2009年08月06日

ガーデンプレイスクワイヤのハイドン

 8月は、コンサートを聴く予定が少ないが、昨晩は、ミューザ川崎に、広上淳一指揮日本フィルを聴きに行った。値段が手ごろなのと、めったに生で聴けないハイドンの『テ・デウム』ハ長調がプログラムに入っていたのが、この公演を聴こうと思った動機。合唱は、「ガーデンプレイスクワイヤ」。何も知らずに、ただハイドン目当てで行ったら、この合唱団がとても上手い。アマチュアだけれども男声メンバーが充実していて、しかもノン・ヴィヴラート唱法で統一されている。19時からのプレトークにも登場して(そういう場で、1人でしゃべりまくるのではなく、仲間の音楽家たちを紹介して行くのが広上淳一の魅力の1つとして光っていた)、合唱指揮の中島良史の指揮でヘンデルの『メサイア』の「ハレルヤ・コーラス」を聴かせてくれたのだが、もうこの1曲で、今日は聴きに来て良かったと思ったくらいだ。おそらく、指揮の中島良史が、ちょっと他の合唱指揮者にはないくらい丁寧に各声部を勉強して指導に当っている成果と、メンバー1人1人が高い意識を持って練習に取り組んでいることの現われなのだろう。フレーズを保持すべきところでは伸びのある声が、音楽に動きのある場面(「ハレルヤ・コーラス」の場合は8分音符が続く箇所)では、立体感が感じられる。英語も聴き取りやすい。

 本公演のプログラムは以下の通り。
 広上淳一指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
 F.J.ハイドン:『テ・デウム』ハ長調Hob.23c-2
 J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番二長調 BWV.1050
  ヴァイオリン:江口有香 フルート:高木綾子 チェンバロ:曽根麻矢子
 メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調 作品90 「イタリア」

 やはり面白かったのはハイドンの『テ・デウム』。合唱がラテン語をしっかりと表現して、曲の魅力がよく伝わって来るように感じられた。ハイドンの珍しい宗教作品と言えば、5月末にオーケストラ・リベラ・クラシカが『サルヴェ・レジーナ』を演奏する機会があったけれど、『サルヴェ・レジーナ』に比べると、『テ・デウム』は緩急の変化などが効果的で、10分ほどの演奏時間だけれど、表情が多彩に感じられる。
 ブランデンブルク協奏曲は可でも不可でもない演奏。3人の独奏者の中ではフルートの高木が最も安定していた。臨月近い大きなお腹だったけれど、ソリストとして通用する音を持っている。この人は、いわゆる「Jクラシック」系での出演が多くて、在京オケの演奏会でも定期演奏会に出演する機会が少なかったので、私はソリストとしては初めて聴いたけれど、名曲コンサートばかりに出演しているのはもったいない気がする。ヴァイオリンの江口のソロは、特に第3楽章のリズム感に物足りなさを感じる。6拍子で1拍目・4拍目以外での動きのリズムがピタッとはまらないのは、易しいソロとは言え、準備不足じゃないだろうか。曽根のチェンバロは、第1楽章の長大なソロの後半、3連符で動く箇所で、バロック的な装飾の豊かさよりもラプソディックな雰囲気に流れてしまうのが疑問。
 最後のメンデルスゾーンは下品。音楽の作り方もだけれど、何よりも広上のうなり声なのか鼻息なのか、とにかく彼の口から口三味線のような不快な音が鳴り続けているのは、耳障りで興醒めだった。
posted by 英楽館主 at 11:28| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイドン 2009 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

続けて聴く楽しみ ザロモン・セット後期への期待

続けて聴く楽しみ ザロモン・セット後期への期待

 今週金曜日(2月20日)のザロモン・セット連続演奏会第3回を前に、ザロモン・セット後期の作品の魅力について、少しだけ書いてみたい。
 第99番から第104番までの6曲は、いずれも魅力あふれる傑作ばかりだが、読者の皆様の中で1曲ごとのイメージをお持ちでない方には、私は、「まず愛称を持たない第99番と第102番に注目していただきたい」と申し上げたい。

交響曲第99番変ホ長調 Hob.T-99

 ハイドンが第2回のロンドン旅行に出発する前にウィーンで書き上げた第99番変ホ長調は、さまざまな意味で、ウィーン古典派の交響曲の雛形のような作品だ。ザロモン・セット後期6曲の中でも、均整美とハイドンの持つ典雅さが一番自然に表現されていると言ってもいいだろう。理由が2つあるように思う。
1つには、この作品が、ロンドンの聴衆と離れたウィーンで作曲されたことが大きく影響しているのではなかろうか。長年、エステルハージー侯に仕えて、聴衆の好みに合わせて作曲する苦労も味わっていたハイドンのことだから、ロンドンに到着後は、ザロモンの助言やオーケストラの具体的な事情に影響された部分があるのではないかと思う。それが、ハイドンだけでなく、この時代の作曲家にとってごく自然なことだったことは、モーツァルトの後期交響曲の1曲ごとの味わいと作曲の経緯を照らし合わせれば、誰でも納得できることにちがいない。
もう1つは、クラリネットの使用という具体的なポイントである。第1回のロンドン旅行の時までは、ザロモンのオーケストラにはクラリネット奏者がいなかった。第2回のロンドン旅行を前に、今度はクラリネットが使えると知って、ハイドンは、第99番ではクラリネットに重要な役割を担わせた。フルートとオーボエは同じ動きをする箇所が少なくないが、クラリネットは、ファゴットとは違う動きを担うのである。第1楽章の主部を繰り返しまで聴けば、すぐに聴き取れるだろう。
ザロモン・セット後期では、第102番を除く5曲でクラリネットが使われている。だが、ロンドンのザロモンのオーケストラのクラリネット奏者はあまり上手くなかったらしく、第100番以降の5曲では、クラリネットの響きが単独で弾けるような瞬間は見られない。

交響曲第102番変ロ長調 Hob.T-102

 ハイドンの全交響曲の中でも、オーケストラの潜在的な「運動能力」が一番発揮される作品ではないかと思う。それは、オーケストラ全体が同じリズムで動く箇所が多いからだ。オーケストラでは、通常、楽器間のリズムの違いが、言わば鎹(かすがい)のような役割を果たしていて、各楽器が拍を合わせようとするとテンポを自由には動かせなくなるものだ。だが、皆が同じリズムだと、全員で揃ってテンポを動かすことが出来る。そうした箇所では、悪い意味で「走って」しまうこともあるが、「山が動く」ような醍醐味を味わえる可能性も秘めている。
第2楽章は全部で60小節あるが、その54小節目、つまり結び近くのフォルティッシモ(弦楽器はff、トランペット以外の管楽器とティンパニはf、トランペットはお休み)で全楽器が同じ6連符で動く。しかも、最初の6つの音符は管楽器も含めてスタッカートがあり、残りの音には弦も管もスタッカートがないという細部までリズムが揃っている。
 第4楽章冒頭の主題も、フレーズの後半で全楽器が8分音符になるところは、間を詰めながら演奏することも可能な箇所だ。フランス・ブリュッヘンと新日本フィルは、どんな「瞬間芸」を見せてくれるか、楽しみな部分である。
   *          *          *
 残りの4曲にも、簡単に触れておこう。
 第100番(通称「軍隊」交響曲)は、第2楽章の打楽器に注目。この響きと味わいを頭に入れてモーツァルトのピアノ・ソナタ「トルコ行進曲付き」を聴き直したりすると、曲のイメージが変わることもありますよ。
 第100番(通称「時計」)は、ハイドンの全作品の中で、最も流麗な1曲。フルートの響きが前面に出て来るのも、この曲の持ち味だろう。
 第103番(通称「太鼓連打」)は、まず、冒頭の太鼓をどんな風に打たせるかに注目。記譜通りにあっさりとやるのか、それとも、カデンツァ風にやるのかがポイントだ。第2楽章は、ザロモン・セット後期の中で唯一、短調の陰翳が味わえる楽章だ。第4楽章は、冒頭と再現部で2度現れるホルンが印象的。いわゆる「ホルン五度」が典型的に味わえる。この楽章はトランペットの響きも輝かしく、古典派の金管の響きが満喫できる。
第104番(通称「ロンドン」交響曲)は、ハイドンの全交響曲の中でも、最も「間(ま)の大きさ」が感じられる1曲。なぜなら、アレグロ、2分の2拍子の第1楽章主部で、他の同じテンポ、拍子の曲とは違って、8分音符ではなく4分音符が多用されているからである。ハイドンの交響曲の終着点にふさわしいスケールの大きさが感じられる1曲だ。
     *           *           *
CDで聴くなら
 CDで「予習」をするのは好きではないけれど、せっかくの機会のためだから、2枚だけ紹介しておこう。第99番の魅力を知りたい方にはラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団のライヴ録音(Orfeo)をお勧めしたい。現代の音楽学の成果を踏まえた演奏ではないが、この曲の楽しさが溢れ出る名演だと思う。第103番で、冒頭のティンパニをカデンツァ風に叩かせている実例としては、ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(Teldec)を。コンセルトヘボウの木管の響きも魅力的だ。
   *          *          *
 ところで、実は私は2月28日(土)の最終日の演奏会を聴けない。勤務校で高3の担任をしており、卒業式前日で生徒の指導を抜けられないためだ。1年間担任した生徒の晴れの日のためだから、さすがに諦めざるを得ない。どなたか、お聴きになれる方は、ぜひこのブログにもコメント欄などでレポートをお寄せください。
posted by 英楽館主 at 14:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイドン 2009 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブリュッヘン&新日本フィルのハイドン 第3弾

ブリュッヘン&新日本フィルのハイドン 第3弾

2月15日(日) 15時 すみだトリフォニーホール

フランス・ブリュッヘン指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

ハイドン:交響曲第94番ト長調 Hob.T-94
     交響曲第98番変ロ長調 Hob.T-98
     交響曲第97番ハ長調 Hob.T-97
     *          *          *
交響曲第94番ト長調 Hob.T-94

 今回のブリュッヘン指揮によるハイドンは、力任せの演奏ではない点に最大の特色があるように思う。同じブリュッヘンの指揮でも、18世紀オーケストラと録音していた頃とは違う音楽が出て来る。そこに、時とともに変化する音楽の面白みがある。
 連続演奏会の第2回は、「驚愕」の愛称で親しまれている第94番から始まった。ブリュッヘン指揮の94番は、率直に言って私の思い描く94番のイメージとは違っていたが、そこに、スコアの見直しのための視点を見出すことが出来たように思う。
 私が94番が好きなのは、特に第2楽章と第4楽章の後半で、古典派交響曲の様式感の中で目一杯のスケール感が感じられるからだと思う。とりわけ第2楽章で、131小節でトランペットが加わってから142小節のフェルマータに向けて突き進んで行くような10小節余りが、一番好きな箇所である。ここでハイドンの作曲が巧みなのは、管楽器の16分音符の進行を弦楽器が6連符で受け継ぐ点だろう。
 ブリュッヘンは、基本的に、「刻み」の音符で弦楽器にスピカート(速い楽曲の8分音符やゆっくりの楽曲の16分音符などで弓を飛ばして弾く奏法)を使わせない。138小節以降の弦楽器の6連符でも、いわゆるベタ弾きをさせる。だから、同じ現代楽器のオーケストラでも、かつてこの曲を得意としてよく演奏したオイゲン・ヨッフムなどの演奏とはかなり違ったイメージで聴こえるのである。「楽譜にスタッカートがないから弓は飛ばさない」のが正しいのか、それとも、「スピカートで弓を飛ばすのは、楽譜に書くまでもない自明のこと」なのか、古典派の交響曲では頻繁に使われる奏法だけに、ハイドンに限らず、幅広く考えるべき課題を与えられたような気分だ。
 ところで、ブリュッヘン指揮の演奏に話題を戻すと、ヴァイオリンとフルートのピッチがよく合っていて、木管と弦の音の重なる音色を繊細に楽しむことが出来た点に特色を感じた。例えば冒頭のフレーズでも、2回目はフルートが加わって音が豊かになるという感触がよく出ていた。第1楽章のテンポは、今回のシリーズの中では速めの選択がなされているが、これも、「ヴィヴァーチェ・アッサイ」という楽譜の指示(93番や96番は、前回触れた通り、「アレグロ・アッサイ」)と関連があろう。

交響曲第98番変ロ長調 Hob.T-98

 よく、「テンポが速い」とか「遅い」と言うけれど、今回のザロモン・セットの連続演奏を聴きながら、交響曲のテンポについての印象と言うのは、弾く側にとってはともかく、聴く人にとっては、第1楽章の主部で全体の印象が大きく左右されるものだと、改めて感じている。98番の第1楽章は、アレグロで2分の2拍子だが、かなり遅く感じられた。後期の6曲では、100番と104番が同じ設定になっているが、ブリュッヘンはそこでどんなテンポを採るだろうか。だんだん、先を考えながら楽しめるようになって来た。
 98番は標題や愛称を持たないが、一度でも聴いたことのある人には印象に残る作品だ。第4楽章の後半になって、フォルテピアノ(またはチェンバロ)が加わるからである。今回は、『天地創造』に引き続いて渡辺順生が担当。約30分の演奏時間の中で、フォルテピアノが加わるのは最後の30秒くらいなのだが、ガラッと音色が変わる時にバロック的な趣味がひょっこり顔を出す面白さがある。

交響曲第97番ハ長調 Hob.T-97

 この日は、97番がとても面白かった。ハイドンのハ長調の交響曲と言えば、「熊」の愛称を持つ交響曲第82番の方が演奏頻度が高いように思う。私の記憶では、この曲を生で聴けたのは3度目。カザルス・ホールでの全曲シリーズの際の大野和士指揮の演奏と、アダム・フィッシャーがN響の定期に登場した時ぐらいしかこの曲の記憶がないが、今回は、82番から97番までの間に、ハイドンの音楽がどれだけ「進化」したのか、いろいろな発見や実感があって楽しかった。
 第1楽章の第1主題は、10小節あまり一気呵成に流れて行く勢いの良さが特色だ。まるで、風を受けながら駆け抜けるランナーのように颯爽とした風情がある。序奏なしに第1主題から始まる82番の第1楽章が、休符でぶつ切れになっているのとは対照的だ。ただし、音楽には運動と似ているところがあって、動き続けるよりは、動きをストップする方が、力感が伝わりやすいところがある。ちょうど、歌舞伎の見得と同じようなものだ。だから、97番第1楽章に込められた音楽の太い流れは見落とされやすいのだと思う。今回、それに気がついたのは、演奏のフレージングの良さと、ハイドンの音楽の細部にこちらの神経が行き届くような連続演奏会という環境のせいではなかろうか。
 第1楽章は展開部が長めで、再現部にも展開の要素が織り込まれている点にも、ハイドンの円熟が感じられる。第4楽章も、流れの良い音楽の中で多彩な展開と転調が繰り広げられるところに、他の交響曲にはない97番特有の魅力があふれている。また、この終楽章では、トランペットとティンパニに8分音符が盛り込まれた時の力強さが心地よい。これは、ハ長調というねじれのない調性からもたらされるものだろう。
 1曲ごとの妙味やそれぞれの調性に特有の味わいを楽しませてくれたブリュッヘンと新日本フィルに心から拍手!
 この日のアンコールには、ピアノフォルテが加わる98番の第4楽章が、再び演奏された。
posted by 英楽館主 at 13:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイドン 2009 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

実演で聴く楽しみ/実演で味わうスリル

 フランス・ブリュッヘンと新日本フィルのハイドン・プロジェクトが進行中。あと2回、2月20日(金)に交響曲第99番から第101番、28日(土)に交響曲第102番から第104番の演奏会が残されている。
 ザロモン・セット後期の6曲だけでも、同じ指揮者とオーケストラで聴ける機会は貴重だ。しかも、その指揮者が、いろいろな意味で洞察力にあふれる演奏をするフランス・ブリュッヘンなのだから、これを聴き逃す手はない。
 これまで、4回の演奏会のうち3回を聴いたが、生の演奏会ならではのハプニングもあるし、連続演奏会ならではの発見も数多い。演奏内容以外の側面についても、少し書いてみよう。
     *          *          *
 ハプニングと言えば、95番の第3楽章冒頭で、第1ヴァイオリンのメンバーの弦が切れるという出来事があった。演奏中に弦が切れるのはそれほど珍しいことではない。たいがいの場合、楽器が順番に送られて行き、一番後ろのプルトで弾いているメンバーが弦を替えに楽屋に戻る。また、最初から予備の楽器を後ろに置いて演奏する場合にある。ところが、メンバーにとって特に気合の入っている演奏会など、特別な場合には、変則的な対応が出て来ることがある。今回の場合もそうだった。
 2月11日(祝)の演奏会報告でも書いたが、新日本フィルのメンバーは、今回のチクルスでは、普段以上に音程に気を遣いながら演奏している。楽器を順繰りに回してしまうと、自分以外の人のチューニングで弾かねばならないから、せっかく気を遣っているはずの音程に影響が出るのは必至だ。彼女も、まず、「ここで楽器を取り替えたら、みんなが戸惑う」と考えて、第1ヴァイオリンというチーム全体での音楽作りを優先した。しかし、彼女はコンサートマスターの隣に座っているから、楽譜をめくらなければならない。第2プルトよりも後ろだったら躊躇はいらないが、楽器を送らずに自分が楽屋に戻って第1プルト裏の奏者がいなくなってしまうと、全体の要であるコンサートマスターが、譜めくりの時に演奏をストップしなければならなくなる。ここで彼女は板挟みになって困っただろう。
 では、彼女はその時どうしたかと言うと、第3楽章の冒頭で弦が切れたまましばらく弾き続けて、ダ・カーポのところで自分自身で楽屋に帰って弦を取り替えた。後でライブラリアンの方にパート譜を見せていただいた(さすがに、スコアは持っていてもパート譜までは持っていませんから)のだが、交響曲第95番の第1ヴァイオリンのパート譜は、第3楽章では譜めくりはなく、第4楽章の展開部に入るところで1度だけ踏めくりがある。そこには1拍だけ休符があって、コンサートマスターも何とか譜めくりが可能だ。
 彼女は、きっとそこまで考えて、自分自身で席を立ったのだろう。この時、指揮者のすぐ近くから舞台袖の扉まで行く彼女の歩き方が良ければ「満点!」だったけれど、ちょっと慌てて楽屋に戻ったのは御愛嬌というものだろう。それよりも、新日本フィルのメンバーが、今回の演奏に神経を払って、真剣に取り組んでいることが伝わって来たことを、ここに紹介しておきたい。定期演奏会でいつも新日本フィルを聴いている会員の皆さん、これだけ真剣勝負の演奏会を聴き逃すのは「もったいない」ですよ!
posted by 英楽館主 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイドン 2009 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブリュッヘン&新日本フィルのハイドン 第2弾

ブリュッヘン&新日本フィルのハイドン 第2弾

2月11日(祝) 15時 すみだトリフォニーホール

フランス・ブリュッヘン指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

ハイドン:交響曲第96番ニ長調 Hob.T-96
     交響曲第95番ハ短調 Hob.T-95
     交響曲第93番ニ長調 Hob.T-93
     *          *          *
交響曲第96番ニ長調 Hob.T-96

 今回のザロモン交響曲連続演奏会は、作曲年代順で96番から始まった。番号順でないということにも大きな意義を感じる。例えば、後で詳しく述べるが、93番にどんな実験や進歩が含まれていたかが、演奏からよりはっきりと伝わるからである。
 96番の冒頭では、まず、ノン・ヴィヴラート奏法を取り入れた新鮮さを感じる。ノン・ヴィヴラートなんてありきたりとお思いになる方もあるだろうけれど、オーケストラというものは、楽団毎に固有の響きがあるから、いつも聴いている楽団がノン・ヴィヴラートをやると、やはり新鮮に感じるものだ。(むしろ、外来の楽団をノン・ヴィヴラートで聴いてもありきたりに感じられることは当たり前なのではなかろうか。)
ノン・ヴィヴラートだと、弦楽器はパート内の音程のずれがより鮮明になるので、音程の精度が上がる。ブリュッヘンと新日本フィルの共演も2週目に入って、音程が合って来たことを96番の冒頭で実感した。『天地創造』の時だって、同じ新鮮さがあったはずなのだけれど、あの時は、それよりも久しぶりに『天地創造』の深遠な序奏を聴く喜びに舞い上がってしまっていて、それに気づかなかったのかもしれない。加えて、ニ長調の主和音の分散和音をユニゾンで鳴らすという96番の始まり方だからこそ、私の鈍い耳にも音程の精度の違いが伝わって来たということもあろう。
96番で一番興味深かったのは、第1楽章のクライマックス(194小節目)。ここは、トランペットのファンファーレが加わって、いつ聴いても鮮やかな箇所だ。たいがいの指揮者は、191小節から194小節に向かって「パパパンパンパンッ」というリズム3回の繰り返しをクレッシェンドで演奏するが、ブリュッヘンは、191小節目でトランペットにしっかりと入らせて、自然な感じで音を減衰させて行き、194小節で文字通りのフォルティッシモで鳴らすというやり方。確かにスコアにはクレッシェンドはない。「自然なスタイル」とは何かということについて、先入観を払拭して考え直すいい機会となった。

交響曲第95番ハ短調 Hob.T-95

 ハイドンが書いた最後の短調の交響曲。ハ短調という調性は、52番でも使われていてハイドンの円熟が垣間見られるという点でも、後世、ベートーヴェンが多用するという面でも興味深い。私は、実演であれ、CDであれ、スコアであれ、この曲に接するたびに、この曲がなかったら、ベートーヴェンの第5交響曲はあり得なかったのではないかと思う。
力感漲る開始を頭に思い描いていたが、ブリュッヘンの入り方は、力みがない。ちょっと肩透かしを食ったような気分になったが、後からスコアで確認すると「なるほど」と思う。最初に聴いた96番の第1楽章のクライマックスは全楽器がffだけれど、95番の冒頭は、弦楽器だけがffで、管楽器とティンパニはフォルテなのである。曲が進行して行くにつれて私の中の違和感はなくなり、締めの音の響きを、乱雑に弾き切らずに収めて行くようなフレーズの作り方にも好感を抱くようになった。
とりわけ面白かったのは第4楽章だ。ソナタ形式とフーガが組み合わさったような個性豊かな楽章の魅力が余さずに伝わって来た。第1小節の2拍目、ダウンの弓で入った第1ヴァイオリンとアップの弓で入ったヴィオラの音の膨らみが交錯する瞬間の心地よかったこと!「展開部」に突入する78小節目でフォルツァンドの付いている第2ヴァイオリンとヴィオラの音が第1ヴァイオリンの音を突き抜けて来る時の感触は、まるでマラソンでスパートをかけたランナーが集団から飛び出す瞬間のような醍醐味を感じた。管楽器もピッチが揃っていて小気味良い好演。

交響曲第93番ニ長調 Hob.T-93

 第1楽章の主部、アレグロ・アッサイに入ったところで、大事なことに気付いた。ブリュッヘンは、96番の第1楽章の主部アレグロ・アッサイと同じテンポ設定で演奏している。調も同じニ長調、拍子も同じ4分の3拍子だから、ごく自然なことなのだけれど、同じ指揮者で同じ日の演奏でなければ実感できないことだ。
 かつて、カザルス・ホールが開館した時に、新日本フィルがハイドンの交響曲全曲を演奏したことがある。あの時は、毎月1回、3曲ずつ演奏して行ったので、ザロモン・セットにさしかかった時は、91番から93番という演奏会で93番だけを取り上げて、翌月まで「お預け」になってしまったことを今でも覚えている。しかも、毎回指揮者が変わったので、いろいろな指揮者との出会いがあった反面で、失ってしまったものも大きかった。休憩を挟んで、同じコンサートで96番、95番に続けて93番を聴けるのは本当に楽しいことだ。
 第2楽章でティンパニが入っている新鮮さ、あるいは豊かさを実感する。96番でも第2楽章にティンパニが使われているのだけれど、96番はフォルテとか、あるいは楽譜にはフォルテと明記されていなくても、音楽の輪郭が明確な箇所にのみティンパニが使われている。それに対して、93番では、ティンパニに強弱の指示がしっかり付いていて、弱音でのティンパニの活躍が面白い。他のセクションの響きの縁取りに留まらず、ソロ的な性格に一歩踏み出していると言ってもよい。
もう1つ、93番に込められた、94番の第2楽章を先取りするユーモアを楽しむことが出来たのも、大きな収穫だった。具体的には、73小節・74小節で、4拍目にティンパニだけが音を出すソロ(スコアにも「Solo」と書かれている)や、第3楽章の76小節目(スコアでは、他の楽器は4分音符なのにトランペットだけが2分音符。ファゴットの響きが残ったように感じられたのは私の耳の錯覚か?)などである。
創意工夫が、スケールの大きさと諧謔とにつながっていた93番だった。拍手に答えて93番の終楽章がこの日のアンコール。改めて、ハイドンの交響曲1曲1曲の楽しさを実感した演奏会だった。
posted by 英楽館主 at 14:52| Comment(1) | TrackBack(0) | ハイドン 2009 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブリュッヘン&新日本フィルのハイドン 第1弾

ブリュッヘン&新日本フィルのハイドン 第1弾

2月6日(金) 19時15分 すみだトリフォニーホール

フランス・ブリュッヘン指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
ソプラノ:マリン・ハルテリウス(天使ガブリエル、イヴ)
テノール:ジョン・マーク・エインズリー(天使ウリエル)
バス:デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(天使ラファエロ、アダム)
合唱:栗友会(合唱指揮:栗山文昭)
ハイドン:オラトリオ『天地創造』
     *          *           *
 『天地創造』は、ハイドン1人の最高傑作というだけでなく、ウィーン古典派の最高峰。『旧約聖書』「創世記」が題材だけに、他の作品ではあり得ないほどにハイドンのインスピレーションを刺激した作品だと思う。にもかかわらず、日本では、実演に接する機会がそれほど多くない。今回は、ブリュッヘンの指揮だけでなく、チューリヒ歌劇場で幾度も聴いたマリン・ハルテリウスや、ブリテンのオペラで何度か聴いたジョン・マーク・エインズリーなど、歌手もこの公演のために招聘されているので、大きな期待をしながら錦糸町のすみだトリフォニーホールに向かった。
 序奏から、この作品でしか味わえない深遠な響きをじっくり味わう。デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソンの天使ラファエロは、声も歌もしっかりしていたが、何よりも語り手としての自覚や「役作り」がしっかり出来ていたことが好ましい。特にラファエロのレチタティーヴォは、音楽と語りとが交互に進行し、世界が少しずつ「成立」して行く部分なので、「自分の声を聴かせる」のではなく、「テクストの意味をしっかり伝えよう」というバス歌手の意識が演奏全体のカギを握ってしまうからだ。
 世界が形成されて行く第1部、第2部で、ハイドンは、まず音楽で「もの」を描写し、それから、それらが「言葉」で名付けられてゆくという順番で、音楽と言葉が同時進行にならないように作曲をしている。そこには「哲学」があると言ってもいい。ブリュッヘンと新日本フィルが描く「世界」のさまざまな「もの」や「現象」は、わかりやすいが、けっして過剰な表現にならない。これも、今回の演奏の良さの1つだろう。
 栗友会の合唱も、声量で勝負せず、フーガでも混濁しない各声部の明晰さが、ブリュッヘンの指揮の方向性とマッチしていた。エインズリーのテノールは、声量は小さめだったが、繊細な歌い方を評価したい。少し物足りなかったのはハルテリウスのソプラノ。声楽の技術には問題ないが、「役作り」が不足。第九のソロなどとは違うオラトリオの難しさであろう。なお、この公演については、週刊『オン☆ステージ新聞』2月20日号(13日発売)に批評を書いた。一部、論旨の重複はお許しいただきたい。
posted by 英楽館主 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイドン 2009 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。