2008年04月13日

エッセンヘ

20080331 037.jpg3月29日(土)その1
 今回の旅行で初めて、ホテルで朝食を摂った。荷物をまとめ、電車でエッセンへ。ヴッパータールからエッセンへの直通電車は30分に1本で所要時間40分。武蔵野線で西船橋から南浦和へ行くくらいの感覚だろうか。
 今日は、エッセンのオペラハウス、アールト劇場(アールトは建築家の名前)でワーグナー『タンホイザー』のプレミエがあるのだが、チケットはまだ手に入っていない。エッセンは、オペラハウスが密集するノルトライン・ウェストファーレン州でも、ここ数年もっとも好調の劇場で、デュッセルドルフなど、近郊の都市からもオペラ・ファンが集まって来る劇場だ。私も、今日、うまくチケットが手に入れば5回目になる。音楽総監督のシュテファン・ショルテスが振る公演を選んで観ているが、これまで観たヴェルディ『ルイーザ・ミラー』、R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』、ヤナーチェク『イェヌーファ』、R.シュトラウス『ばらの騎士』は、いずれも期待にそぐわない優れた舞台だった。演出は、極端に斬新なものは少なかったが、今回の『タンホイザー』は、大胆な演出で知られるハンス・ノイエンフェルスが演出するということで、特に話題を呼んでいる。さて、チケットがうまく手に入るだろうか。
(写真は劇場内にあるアールトの胸像)

2008年04月10日

上岡敏之指揮ヴッパータール響

20080331 034.jpg3月28日(金) その2
 昼寝をしてから、ヴッパータール交響楽団の本拠地、ヒストリッシェ・シュタットハレへ出かける。今晩は、ここで上岡敏之指揮ヴッパータール交響楽団のチャリティー・コンサートがある。今日は、「知的障害を持つ人への音楽療法」のためのチャリティー・コンサートである。会場ロビーには「音楽療法」の紹介をするプロジェクターなども置かれていたのが、普段とちょっと違っていた点だ。プログラムは以下の通り。
指揮:上岡敏之
ヴァイオリン:神尾真由子
管弦楽:ヴッパータール交響楽団
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
同:交響曲第1番作品68
 客席が、私がこれまで聴いた上岡&ヴッパータール響に比べて寂しいのが気になったが、これは後で聴くと、イースターの休暇で人が集まりにくい時期だからだそうだ。それでも、いつもの通り、中央の客席には市長さんが聴きに来ている。この日は、チャリティー・コンサートで最初にスピーチもした。私が上岡敏之&ヴッパータール響を本拠地で聴くのは4回目なのだが、彼は必ず聴きに来ている。上岡さんとヴッパータール響の演奏会は、いつも最後は場内総立ちになってしまうのだが、注意深く観察してみると、まず最初に、ど真ん中の席の市長が立ち上がって拍手をし始めるので、その周りの人が立ち、真ん中で目立つから影響も大きくて、結局、場内総立ちという光景が毎回繰り返されているように思う。日本の自治体の首長で、そこまで「おらが町」のオーケストラを愛している人に、私は未だ嘗て出会ったことがない。
 さて、前半のヴァイオリン協奏曲は、日本の神尾さんがソリスト。上岡さんによれば、彼が就任して以来、日本人のソリストで演奏するのは初めてのことだと言う。日本人同士だからということではなく、ブロン教授が神尾さんを推薦したので、今回の共演が実現したそうだ。神尾さんのソロは、ソロ自体の技術はあって、良く言えば若くて活きがいいけれど、オーケストラとの呼吸など、もっともっと練り上げてほしいと思う部分が少なくなかった。例えば、第1楽章では、上岡さんが、17小節目から、音の大きさではなく深さを求めるような仕草を見せたけれど、神尾さんは、それに反応していなかったと思う。でも、彼女は、ブラームスはまだ2度目だそうだから、これからもっと良くなることを期待したい。
 後半は、交響曲第1番ハ短調。一昨年、日本で読売日響と演奏した時と、基本的なアプローチは変わらない。ただ、今回の演奏会は定期演奏会ではなくチャリティー・コンサートで練習時間が少ないのと、復活祭で休暇中の団員が多いのとで、完成度という点では、日本公演でのブルックナーやチャイコフスキーほどではなかったのが残念だ。
 こちらで聴いていると、シューボックス型のヒストリシェ・シュタットハレの響きがいいのと、オケのパート間のバランスが違うのとで、日本のオケで聴く時よりも音の遠近感をはっきりと感じられるように思う。特に、木管の音が「前に出て来る」という感じは、日本のオーケストラでは味わえないものだ。第1楽章の序奏では、後半で、上岡さんがヴァイオリンを抑えて内声を聴かせようとした時に、第1ヴァイオリンの音がさっと引く感触がよかった。こういう瞬間には、オペラで声と共演した経験がものを言う。第4楽章は、トロンボーンで提示され、最後にトランペットと弦楽器で奏でられるコラールの部分が遅いのと、第1主題提示で、メロディーの輪郭を聴かせる部分と内声をきれいに響かせる部分とを、2小節毎に意識的に分けて振るなどの解釈は、日本での演奏と変わらなかった。
(写真は、ヒストリシェ・シュタットハレの内部。終演後に撮影。)

2008年04月07日

一路ヴッパータールへ

20080331 031.jpg3月28日(金) その1
 朝、ウィーンを発ってデュッセルドルフに飛ぶ。空港から列車でヴッパータールへ。12時ちょうどに駅に着いて、ホテルに向かってスーツケースを転がしていると、オーケストラのメンバーに出会う。「ゲネプロは?」と訊くと、「もう終わったよ」という答えで残念。市内で昼食と買い物。こちら(ヨーロッパ)に来て、いつものパターンで、シャツや靴などの日用品を買い続けている。シャツは11枚目。スーツケースの容量を考えたら、そろそろ終りにしなければならないと思う。ちなみに11枚合計の値段を計算してみると、ちょうど230ユーロ。1枚あたり約20ユーロですから、ブランド品の買い物をなさる女性の皆さんに比べたら、たいした出費ではありません。いろいろな店でばらばらに買っているので、免税の対象にもならない程度ですが、日本ではサイズの関係で買い物の際に「選択の自由」がない館主にとって、ドイツで衣類を買うときはただのLサイズなので、買いたいものが次々に出て来るのです。
(写真はヴッパータール市の名物、懸垂式モノレール)

2008年04月05日

ウィーン国立歌劇場『ナクソス島のアリアドネ』

20080331 019.jpg3月27日(木) その2
 今日の国立歌劇場はR.シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』。短いけれども、とても気の利いた佳作だと思う。旅程を立てる時に、各劇場のホームページで『アリアドネ』を見かけると、つい旅程に組み入れてしまう大好きな作品だ。ウィーンのプロダクションは、1980年と数年前に2回日本でも上演されているが、見損なっている。フィリポ・サンジュスト演出のプロダクションは1976年にカール・ベーム指揮で制作されたもので、以来32年、今日で147回目の上演とのこと。こんなに上演を重ねることは、日本では考えられない。今日の主な出演者等は下記の通り。
  指揮:フリードリヒ・ハイダー
  演出・美術:フィリポ・サンジュスト
  音楽教師:ミヒャエル・フォレ
  作曲家:ミヒャエラ・ゼリンガー
  テノール歌手(バッカス):ランス・ライアン
  ツェルビネッタ:ダイアナ・ダムラウ
  プリマドンナ(アリアドネ):KSアドリアンネ・ピエチョンカ
  ハルレキン:アドリアン・エレド
  スカラムッチョ:ペーター・イェロジッツ
  トルファルディン:ヴォルフガング・バンクル
  ナヤーデ:ジェーン・アルキバルト
  ドリヤーデ:ロクサナ・コンスタンティネスク
  エコー:エリザベッタ・マリン
 今日は、ギャラリーの立見席(2ユーロ)で観る。昨日の『パルジファル』と違って、それほどは混んでいないだろうと思ったら大間違い。20時開演は、立見を狙う地元のファンにとっても仕事と両立しやすい時間だからだろうか。それとも、今シーズン初回のアリアドネだからだろうか。
 個人的な好みを述べると、私が『アリアドネ』好きなのは、序幕が好きだからである。わずか45分ほどの会話調のドタバタ劇だが、メゾ・ソプラノがズボン役で歌う「作曲家」が最後で歌う「Mut ist in mir.(勇気が湧いて来た。)」以下のくだりが大好きだからだ。この作品をヨーロッパでつい観てしまうのは、来日公演のオペラでは、歌手を大勢必要とするために上演されにくいこと、日本人歌手ではズボン役の水準が低く、多くを望めないことが理由である。今日の「作曲家」は、ミヒャエラ・ゼリンガー。プログラムによれば、ウィーン国立歌劇場でこの役を歌うのは初めてとのことだが、高音までムラなく歌えるし、演技もしっかり出来ていて好感を持った。名前を覚えておくことにしよう。
 休憩を挟んで、「オペラ」に入ると、韻文調の歌詞になる。アリアドネ役のピエチョンカは、いつの間にか宮廷歌手(KS)の称号をもらっている。私が彼女を初めて聞いたのは、1995年暮れのウィーン国立歌劇場の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のエファ役で、その時は、まだ若くてプリマドンナ役には心細いという印象だった。正直言って、1987年に東京で聴いたルチア・ポップのエファが耳から離れていなかったから、「ウィーンまで来てこの程度か」とがっかりしたものだけれど、以来10年余り、あまり重い声の役に手を出さずに自分のレパートリーを維持して、立派なプリマドンナに成長した。ただ、声が軽めなので、「孤独」や「苦悩」の表現力にはまだまだ研究の余地があるかと思った。
 ツェルビネッタのダイアナ・ダムラウには場内から大喝采。軽い声で大きな声ではないけれど、コロラトゥーラの技術には安定感があり、しかも、広い国立歌劇場でも、歌っている言葉がきちんと聴こえるから、文句なし。その後、バッカスが登場するまでのナヤーデ他の3人の女声のアンサンブルがいい。ここは日本で見ると退屈しがちなところなのだけれど、「オペラ」冒頭のアリアドネに絡むところは少し不安定でも、ここはしっかりと歌っている。レパートリーの公演でも、こういう箇所は1回だけ、コレペティトゥーアと一緒に練習しているのだろう。
 バッカス役のテノール、ランス・ライアンは、この日がウィーン国立歌劇場デビュー。経歴の紹介を見ると、ここ数年はドイツのカールスルーエで歌っていたとあるので、もしかしたら『ワルキューレ』のジークムント役などで聴いたことがあった歌手かもしれない。日本に帰ってから確かめてみよう。ライアンは、まだ若く、軽めだが、高音のよく伸びるヘルデン・テノールで、これからが楽しみな人材だと思った。
 日本で名前を知られている歌手はいないけれど、アンサンブル役の歌手も含めて、音程の悪い人がいなくて、心地よく楽しめた『アリアドネ』だった。ミヒャエル・フォレの音楽教師やアドリアン・アレドのハルレキンも聴かせ所は少ないけれど、よく歌っていたし、ちょい役のトルファルディンとは言え、昨晩クリングゾルを歌ったヴォルフガング・バンクルが舞台上で踊って演技をしているタフさには感心。演出は、「オペラ」で周りの役の歌手たちがアリアドネに絡むことが少なく、演出家の「解釈」は稀薄な舞台だった。
(写真は、ストロボを発光しなかったので暗いのですが、国立歌劇場の2階ロビーにあるリヒャルト・シュトラウスの胸像です。R.シュトラウスは、一時期ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めていました。)

ようやく時差が取れそうだ!

20080331 028.jpg3月27日(木) その1 ようやくぐっすり眠れる!
午前中は市内を散策。いつものことだが、午前2時に目が覚め、4時まではベッドの中で眠ろうとするが、しっかりとは眠れず、4時過ぎからは日記を書いたりして過ごす。8時半過ぎにホテルを出て、ベルヴェデーレ上宮のオーストリア・ギャラリーでココシュカ展をやっているというポスターを見たので、市電を乗り継いで行ってみると、10時開館。寒くて外で待つ気にはなれないので、市内中心部へ。その後は、市電や市バスを次々と乗り継いで、本当にぶらぶらと散策。地下鉄1号線の南の終点ロイマンプラッツの市場で豚の膝のグリル(3.5ユーロ)の昼食。ホテルで昼寝。目が覚めたら18時。今日は、オペラの開演が20時なので、思い切り昼寝をすることが出来た。旅行4日目で初めて「眠れた!」と実感できる睡眠。これで時差もなんとかなるだろう。
(写真はベルヴェデーレ宮殿から眺めたウィーン市街。中央奥に小さく見えるのがシュテファン大聖堂)

ウィーン国立歌劇場『パルジファル』

20080331 016.jpg3月26日(水) その2 ウィーン国立歌劇場『パルジファル』
 目が覚めたら16時30分。ぐっすり眠って、寝過ごしてしまった。慌てて身支度をして国立歌劇場へ。今日は、ワーグナーの『パルジファル』で、長いので17時半開演なのだ。席を確保し損なっては一大事と国立歌劇場に急ぐ。西駅を17時の地下鉄に乗っても、17時15分には劇場に着くから、旧市街から遠いとは言っても、それほど不便ではない。なぜかチケットは買い手市場で、入り口でチケットを売っている人が何人もいる。まず立見席(2ユーロ)を買ってから「売ります」という人のチケットを物色して、結局、65ユーロのギャラリー中央2列目を45ユーロで売りますという人から買う。同じギャラリーのハルプ・ミッテ(斜めから舞台を見る席)を44ユーロで熱心に勧誘してくれたおばちゃんがいたのだが、少しも勉強する気がないようなので、断った。その後、立見席の2ユーロの券も転売して、客席へ。今晩のキャストは以下の通り。
  指揮:クリスチャン・ティーレマン
  演出:クリスティーネ・ミーリッツ
  アンフォルタス:ファルク・シュトルックマン
  ティトレル:エイン・アンガー
グルネマンツ:シュテファン・ミリング
  パルジファル:トマス・モーザー
  クリングゾル:ヴォルフガング・バンクル
クンドリー:藤村美穂子
ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団ほか
 第1幕は、演奏に少し雑なところがあった。オーケストラの音量は大きいのだが、ピタッと合っている感じではない。グルネマンツ役のシュテファン・ミリングは、大きな体躯に支えられたバスで、低音域までしっかり出る。語るように歌えるという点でも、クルト・モルに代わる人材だと思う。以前、私がウィーンで前の演出の『パルジファル』を見た時はクルト・リドルがグルネマンツだったが、朗々と歌い過ぎるように思った。ただ、ミリングは、第1幕では、台詞が怪しいところが少しあった。ワーグナーの台本を覚えるのは歌手にとって大変な苦労なのだが、それでも、グルネマンツは自分の台詞を他の役の歌手以上にしっかり覚えていなければならない。聖杯を守り続ける彼は、自分の思いついたことを歌うのではなく、自分が心の中に温め続けて来たことをパルジファルに語って聞かせる役なのだから。まだ若い(40代?)みたいだから、これからのバス歌手としてミリングの名前を覚えておくことにしよう。
 第1幕後半で、シュトルックマンのアンフォルタス王が出て来ると、舞台は一変した。単に声量が豊かというだけではなく、これだけ苦悩の表現力に満ちたアンフォルタス王は初めて聴いた。アンフォルタス王というと、どうも「女性の誘惑に負けた」という先入観が強いのだが、『パルジファル』の幕が開く前の出来事はともかくとして、現在進行形で苦悩する王の表現として、今回のシュトルックマンの歌いぶりには感服したし、「誘惑に負けた」ことを論拠にアンフォルタスの人物像を否定的に捉えなくても、「傷を負って初めて経験した深い苦悩の只中にいる王」という風に、人物像を捉えなおすきっかけになるような気がする。ティトレルは役者が布を顔に被って演じていて、声はPAから聴こえる。トマス・モーザーのパルジファルは、巨体で棒立ちの感があったのが残念。
 第1幕は、演出の全貌をつかめなかったのが残念。ギャラリーから見ていると、舞台奥に映し出されている映像が全く見えないのだ。せりは頻繁に動かされているが、これも正面から見た人物の位置取りを変えるためであって、上から見下ろしていると意図がわからない。聖杯を礼拝する場面では、聖杯そのものを大きくしたような舞台装置がせり上がると、下に子供たちの姿があるが、これが何を意味しているのかも理解できなかった。
 クリングゾルとクンドリーが活躍する第2幕。バンクルのクリングゾルは、申し分なく歌えている。クンドリーは、最初は黒い下着姿で、パルジファルが登場すると花の乙女達といっしょに赤いドレス姿になるが、途中からそれを脱ぐと、白い衣装に変わる。赤い靴のままの姿が艶かしいが、パルジファルに「知」を授ける役にふさわしい姿に変身するということだろうか。第2幕は、藤村さんのクンドリーに耳を傾けるだけではなく、オペラグラスでも藤村さんをしっかり見てしまいました。
 第3幕は、ミリングのグルネマンツが安定していた。クンドリーは、白い作務衣のような衣装に短い髪という、第2幕とは打って変わって性的な魅力を押さえ込んだ姿で登場。最初に叫ぶ以外は、ほとんど歌う箇所はないのだが、藤村さんは、しっかりと演技をしていた。彼女のクンドリーは、全体にとても立派だったと思うが、何しろ、今の演出のプレミエはアンゲラ・デノーケが歌ったし、それ以前は、長い間、ワルトラウト・マイヤーが歌っていた役だけに、ウィーンのお客さんの耳は厳しい。カーテンコールでは、グルネマンツ以下トマス・モーザー以上という反応だった。私の聴いた印象では、第2幕で、しっかり歌えているけれど、軽くなってしまう箇所がある。バイロイトでも歌ったフリッカほどには、まだ役作りが出来ていないように感じられるが、きっと、舞台を重ねるにつれて、もっと深みのある役に仕上げてくれることだろう。ワーグナーの中でも、一番謎の多い役だけに、藤村さんの「クンドリー像」を聞く機会があればぜひ聞きたいと思った。
 場内の反応は、ティーレマンの指揮に大喝采。確かに、私がこれまで聴いたティーレマンの中ではいい仕事だったと思うが、登場しただけで「ブラヴォー」がかかると、首を傾げたくなる。正直言って、「へえ、こんなに人気があるんだ!」と驚いた。第1幕はオケのまとまりが今一つだったが、第2幕以降は小さな身振りでじっくりと音楽を引き出していた。特に第3幕は、遅めのテンポで一つ一つの響きの美しさが味わえる演奏だった。
(写真はムジークフェラインザールの階段にあるワーグナー像)

マリアヒルファー通りを散策

3月26日(水) その1
昨晩もあまり眠れなかった。午前中は近所を散策。今回は西駅近くのイビス・ホテルに泊まっているので、マリアヒルファー通りをうろうろ。古本屋でレクラム文庫の安いのなどを買う。昨晩の雪は、夜の間に除雪されていて、転んだりする心配はない。このマリアヒルファー通りは、ブランド品ではない店が並んでいるので、私にとっては都合がいい。昼過ぎにたくさんの食料品を抱えてホテルに帰り、たくさん食べ、たくさん飲み、昼寝をする。せっかくウィーンに来たのだから、建築なり絵画なりも観に行きたいが、時差が取れないと、オペラで眠くなってしまうから、今は怠惰な生活をすることが肝心なのだ。

2008年04月03日

ブルックナーを演奏する際の編成について

3月25日(火) その5 
 ブルックナーは以前からとても好きな作曲家だが、昨年秋ぐらいから、彼の交響曲を演奏する際には、どんな編成を選ぶかが非常に大事だと思っている。
 そう考えるきっかけになったのは、去年秋に聴いた3つのブルックナーの演奏だ。
1.交響曲第5番変ロ長調 児玉宏指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(9月)
2.交響曲第7番ホ長調 上岡敏之指揮 ヴッパータール交響楽団(10月)
3.交響曲第5番変ロ長調 クリスチャン・ティーレマン指揮 ミュンヘン・フィル(11月)
 こう書くと、私を変人だと思う人もいるだろうが、私にとってあまり面白くなかったのが3.のティーレマン&ミュンヘン・フィルの第5番だった。確かにドイツのオーケストラの音の重みを感じる瞬間もあったけれど、管楽器がいわゆる※「倍管」で、楽に音が出てしまう分、表現の深みがないと感じたからだ。逆に1.の児玉宏と大阪シンフォニカーの演奏が、予想以上の好演。ホルンだけは1番にアシ(アシスタント)がついていたが、それ以外の木管・金管は楽譜の指定通りの数。そして、弦楽器も経営の苦しい楽団だけに、それほどの大編成ではなかった。だが、第4楽章の終わりまで聴くと、大阪シンフォニカーの持っている力が最大限に結集されているという感動と説得力があった。
 もう一つ、興味深かったのは、2.の上岡敏之とヴッパータール交響楽団の演奏が、12型(第1ヴァイオリン12名)というごく普通の編成(在京のオーケストラは、現在、ブルックナーを演奏する場合、16型を採用することが多い)で、管楽器もアシスタントなしの編成だったが、限られた編成を最大限に活かし、息の長いフレーズを積み重ね、じっくりとブルックナーの時間の流れを作り出していて感動的だったことだ。
 ブルックナーの交響曲の本質として、けっして忘れてはならないことは、祈りとカトリック独特の法悦感ではないだろうか。ブルックナーは、後期の交響曲で、後者を音楽的に表現するための工夫を重ねている。それに対して、「祈り」の感覚は、ブルックナーの交響曲(とりわけ緩徐楽章)に初期から晩年まで一貫してあるものだ。第5番や第7番の場合は、スケルツォの第3楽章を除く全ての楽章に「祈り」の要素があると言っても過言ではない。私は、「倍管」や、25日のグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラのブルックナーには、教会で礼拝に出席した時に、同席した方の「お祈り」をスピーカー越しに聞かされるのに似た矛盾を感じるのだ。
「祈る」とは、口先ではなく、心の奥底からの思いを言葉に託すことであり、その言葉に耳を傾けて聴けば、よほど広すぎる教会でない限り、聴き取れるし、祈りが伝わるものだ。話題が少し逸れるが、日本の古語には「念ず」というサ行変格活用の動詞があって、@「祈る」A「我慢する」の両義があるが、いずれも心の奥底からでないと出来ない行為を表している。ブルックナーを演奏する際にも、「祈る」ことと「辛抱する」こととは表裏一体なのではなかろうか。ここでの「辛抱」は、音量を自在に大きくするのではなく、より深みのある音やより息の長いフレーズを求めて音楽作りをすることだと思う。
※ 倍管…オーケストラ曲の演奏の際に、管楽器奏者の数を楽譜本来の数の倍にすること。それによって、ソロ奏者の負担を減らすと同時に、音量の強弱の幅を広げることができる。

ひさびさにムジークフェラインへ

Musik 012.jpg3月25日(火) その4
 汽車に乗って、ウィーンに戻る。天候が悪いせいかダイヤが乱れていて、私が乗ろうと思っていた14時48分発のウィーン行きは、15分以上遅れて通常とは違う2等車だけの編成で到着。どうやら同じ列車のザルツブルクで増結予定だった車両だけが先に走って来ているようで、車両数が少ないので、車内は相当な混雑。なんとか座れたので、ウィーンまでの2時間、うとうとと居眠りをして過ごす。
 今晩は、フォルクスオパーに行けばプッチーニの『トゥーランドット』が観られたのだが、久々にムジークフェラインに行くことにする。今日はプッチーニではなくブルックナーを聴きたいと思ったからだ。内容は以下の通り。
19時30分 ムジークフェライン大ホール
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
ヴァイオリン独奏:レオニダス・カヴァコス
グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
 チケット売場で「安いチケットがいい」と言って舞台後方の席を買ったのだが、席に座ってみて、失敗したと思った。32ユーロなのだが、最高席も39ユーロで、たった7ユーロしか違わないのに、全然舞台が見えないのだ。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートなどで御覧になったことのある方も多いだろうが、オーケストラに間近な舞台後方両脇の席である。ところが、この席は床が階段状になっていないので、私が買った4列目になると、前の席の大柄な人たちに遮られて、オーケストラが全然と言っていいほど見えない。頭を動かして隙間から覗くようにすると、指揮のブロムシュテットの顔と、まるで車のワイパーのように動く彼の棒の先の方が見えるだけ。その代わり、真横には同じ高さでティンパニーや打楽器、一段下にはファゴットやクラリネットが並んでいる。サントリーホールのPブロックなどのようにオーケストラの外側の高いところから見下ろす座席とは全く違うというわけだ。
 ところが、ベルクの協奏曲が始まってみると、不思議な面白さに出会った。独奏者はよく見えないけれど、音はよく聴こえる。打楽器や木管楽器の音が一つ一つはっきりと聴こえるので、ソロとオーケストラの各パートとの絡みがこれまで通常の客席で聴いていた時とは違う次元で把握できるのだ。第2楽章にバッハのコラールの引用があるのは有名だが、クラリネット奏者から見ると、「過去の作品の引用」というよりも、「それまでの流れとは違う新しい音楽を自分たちが創り出す」と言った感覚なのではないだろうか。トライアングルやシンバル、大太鼓の面白さなども伝わって来た。
 カヴァコスの独奏も、ベルクの作品に対する共感が十分に伝わって来るものだった。重音の音程などもまずまずしっかりしていて、安定感がある。日本を発つ前に聴いたジュリアン・ラクリンなどのようにカヴァコスよりも後から出てきて、もう演奏がおかしくなっているソリストもいるが、カヴァコスは、焦って売り出さずに自分の道を歩んでいるヴァイオリニストの1人かと思う。
 グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラは、EUの若い音楽家たちから選抜されたメンバーで成り立っているので、「日本人」はいないが、日系の音楽家は含まれている。休憩時に、ロビーに出ようとするとオーケストラのメンバーとすれ違うのだが、ちょうど今回のツアーに参加している日系のお2人とすれ違ったので、話しかけてみた。2人とも日本語よりは英語やドイツ語の方がいいみたいだったが、「日本語でいいですよ」と言ってくださったので、日本語で話す。日系人かどうかはメンバー表を見ればすぐわかるのだが、彼らないし彼女たちを日本語で表記する場合には、「漢字でどう書くか」という課題が生じるので、私は、機会があれば話しかけることにしているのだ。1人は第2ヴァイオリンの原すみれさん。もう1人は3番オーボエ(コール・アングレ持ち替え)の雪乃・トンプソンさん、彼女は日本名(母方の姓?)は「上地雪乃」さんだそうだ。
 後半のブルックナーは、ちょっと期待外れ。その年によってパート間のバランスが異なるのはユース・オーケストラの常だが、今年はホルン、オーボエ、ティンパニーがちょっと弱い。これはブルックナーの交響曲においては致命的。私の視点では、特にティンパニーが痛手。第1楽章序奏の分散和音の全奏なども、ティンパニーにどういう音や役割が求められているかに対する想像力に欠けているし、第4楽章で1拍目と2拍目が4分音符の連打になっている箇所は、全て2拍目が弱い。この第4楽章のフーガ主題冒頭の4分音符の連打は、他の楽器は原則としてオクターヴになっていて、音楽が上滑りしないような仕掛けになっているのだが、ティンパニーだけ、そう言った構造を考えないで叩いている。
 もう一つ、そしてこれが最大の欠点なのだが、弦が20型という異常な人数で、しかも若手の腕利きが揃っているから、やたらと鳴る。鳴らすことで終わってしまって、深い音楽、第2楽章などでは「祈り」の音楽を掘り下げることが出来ていない。こういうブルックナーは、私にとっては共感できない。
(写真は、バックステージ席から写したムジークフェライン大ホール)

2008年04月01日

リンツ市内散策

20080331 011.jpg3月25日(火) その3  リンツと言えば、ブルックナーのほかにモーツァルトの交響曲第36番が思い出される。サンクト・フローリアンを後にして、バスと市電を乗り継いで市内の中心部に出かけた。
 だが、雪が強くなってきて、軽装の身には歩くのがつらい。日本が暖かかったし、ドイツが暖冬だと聞いて、出発直前の確認を怠っていたのだが、こちらは雪で、寒いのだ。それなのに、私はシャツに背広だけで、コートもセーターも何も持っていない。雪温が低く、強い風で雪が身体一面に吹き付けられると、とても歩いていられないので、ビルの中のお店に入って買い物をする。モーツァルトの足跡に関係のある場所には行くことは断念。またの機会にしよう。
 リンツは、来年2009年のEUの文化首都になるのだそうで、観光案内所にもその旨が掲示されていた。オーストリアでは、数年前グラーツが文化首都の任を務めたことがあるが、市の財政負担が大きく、翌年以降はかえって劇場などの予算に窮したと聞いている。リンツ市がその二の舞にならないことを祈りたい。
(写真は、リンツ市中心部を流れるドナウ川。下流のウィーン方向を望んだ画像。)

ブルックナーと私

3月25日(火) その2 
 ブルックナーの交響曲が好きになったのは、中学生の頃だったから、もう30年も前のことになる。当時、私が自分の意志で聴きに行けたのは、チケットの値段の関係で都響だけだったが、朝比奈隆指揮の特別演奏会で交響曲第4番「ロマンティック」を聴いたのは、1978年、ちょうど30年前の春のことではなかっただろうか。私が中3になった時のことだ。記憶が正しければ、前半は海野義雄の独奏でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番だったはずだ。
 他に、今は群馬交響楽団に時々客演しているマルティン・トゥルノフスキーというチェコ人の指揮者で3番を聴いたこと、当時の都響の首席指揮者モーシェ・アツモンの指揮でも7番、8番などを聴いたことを覚えている。特に、アツモンが最初に客演した時のプログラムがブルックナーの7番で、当時の都響としてはフレーズの息の長い演奏に仕上がっていたことように思う。
 家でもレコードやテープでブルックナーをしばしば聴いていたが、何しろ木造平屋の古い家に住んでいたし、私以外は誰もブルックナーなんて知らないから、母からしばしば「もっとボリュームを落としなさい」と叱られた。たぶん、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルの4番のレコードだったと思う。ブルックナーの交響曲を御存知の方ならすぐにお分かりになるだろうけれど、特に第4楽章などは、休符の後でいきなりフォルティッシモになるから、そこで叱られたのである。もちろん私は、「そんなことをしたら、ピアニッシモの時に聴こえなくなるし、オーケストラのいろいろなパートの音が聴こえない」と反論して、親の言うことなど聞き入れなかった。
 閑話休題、以来30年、機会のあるたびにブルックナーを聴き続けてきたが、いまだにその全貌には到達できていない。今回も、サンクト・フローリアン修道院の売店で、この修道院での音楽会のライブ盤を買って来た。デニス・ラッセル・デイヴィス指揮のリンツ・ブルックナー管弦楽団の演奏で交響曲第8番第1稿である。第8番も、稿の問題をしっかり把握するには、気の遠くなる時間が必要とされるように思う。ブルックナーは、私にとって、一生かけて登る高い山のようなものである。

サンクト・フローリアンへの「巡礼」

20080331 002.jpg3月25日(火)その1 
 いつものことだが、眠れないし時差が取れない。昨晩20時にベッドに入ってしまったので、深夜0時過ぎには疲れているのに目が覚めて、その後はなかなか寝付けずに苦しむ。いつも酒を飲んで寝ても眠れずに苦しむので、今回は飲まずにベッドの中にいる。シャワーを浴びてみたりするが、一度、少しうとうとしたくらいで、朝までたいして眠れない。
 朝、9時半にはホテルをチェック・アウトする。荷物を預けて、バスでサンクト・フローリアンへ。サンクト・フローリアンは、修道院の名前がそのまま町の名前になっていて、リンツ市の南隣に位置する。リンツ中央駅からの距離は16キロ。バスは20分余りで到着。中央駅脇のバス・ターミナルから1時間に1本くらいの割合で出ている。サンクト・フローリアン行きのバスだと修道院の前が終着だが、私の乗った Sierning 行きのバスだと、町の真ん中のバス停から5分くらい、坂を登って行くことになる。
 修道院の礼拝堂は無料で公開されているが、地階にあるブルックナーのお墓はガイドさんと一緒にツアーでないと観られない。ガイドさんに鍵を開けてもらい、見学する。堂の左右に、宗教者たちの棺が並んでいるが、ブルックナーの棺は、一番奥の中央に、台に載せられて安置されている。場所は、教会の入り口に一番近いあたりで、教会の祭壇の位置を考えると「末席」なのだが、頭を祭壇の方へ向けて安置されているのだと思う。ブルックナーの棺のすぐそばに簡素な十字架を壁に塗りこんだ小さな祭壇がある。
 私は思わず涙がこぼれそうになった。「ブルックナーはいつも神の近くにいるのを見ることが出来た。ブルックナーの精神は永遠に神の近くにあることを知った。心からありがとう。」と、拙いドイツ語でお礼を言い、順序が逆になったが、続いて上階の教会を見学して、サンクト・フローリアンを後にした。
 お墓を見学して、こんなに感動したことはいまだかつてない。ブルックナーという音楽家が、一生、オルガン演奏や作曲といった音楽を通じて自分の信仰を表現し続け、その結果、多くの宗教家以上に大切に自らの愛した修道院に今も葬られている。そして、彼の音楽に心を惹かれる私のような時代も住んでいる国も遠い、カトリック信者でもない者が、今も彼のもとを訪れる。音楽というものが、量りがたい大きな力を持っていることを改めて感じた瞬間だった。
(写真はサンクト・フローリアン修道院)

2008年03月30日

かろうじて!出発

3月24日(月)
 朝、荷造りをしてから千葉の旅券事務所へ行って旅券を受け取り、その足で成田から出国。11時50分発のオーストリア航空52便でウィーンに飛ぶ。幸い、飛行機は定刻の16時(現地時間)に到着し、バスでウィーン西駅へ。そこから列車でリンツへ移動し、19時頃にリンツ着。リンツ泊。
 ヨーロッパは復活祭を過ぎたが、まだ3月の最終日曜ではないので冬時間。8時間の時差があるので長い1日だ。いつものように、飛行機ではとんと眠れない。もともと眠れない上に、隣の席のツアー旅行の老人がよく席を立つし、仲間が話しかけにきたりするから、ますます眠れない。アイマスクをかけて寝ようとしている私の頭越しに大声で話すから、「いい加減にしろ」と言いたくなるが、まあ我慢して、席を立つ時にわざとゆっくり立つくらいにする。既にリタイアした老夫婦の世代は、私たちの世代以上に男性のほうが「物知り顔」をするので、耳に入ってしまうと吹き出したくなるような珍講釈を聞かされて、せっかくうとうとしていたのに目が(耳が?)冴えてしまうこともある。
 マイルの特典席に残席があったのでオーストリア航空を予約してしまったが、今のオーストリア航空のウィーン〜成田線は特に眠れない。機種がエアバスA340からボーイング777に変わってしまったためだ。777は747よりも機体が小さいのに、エコノミーは747と同じ3−4−3で1列10席の配置なので、他の機種よりも通路が狭い。よって、客室乗務員がカートを引いて往き来する時に乗客にぶつかる回数が格段に多いのだ。そういう意味では、オーストリア航空はお勧めではない。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。