736〜1790)は、様々な伝説の残る役者だが、彼が定九郎の型に工夫をしたのは明和3(1766)年のこと(当時の名は「中蔵))だと伝えられている。仲蔵の斧定九郎を見てみたいと思って、早速手元の資料を紐解いてみた。中山幹雄編著『歌舞伎絵の世界』(1995年、東京書籍刊)には、勝川春章(1726〜1793)の描いた初代仲蔵の定九郎の絵が掲載されている(37頁・東京国立博物館所蔵)。これを見ると、仲蔵の定九郎は、黒羽二重に白献上の帯という出で立ち。柳島の妙見様にお参りした帰りに出会った浪人者が「黒羽二重に茶献上の帯」だったけれど、茶献上では舞台で映えないので白献上の帯にしたという落語の一節は、現存する絵と一致することになる。また、刀の鞘は描かれていませんが、鍔は朱色になっている。「中村仲蔵」という話が単によく出来ているというだけでなく、落語が、芝居の衣裳を見る目や絵に対する鑑賞眼を養ってくれる好例ではなかろうか。
 早稲田大学演劇博物館所蔵芝居絵図録2〜3『忠臣蔵上・下』(1992〜93)には、幕末の慶応元(1865)年に2世歌川国貞が描いたものしか載っていない。残念ながら、初代仲蔵とは時代がかなりかけ離れているし、仲蔵と同時代の絵とは顔の輪郭がかなり違って見える。こちらの画集では、逆に、仲蔵以降に仲蔵型以外の型で演じた記録も載っていて興味深い。例えば2代目坂東三津五郎(1750〜1829)の定九郎などである。
(写真は谷中墓地にある「中村仲蔵之墓」。河合昌次氏のWebページ「吟醸の館 http://ginjo.fc2web.com/44nakamuranakazo/nakazou.htm」の御教示により筆者撮影。)
posted by 英楽館主 at 21:05| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 寄席日和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

圓朝まつり 2009

RIMG0144.JPG 今日は、8月の第2日曜日。圓朝まつりで賑わっている谷中の全生庵に行って来ました。(写真は本堂から見た境内の風景)

 日暮里駅の南口で下りて、まずは谷中墓地を散策。中村仲蔵の墓や長谷川一夫の墓などを見学してから全生庵へ。境内にいるだけで汗が噴き出してくるくらいに大勢のお客さんで賑わっています。せっかくですから三遊亭圓朝のお墓参りをしてから、公式パンフレット(¥100)を買って、柳家さん喬、柳家権太楼、古今亭志ん輔、入船亭扇遊の各師匠にサインをもらい、立呑屋文左衛門(橘屋文左衛門の屋台)でホッピー(¥300)を呑んで、本堂の幽霊画を見学。「円山応挙の幽霊画」というのは、落款も印章もないものでかなり怪しげなものでしたが、いろいろな幽霊の趣向は楽しめましたが、拝観志納金¥500は、内容の割には高いと感じました。権太楼師匠の司会でのど自慢大会など、笑わせてくれる催しもあって、手軽に楽しんでから、ついでに谷中、千駄木界隈を散策して、帰って来ました。

 圓朝まつりは初めて足を運びましたが、夏の風物詩の1つとして、また機会があったら行ってみたいと思いました。
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2009年01月12日

桂千朝の「抜け雀」

 今朝は、昨日録画した京都チャンネル(関西テレビのCS放送)の落語を編集した。演目は桂よね吉(亡くなった吉朝さんの3番弟子だとか)の「ちりとてちん」と桂千朝の「抜け雀」だった。「抜け雀」の前に千朝自身の簡単な解説があったが、短いながら、私の知らなかった情報が2つあって面白かった。曰く、「この落語は、たぶん講釈ネタだと思う。義太夫がサゲに使われていて、『双蝶々曲輪日記』「橋本の段」の『現在親に駕籠かかせ』をもじったサゲである」と言うのだ。
 『双蝶々曲輪日記』は、文楽でも「引窓」だけが見取りで出ることが多く、「橋本」は2回しか見たことがないし、歌舞伎では見たことがない。国立劇場(日本文化芸術振興会)の伝統芸能データベースにも上演の記録がないのだから当然だが、「抜け雀」を寄席でも録画や録音でも何度も聴きながら気付いていなかったのは不覚だった。試しに、TBS落語研究会の映像をまとめた『古今亭志ん朝全集 上』の解説を見ても、「五代目古今亭志ん生の十八番」と書かれていて、上方落語との接点については何も触れられていない。また、志ん朝の「抜け雀」は、DVD化されたもの以外の若い頃の映像を見ても驚くほど上手いので、私も「古今亭のお家芸」等の評判を鵜呑みにしていた。
 『双蝶々曲輪日記』の六段目「橋本の段」は、山崎與五郎と傾城吾妻が相輿(1つの駕籠に2人で乗る)で駆け落ちする場面から始まるが、そこには、以下のような一節がある。
「勿体なや。野辺の送りの親の輿子が舁くとこそ聞くものを。いかに知らぬといふとても現在親に駕籠舁かせ。乗つた私に神様や仏様が罰当てて。なぜに私を逆様に落して殺して。下されぬ。」(日本名著全集『浄瑠璃名作集 下』から引用)
 なるほど、千朝と志ん朝を見比べてみると、千朝のサゲは浄瑠璃のまま「現在親に駕籠(籠)を舁(描)かせた」である。志ん朝は、というか東京の落語では「親を籠(駕籠)描(舁)きにした」で文句に改変があるのも私が気付かなかった原因の一つだろう。
 「『抜け雀』は志ん朝」と思っていたけれど、芸の世界には様々な面白さがあるものだ。
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2009年01月09日

圓生の「能狂言」

1月8日(木)
 今晩は、7時半過ぎに仕事を切り上げて帰宅。楽しみは、晩酌だけではなく、CSのTBSチャンネルで放映される落語特選会を見ること。6代目三遊亭圓生の「能狂言」が今月のネタ。実際に寄席では聴いたことのない噺だけに、期待して帰って来たのだ。
 あらすじは、以下の通り。
 ある大名が参勤交代で江戸から帰国し、家臣たちに無礼講で能狂言を見せろと言い出す。江戸で見た能狂言がことのほか面白かったからだ。しかし、田舎の家臣たちは誰も能狂言を見たことがないので、知っている者は届け出るよう高札を立てる。そこに、江戸から旅回りに出て食いっぱぐれた噺家2人組がやって来て、怪しげな狂言を見せようとする。演目は何と『仮名手本忠臣蔵』5段目。これを、「忠の二玉」などという妙な題で上演するが、やってみると椿事が起きて…。
 圓生の話しぶりの面白さもさることながら、サゲの部分を見ていて、本物の狂言の本質にハタと行き当たった。落語では、与市兵衛が定九郎に斬られて死んでしまう。しかし、この2人をはじめとする、もともと狂言の知識の不十分な連中は、「狂言は『やるまいぞ。やるまいぞ。』という台詞で終わるものと心得ているから、どうにも続かなくなってしまうのだ。なぜなら、斬られた与市兵衛は、舞台設定で死んだことになっている以上、「やるまいぞ。やるまいぞ。」と声を出すことが出来なくないからである。
 さて、「やるまいぞ。やるまいぞ。」と言えなくなってしまった噺家は、困った挙句に「死んでいる」はずなのにムクと起き上がり、場内の爆笑。しかし、本物の狂言では、登場人物は原則として死なないのである。死者の亡霊がこの世に現れる夢幻能の場合と違って、狂言は、「死」という忌まわしいものとは無縁な作品がほとんどだ。
 中世と近世では、「死」というものに対する感覚が相当違う。戦乱の続いた中世には、「死」は日常と全くの別世界というわけではなかったからこそ、「死」という語が忌み嫌われた。謡曲250番州で「死」が4例しか見つからないのも、そのためであろう。これが近世になると事情は一変。誰も登場人物の死なない浄瑠璃は(『元日金歳越』など)、ごくごく限られている。日本人の死生観を検討する際に、こうした落語から伝わって来る芸能の本質もまた、興味深い参考となりそうだ。
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2008年12月13日

「愛宕山」の歴史

 最近、更新が滞りがちですみません。高3の担任で2学期が特に忙しかったことなど、理由は様々あるのですが、言い訳はこのブログの読者の皆様に失礼ですね。年末年始にかけて、出来る限り書いて行きたいと思います。
 今週は、『和田合戦女舞鶴』という浄瑠璃を久しぶりに読みました。並木宗輔の単独作。享保21(1736)年3月初演。この年、4月に享保から元文へと改元される直前の作品です。現在、文楽では「板額門破り」と3段目切の「市若初陣」だけが上演されています。
 さて、叢書江戸文庫の『豊竹座浄瑠璃集2』で読んだのですが、5段目で怪力の女性板額が悪者の藤沢入道一味をやっつける場面にこんな一節があったのに、前回読んだ時には気付いていませんでした。
「目よりも高く差(さしあげ)上て愛宕山の土器(かはらけな)げ。はらりはらりと投げ散らす。」(表記は一部改めた)
 浄瑠璃の詞章から察するに、落語「愛宕山」でお馴染みの愛宕山の土器投げは、18世紀前半には、もうあったのですね。「愛宕山」という噺はいつからあるのだろうか?などと、想像が広がります。今晩は、「愛宕山」の映像を見ながら晩酌をしようかな。桂文楽(8代目)の白黒映像にしようか、それとも志ん朝の映像にしようか、などと考えただけでも楽しくなってしまいます。
posted by 英楽館主 at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 寄席日和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

さん喬の「柳田格之進」

8月17日(日)鈴本演芸場 夜席
 恒例の権太楼とさん喬の「夏祭り」。あかねこさんがチケットを予約してくださったので、総勢10名で出かけて聴き、存分に楽しんだ。
[番組]
落語    柳家喬之助 「初天神」
太神楽曲芸 鏡味仙三郎社中
落語    柳亭市馬   ?(暫時睡眠。ごめんなさい!)
漫才    ロケット団
落語    柳亭左龍  「お菊の皿」
落語    春風亭一朝 「宗論」
奇術    ダーク広和
落語    柳家喬太郎 「落語大学」?
    仲入
漫才    昭和のいる・こいる
落語    柳家権太楼 「疝気の虫」
紙切    林家正楽  相合傘・東京タワー・大文字・夕涼み・さんま
落語    柳家さん喬 「柳田格之進」
*         *         *
 一朝の「宗論」は、浄土真宗の父とキリスト教に凝り固まった対話が喧嘩にまで発展するという噺。喬太郎は、当初は「粗忽長屋」を口演するつもりで高座に上がって、この日の客層を見て、新作に切り替えたように見受けられた。「テレビや映画で落語ブームと言われた頃に落語協会が社団法人から学校法人に転換して大学を作った。そこに落ちこぼれが入学してくると…」という設定で、「学生食堂のみかんが千円」など、古典落語を踏まえたネタで客の笑いを誘う。仮に「落語大学」とでも名付けておこう。こういう喬太郎を「機を見るに敏」と評価するのか、それとも「芸が世間擦れしている」と批判するか。私は後者だ。どこまで本気で言っているのかわからないが、客席の反応を見ての「今日の客はこういう客なのね」という捨て台詞も好ましくない。芝居の捨て台詞は、基本的には役者同士のやり取りの中で相手の役者に対して「捨てる」ものだが、高座の上での噺家の捨て台詞の受け手は客席のお客以外にはない。木戸銭を払う客に対して失礼な物の言い方だと思う。
 「疝気の虫」は、テレビ放送などでは出にくい噺。権太楼が演じると、虫が暴れる様に愛嬌があって楽しい。正楽の紙切では、「東京タワー」にはゴジラが登場。今度、「エッフェル塔」という題を出したくなった。京都の「大文字」は、8月16日だったから、タイミングのよいネタだった。紙を縦三段に使って、上段に大文字焼き、中段に京都の寺々、下段に眺める人々という構成で技が冴える。風鈴と浴衣姿の男女を鋏で描く「夕涼み」。仕上げの「サンマ」は、落語ファンが喜ぶように「目黒のサンマ」の光景。
トリのさん喬は「柳田格之進」。私は、「柳田格之進」という噺が好きで、CDなどでは何度も聴いているが、実演に接するのは初めて。このところ、さん喬はこのネタをしばしば取り上げて磨いているようだが、5月の国立演芸場での口演の折は、文楽(住大夫の「上田村」)と時間的に重なってしまい、今回ようやく聴くことが出来た。志ん生が演じ、その子息2人が継承したこの噺を、父とは違う結末を工夫した先代金原亭馬生のやり方を選ぶか、父同様のハッピーエンドで結ぶ志ん朝のやり方を取るかに注目して聴いたが、両者の折衷型とでも呼ぶべきさん喬独自の「柳田格之進」を作り上げていた。
 50両の金が出て来た後、志ん生の場合は、「文七元結」の結末のように番頭と格之進の娘を夫婦にしてめでたく終わるが、馬生は、「吉原に身を売った娘は、それを恥じて老婆のように痩せ衰えてしまった」とし、柳田が萬屋と番頭の首を討つ代わりに碁盤を二つに割る場面で飛び散る白黒の碁石を巧みに描き、「柳田の堪忍袋の一席でした」と結ぶ。さん喬は、その両方を結末に盛り込んだ。馬生の脚色には、「自ら承知の上で身を売ったのだから、老婆のように痩せ衰えるのはおかしい」という疑問の声もあろうが、馬生は、武士の中でも清廉潔白を通す柳田父娘の性格を一貫させようと工夫したのだろう。
 私は、「結末はさん喬のように折衷型でもいいのかもしれない。今後は、『柳田格之進』という噺を、結末だけに拘泥せずに聴けばよいのだ」と思った。昨晩のさん喬の口演は、台詞と台詞を続けて間に地の文を挟まない箇所を何回か作り、劇的な緊張感を盛り上げていたという点で、技術的にも見事なものだった。一方で、馬生の口演では印象深く語られる、柳田が、碁の席を重ねながら萬屋の好意に重ねて甘える自分自身を「これではいけない」と自戒する描写が加わって、柳田の人物像が掘り下げられると、もっと味わい深くなるのではなかろうか。落語には、「禁酒番屋」や「二番煎じ」などのように、役得に味を占めて行く武士の姿がしばしば描かれるが、柳田には、そういう役得に溺れない潔白さと頑固さが盛り込まれてよいと思う。
批判めいたことも書いたが、それは今後への期待が大きいから。ともあれ、期待を裏切らない充実した一夜だった。
posted by 英楽館主 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 寄席日和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

文七元結〜落語との出会い

志ん朝の「文七元結」
 ボーナスで、TBSからこの春に出た『落語研究会 古今亭志ん朝 全集上』をようやく入手した。DVD8枚組のうち、まず、1枚目の「文七元結」だけを見る。なんと1時間20分の長講にびっくり。とは言え、長さは全く感じない。
 文七が、左官の長兵衛が投げつけた50両を手に取って、「なんだい、人を馬鹿にしやがって。石ころか何かをぶつけやがって…」と言いながら、手の中の重みが本物の小判だと気付くあたりの目の持って行き方などに思わず引き込まれる。その長兵衛が文七に金をやろうかやるまいか迷い、懐から小判を出したり、また袂に入れたりというくだりの面白さは、映像ならではのものだろう。
 志ん朝の「文七元結」を見ていて、自分と落語との出会いもこの噺だったことを思い出した。あれは確か昭和62年の3月のことだった。歌舞伎座で昼の部に『文七元結』が出て、面白いと思った私は、3日続けて幕見席に通ったりした。私は学生で春休みだったし、舞台の顔ぶれは、中村勘三郎(17世)の長兵衛、坂東八十助(現三津五郎)の文七、そして坂東玉三郎の角海老女房と、役者が揃っていた。そして、原作は三遊亭圓朝の口演だということで、圓生の「文七元結」をLPレコード(最初に聴いたのは圓生百席のスタジオ録音だった)を聴いたのが、私の落語との出会いだった。
 私は、志ん朝と同時代を生きたのに、彼の高座に生で接することはなかった。それは、今となっては取り返しのつかないことだが、歌舞伎の世話物の舞台をたくさん見ていることは、私の落語鑑賞の一つの下地になっている。
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2008年05月14日

4月29日 新宿末廣亭 4月下席

書けるものから、日付順ではなくても、とにかく書いて行こうと思っていますので、見づらいブログになっています。画面を下までスクロールして、各ジャンルごとにお読みいただけたらと思います。
*          *         *
4月29日(祝) 新宿末廣亭
 3ヶ月ぶりに寄席に足を運ぶ。末廣亭は昼夜入れ替えなしなので、昼の部のトリ近くに入って立見。夜席を座って通しで聴いた。
(昼席)
鏡味仙三郎社中:太神楽(鞠・金輪・笠・土瓶の曲芸)
三遊亭金馬:「試し酒」

(夜席)
  前座 林家たい木:「寿限無」
  柳家さん若:「饅頭こわい」
  近藤しげる:漫謡(20分は長いよ!)
  柳家喬之助:芋俵
  柳亭市馬:一目上り
  ロケット団:漫才
  柳家はん治:生簀の鯛
  春風亭栄枝:蜀山人狂歌噺
  アサダ二世:奇術
  柳家小さん:子ほめ
  桂文楽:看板のピン
    仲入
  柳亭左龍:棒鱈
  大空遊平・かほり:漫才
  三遊亭圓丈:手紙無筆USA
  柳家権太楼:長短
  林家正楽:紙切(相合傘・聖火リレー・藤娘)
  柳家さん喬:唐茄子屋政談

 昼席では、仙三郎の土瓶の曲芸が面白かった。口に咥えた棒に土瓶を載せて、手を使わずに蓋を落としたり、回したり。三遊亭金馬の「試し酒」は熟練の味。ゆったりとしたペースだが、耳に心地よい。
 夜席は、前座たい木の「寿限無」から。仲入り前では、市馬の「一目上り」とはん治の「生簀の鯛」が面白かった。新作落語の「生簀の鯛」(勝手にそう名付けました)は、話の滑稽さだけでなく、鯛が泳ぐ有り様などでも笑った。
仲入り後は、左龍、圓丈、権太楼、いずれも充実した高座が続いて小気味よかった。短めに切り上げた紙切の後、トリのさん喬は、大ネタ「唐茄子屋政談」。季節の話題(鯉のぼり)のマクラの後、本題に入ってすぐ、「若旦那」と「お天道様と米の飯はついて来る」の2言で「唐茄子屋政談」だと分った時に、私は、途中で終わってしまうのではないかと思ったが、さん喬は、奉行所で家主への裁きが下りる最後までを、無駄なく、かつ無理なく話が通じるように33分間で語り通した。8時30分ちょうどに高座に上がって、3分間は季節の話題のマクラを振り、残り30分間が本題。場面の変わり目を、細々とした説明がなくても、どう展開したのか観客に即座に納得させる技術と説得力がある。また、若旦那の叔父さんだけでなく、叔母さんの人物造形に凝っているのは、古今亭系の「唐茄子屋政談」とは少し味付けの違っていたところだった。
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2008年01月28日

1月21日(月) 鈴本演芸場

20080120 008.jpg1月21日(月) 鈴本演芸場
 この日は、午前半休で午後から仕事。夕方から会議の後、山と積もった仕事を振り捨てて上野の鈴本演芸場へ。今日から下席である。到着したのが19時過ぎ。五街道雲助休演で、既に、代演の柳家小袁治が高座に上がっていました。以下、この日の番組。
  柳家小袁治:「堪忍袋」
    仲入
  柳家小菊:粋曲
  柳家はん治:落語・新作 やくざの高齢化を扱った噺
  林家正楽:紙切り (羽子板・カルタ取り・雪見障子・三番叟)
  古今亭志ん輔:落語「お見立て」
 はん治の噺は、ネット上で調べると、時々寄席で披露されているようですが、題はわかりませんでした(御存知の方はぜひ御教示ください)。
 正楽の紙切りで「カルタ取り」をリクエストしたのは、実は私です。26日(土)に勤務校で「百人一首大会」があったので、生徒に作品を見せて興味を持ってもらおうと思ったからです。「百人一首大会」だと切りにくいと思ったので、「カルタ取り」という題にしました。
 写真は、切っていただいた作品。左に女性、中央に男性が向かい合ってカルタを取っています。それぞれ着物姿で、女性は帯を締め、男性は羽織を着ているのが、背中の形でわかります。これだけだと他の遊びとの違いがはっきりしませんが、右側の男声がカルタを読み上げる姿があるので、カルタ取りだとわかります。早速、学校で授業中に生徒に見せました。「百人一首大会」という行事は中学生だけなのですが、中学生以上に、古典を教えている高校2年生が面白がっていました。修学旅行で海外も経験している高2は、私の「外国人の友達へのプレゼントにとても喜ばれる。金額の多寡ではなく、興味を持ってもらえるのだ」という紹介にも興味を持ったようです。
 トリの志ん輔は「お見立て」。実は、私は、志ん輔のこのネタは、昨年7月の武蔵野市民寄席以来、この半年で3回目なので、最初は「またか」と思ったのですが、細部が昨年夏よりもさらに掘り下げられていて、これまで以上に楽しめました。具体的には、板挟みになる喜助の「やってられないよ!」という嘆息や捨て台詞に工夫が加えられていたと思います。
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2008年01月23日

1月16日(水)新宿末廣亭 正月二の席

 仕事を早く切り上げて、新宿へ。正月の妙に混み合って落ち着かない寄席は好きではないので、そろそろ空いて来ただろうかと思って出かけたが、どっこい2階まで満席の盛況。私が聴いたのは以下の番組。
 川柳川柳   漫談と軍歌
 橘屋圓蔵  「鰻の幇間」
  仲入り
 太神楽社中  寿獅子
 春風亭一朝 「芝居の喧嘩」
 柳家小袁治 「犬の目」
 古今亭志ん駒 漫談(自衛隊の話題など)
 林家正楽   紙切り(羽子板・横綱・雪見酒など)
 柳家小三治 「小言念仏」
圓蔵の「鰻の幇間」は、最初、話の段取りを頭で思い出しながら話しているという感じだった。この人の落語はちっとも上手くないと思うが、テレビと違って寄席だと明るい人柄が伝わって来るので、退屈はしない。
この日、寄席に来た甲斐があったと思えたのは、太神楽の獅子舞と小袁治の「犬の目」、正楽の紙切りだけ。トリの小三治は、20時30分に高座に上がったが、55分過ぎまでうがい薬の話題や入浴法などの話題で雑談。そのまま終わるかと思ったら、最後は「小言念仏」で、形を取り繕ったという感じ。正月とは言え、せっかく平日に寄席が大入りなのだから、「やっぱり寄席に来て良かった」と思わせるような真剣な高座を務めてもらいたかった。
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2007年12月29日

年忘れ鹿芝居『与話情浮名横櫛』

 昨日は「仕事納め」。昼間は学校で宿題をこなす生徒たちに付き合い、夜は鈴本演芸場へ。今日は、年忘れには格好の鹿芝居。プログラムを紹介しておくと
  落語「狸の恩返し」:金原亭馬吉
  落語「強情灸」:古今亭菊春
  噺とものまね:金原亭世之介
  噺と踊り:蝶花楼馬楽
  リレー『お富与三郎』
   「木更津の見初め」:金原亭馬生
   「赤間の仕返し」:林家正雀
      仲入り
  大喜利 鹿芝居 『与話情浮名横櫛』「源氏店」
    お富:金原亭馬生
    与三郎:金原亭世之介
    蝙蝠安:林家正雀
    番頭藤八:古今亭菊春
    下女お花:金原亭馬吉
    太左衛門:蝶花楼馬楽
 『与話情浮名横櫛』は、今日では歌舞伎の人気狂言だが、元来は講談で、それを瀬川如皐が歌舞伎化したものだけに、落語を含む鹿芝居の公演にふさわしい演目と言える。私も、馬生と正雀のリレーによる『お富与三郎』を一番の楽しみに出かけた。場内は立見が出るほどの満員。落語やものまねで笑った後、リレー落語でまずは「木更津の見初め」。馬生の噺では、「お富は深川芸者」で「深川芸者」には「柳橋芸者にはない特徴があるという説明が面白かった。「見初め」の状況は、浜辺で美男美女の目があって見つめ合うという歌舞伎の演出とは全然違う。2人は料理屋で出会い、お互い相手に惹かれながら、廊下でぶつかるという設定は、生身の役者の演じる芝居よりも生々しい。「赤間の仕返し」では正雀の高座を久しぶりに聴いた。
 鹿芝居で巧拙を云々するのは「野暮」というものだろう。正雀の蝙蝠安を見ながら、この大事な脇役の難しさを改めて認識。蝙蝠安だけではなく、どの役も、日ごろから着物を着ている噺家でも身のこなしが難しかったりする様子を見ていると、日ごろ何気なく見ている歌舞伎が、実に様々な鍛錬の積み重ねで成り立っていることを知る。酒を飲みながら噺を聴ける鈴本でリラックスして楽しんだ。芝居と話芸の世界を重層的に楽しめるのは、本当に豊かな体験だ。
 場内の喝采に答えて、最後は「お富さん」で総踊り。よい年が越せそうな気分で上野を後に家路についた。
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林家正蔵の「淀五郎」再論

12月29日(土)
 一昨日の晩、TBSの落語研究会で林家正蔵の「淀五郎」を聴いたが、幾つか疑問に思った箇所があったので、それを確かめるために、資料のある中野の実家へ。
 正蔵は、私の記憶に誤りがなければ、マクラ抜きで開口一番「天明4年11月、市村座の顔見世興行は…」と噺を切り出したのだが、これが何か根拠のあるものなのかどうか、気になっていたのだ。
 天明4年()という設定は、初代中村仲蔵と4代目市川團蔵が活躍していた時代という点では適切。ただし團蔵は座頭ではない。『歌舞伎年表』によれば、この年は、市村座ではなく控櫓(ひかえやぐら)の桐座(きりざ)で顔見世興行が行われているし、狂言も『忠臣蔵』ではない。
 元々、「澤村淀五郎」という相中(あいちゅう)の役者が塩谷判官を演じたという設定自体が架空のものであろうし、仲蔵と團蔵の世代にズレがあることはかねて指摘されているところだ。「あくまで落語だから」と言ってしまえばそれまでかもしれないが、私は、根拠を伴わないならば、こうした実録風の始め方は適切ではないと思う。
 もう一つ。初日をしくじった淀五郎が團蔵に教えを乞いに行くくだりで、正蔵は團蔵の淀五郎に対する言葉の最後で「まずい役者なんか生きてたってしょうがない。死ね。」と言っていたが、この「死ね」が妙に鮮明に響いてしまって違和感を覚えた。「死ね」が、言葉の流れの中にうまくはまっていなかったから、浮いてしまったのだ。昨日は書いていなかったけれど、これも正蔵の拙さでとても気になった点だ。
 私が「淀五郎」にこだわるのは、芝居噺は絶好の芝居入門であり、誰が口演するにせよ、これを聴いた観客が「やっぱり『忠臣蔵』を見ておかなくちゃ」と思うような芸を聴かせてほしいと願うからである。別に正蔵に悪意があるからではない。ただし、「正蔵」を名乗るからには「若手」などという言い訳は通用しないと考えている。
posted by 英楽館主 at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 寄席日和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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