2011年12月24日

木下杢太郎記念館

12月23日(祝)
 ぶらりと伊東に行く。たぶん28年か29年ぶりくらいだ。地魚で一杯飲んだりして市内を散策。木下杢太郎記念館を訪れてみた。
 木下杢太郎(1885〜1945)は、本名太田正雄。東大医学部に学び、医師としても活躍。東北大医学部の教授を経て母校東大医学部の教授も務めている。詩人としても著名だが絵も上手い。学才だけでなくセンスも豊かだった人物だ。
 記念館の展示で個人的にとても興味深かったのは、杢太郎の姉が中島歌子の主催する萩の舎で和歌を学んでいたということで、杢太郎の姉が同じ萩の舎に学んだ樋口一葉と2人で写った写真があったことだ。また、複製だが一葉から杢太郎の姉に宛てた手紙も展示されていた。18日(日)に甲府で一葉の展示を見たばかりの私には面白かった。手紙(複製)の字を見ると、山梨で私が感じたのと同じことを改めて思う。もう一点、興味深いのは、展示の案内にも記されている通り、一葉が髪を結っていない写真は珍しいということだ。髪を結うことは、写されることを意識していたということに改めて気付かされた。
 杢太郎が昭和5年の『サンデー毎日』に寄せた「伊東温泉」という短文が展示されていたが、当時の案内には「熱海線の終点熱海で下車し、自動車で一時間二十分」と記されている。現在の伊東線がまだ開通していないだけでなく、短名トンネルの開通までは東海道本線も御殿場回りだったからだ。鉄道の好きな人にとって興味深い記述かもしれない。
 生家は、スリッパに履き替えて土間から見るという展示形態になっていたが、竃が残されていて生活感が感じられるのが面白かった。この秋、10月下旬には修学旅行の引率で沖縄に行き、識名園で復元・保存されている屋敷を見たし、11月下旬には墓参のために鹿児島に行き、そのついでに知覧の武家屋敷に立ち寄ったけれど、観光客向けの展示を、上がり込んで廊下を歩きながら見たり庭から見たりすると生活感はない。旧家の展示も、見る者がどこに立つかで、見る者の想像力への刺激が違うものだと思った。
 帰り際に「百花譜」の絵葉書を買う。杢太郎が昭和18年から2年あまりにわたって描いたものだ。杢太郎は終戦の2か月後、昭和20年10月15日に胃がんのため亡くなっているが、最晩年は言葉ではなく絵を残した。表現の自由を奪われていた時代に、いったいどんなことを思いながら描いたのだろうか。描き手の心中を思うと、絵の上手さを手放しで称えるだけでなく、いろいろと考えさせられる。椿の変種「わびすけ」を描いたもの一枚は、昭和19年4月5日に和辻哲郎から贈られたものを描いたという。私的な贈り物が、描かれたことによって歴史に残り、杢太郎と和辻哲郎との交遊を我々に教えてくれる。
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2010年10月11日

サントリー美術館「誇り高きデザイン 鍋島」展

10月3日(日)

 学校説明会で朝から出勤。12月までの間にこうした日曜出勤が計6回、他に三鷹市文化祭の関係での出勤もあるから、日曜日が休めるのは平均すると2週間に1回という感じだ。当然、能やオペラ、コンサートなどは行けないのだが、授業のある日に比べると早く帰れるので、美術館は、閉館18時のサントリーなら間に合う。この閉館時間の1時間の違いはとても大きい。同じく会員になっていても出光美術館に足を運ぶ回数が少ないのは、時間の問題ゆえである。
 8月から開催されている「鍋島」展は、開会直後に一度見たが、この日再見。重要文化財にも指定されている鷺の絵柄の逸品(九州陶磁器文化館蔵)は9月20日までの展示で、もう見られなかったのが残念だが、2度目の観覧も、発見があって面白かった。
 今回の展示は、似た絵柄の有田焼の名品も参考出品されていて、これまでなんとなく感じていた鍋島の気品のようなものが、その控えめな色遣いから生まれていることが目で確認できたのが収穫の一つ。そして、この日は、蜘蛛の巣の文様の皿が印象に残った。糸で張られた巣だけを描き、蜘蛛を描いていないからだろう、抽象度の高い絵柄になる。じっくり観ていると、17世紀の日本の焼き物に、20世紀のパウル・クレーの絵に通じる新しさを見出すことが出来る。
 焼き物の展示を見るたびに心を惹かれる鍋島の魅力の秘密を知るよい機会となった。
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2010年05月04日

遅ればせながら「長谷川等伯展」

5月3日(祝)
 昼過ぎから京都国立博物館へ。友人たちと連れ立って東京で見損なった長谷川等伯展を見に出かけた。京阪七条駅から地上に上がると、早くも「ただ今40分待ち」のプラカードを持ったアルバイトが出現。恐る恐る出かけてみたが、案ずるほどではなく、実質30分待ち、日傘やテントなど待つ人への配慮もそれなりに行き届いていた。
 館内はかなりの混雑。まあ、やむを得ないだろう。展示の質が高く、北陸の諸寺をはじめとして全国から等伯の作品を出来る限り集めていることや、近年の長谷川等伯研究の成果を踏まえていることが、私のような門外漢にもよく伝わって来る。

 第1室は北陸時代の絵仏師信春時代の作品が集められていたが、これらの精緻さには、後の屏風絵や障壁画の傑作に脈々と連なる正確なデッサン力が既に現れているように感じられた。もう1点、法華宗(日蓮宗)に帰依する心の深さも特筆すべきであろう。等伯の絵を見ていると、日蓮宗にも昔は(現在とは大いに違って)立派な僧がいたことがよく伝わって来る。以上2点は図録に解説されている内容とも重複するが、展示を見て特に実感したことである。
 例えば後半43番の「柳橋水車図屏風」の柳の枝には、1本につき100枚以上の葉が描かれている。1本の幹に50本以上の枝が描かれているから、ざっと見積もって柳の木1本につき5万枚以上、おそらく6万枚くらいの葉が描かれていることになる。屏風全体で、いったいどれだけの柳の葉が描かれているのだろう。もちろん、この時期には等伯1人ではなく工房で描いていたということも考えられるが、それにしても、隅々まで等伯の意志が明確に表現された作品であることは疑う余地を感じない。44番、「萩芒図屏風」の萩の精密な描き方にも同様の感銘を受ける。満開ではなく5分咲きくらいの萩の美しさが1枝1枝丁寧に描かれている。細部にこだわり、かつ、全体像を明晰に提示できる構成力とデッサン力。もう1点、42番「松に秋草図屏風」は、とりわけ左上に描かれた葉が立ち上がるかのような感触が味わい深かった。
 国宝「松林図屏風」に対する感銘も、そこまで見て来た作品の延長上にあると思う。それは、音楽を聴く時に、例えばベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタや最後の弦楽四重奏曲を聴いて、ベートーヴェンの世界の積み重ねを実感する時の感覚(「第九交響曲」と言った方がわかりやすいかもしれないが、「第九」はそれまでの8曲の単純な延長上と捉えきれないから、あえてピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲をあげておきたい)と共通するものがあると感じた。

 最後に、等伯展に出展された絵画と演劇との関連についても少しだけ言及しておきたい。27番「西王母図」は、西王母の伝説や能「西王母」に興味を持つ人には面白いだろう。そして47番「弁慶昌俊相騎図絵馬」(北野天満宮蔵)は、『菅原伝授手習鑑』の脚色をしていた作者たちが北野天満宮を訪ねて目にしていたならば、『義経千本桜』の構想にも影響を与えた可能性を考えられるのではないだろうか。

 様々に楽しみ、いろいろな想像を自由に馳せた1時間半だった。
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2010年03月21日

「麗しのやきもの」展

3月21日(日)

 昨晩からの強風で総武線が止まっていたが、運転が再開されたので、早めに家を出る。新国立劇場の『神々の黄昏』は14時開演だが、早めに江戸川を渡って、落ち着きたいと思ったからだ。出光美術館に立ち寄って、明日までの「麗しのやきもの〜日本やきもの名品選〜」を見る。もっと早く見ようと思っていたのだが、ついつい先延ばしで会期末になってしまった。

 すべて館蔵品でこれだけの展覧会を開けてしまう出光美術館のコレクションには恐れ入るが、やきものは全くの素人の私の目にもレベルの高さは説明不要という展覧会だ。私が面白いと感じたものを幾つかあげておこう。

野々村仁清:白釉耳付水指
 耳(持ち手)が下の方に付いている全体のデザインが面白い。もっとも、実際にはこの持ち手で持つのではないだろうと思われたが。白い肌に薄紫の釉が上からむらのある掛け方で掛っている。その色合いに何とも言えぬ味わいがある。「裏側も見たい」と思ったが、それが出来ないのが残念。

尾形乾山:銹絵(さびえ)竹図角皿(尾形光琳画)
 竹は鉄サビでこげ茶色になっているが、古竹ではなく青々とした竹のみずみずしさが伝わって来る。光琳の写生は的確で、竹林を歩きながら直に竹に触れる時の感触を思い起こさせてくれる。他にも乾山はたくさん出品されていたが、これは遠目にも「いい」と感じる逸品だった。

鍋島:染付牡丹文大皿・青磁染付秋草文皿
 個人的な好き嫌いを言えば、やきものは鍋島が好きだ。これまでもなんとなくセンスがいいと思い、好きだったが、今回出品されていた鍋島の名品を見て、その理由がわかったような気がした。鍋島は、描かれた絵の輪郭がくっきりと明晰で、しかも全体を色で埋め尽くさない色遣いの程良さが自分の趣味に合うようだ。
 前者「染付牡丹文大皿」は、その直前に展示されていた肥前と見比べて、鍋島の絵の輪郭の鮮やかさがはっきりとわかる一枚。また、「青磁染付秋草文皿」は、青磁釉の穏やかな青緑でさりげなく雲形に縁どられている全体と藍一色で細密に描かれた秋草文様のバランスがいいと感じる。

楽茶碗:黒楽茶碗 銘「黒面翁」、赤楽茶碗 銘「僧正」
 初代長次郎の小ぶりの茶碗がいい感じだなあと思う。3代道入の作品もいいが、今回展示されている長次郎は2品とも小ぶり。小柄な人だったのだろうか、どんな手をしていたのだろうか、などなど想像が尽きない。
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2010年02月22日

舟木本洛中洛外図屏風 最終日

RIMG0426a.JPG2月21日(日)
 昼前に上野の東京国立博物館へ。土偶展最終日は20分待ちだったが、常設展は特に混雑もなく、ゆっくり観覧できた。この日は「舟木本洛中洛外図屏風」の今回の展示の最終日。的を絞ってじっくりと楽しんだ。
 4回目だが、人の動きや表情が豊かで見飽きない。そういう点では国宝の上杉本以上に面白いかもしれない。写真は、右隻の下の縁に近い部分に描かれた僧と尼との密会場面。こんな町外れの粗末な小屋の中で、これから2人が何をするか、説明は必要ないだろう。展示室のガラスの手前にカメラを置いて撮影したもの。こういう部分を見つけると、例えばヨーロッパのオペラハウスで演出を細かく見ている時に、大勢のカップルの中に1組だけゲイのカップルが混じっているのを見つける時と同じような気分になる。演出家が、そういう普通でないカップルを舞台の中心ではなく、でも、観客がよく見ると気づく位置に配しているのと同じように、この「舟木本」の作者も、こうしたカップルを、見る人がじっくり見ると気づくように、気づいてもらえるように描いているのだ。もし演出家のペーター・コンヴィチュニーにこの屏風を見せて、日本美術には1600年頃からこんな視点で描いたものがあると説明したら、さぞかし面白がってもらえるだろう、などと勝手な想像を膨らませていた。
 この日感じたことは、こうした動きや表情の豊かさは、遠近法を用いていないから表現できるものなのかもしれないということだ。ルネッサンス以降の遠近法の絵画も、それ以前の中心に描かれた神やキリストや聖母からの距離で描かれる人物の大きさが決まってくる、言わば「逆遠近法」の絵画も、常にどこか1点に中心があり、周辺部分は中心に従属するという構成になってしまう傾向があるが、屏風絵の手法には定まった中心がない。あるいはそれが言い過ぎだとすれば、画面の中心に描かれたものはあるが、それは1点だけに絞れない。そして、画面の中心部に描かれた人物も周辺部に描かれた人物も、同じ大きさで同じように丁寧に、活き活きと描かれている。
 もちろん、写真に掲げた人目を憚る場面だけでなく、四条や五条の河原近くの芝居小屋の様子や、近世には一条ではなく二条堀川にあったという戻り橋などもじっくりと見た。舟木本に限らず、しばらく、「洛中洛外図」を追いかける楽しみは続きそうだ。この機会に、絵に描かれていた浄瑠璃「山中常盤」や「阿弥陀胸割」などを読み直してみようと思う。
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2010年02月13日

舞楽を楽しむ

100213 005a.jpg 舞楽に親しむ機会は、現代人の日常生活の中では少ない。例えば、テレビで舞楽が放送される機会は、多くて年に3回くらいのものである。毎年元旦にはNHK教育テレビで能の前に20分の放送枠があるが、それ以外は不定期で、昨年は地域伝統芸能まつりとNHK古典芸能鑑賞会で舞楽があったので3回放送されたが、これは例外的に多かったと言ってもよい。今年の元旦の舞楽は「萬歳楽」だった(「あんな物、誰が見るのだろう」とお思いになる方も少なくないだろうけれど、私のように録画して観る者もいるのだ)。
 ところで、今、東京国立博物館の本館第9室(能・歌舞伎)では「特集陳列 舞楽装束」ということで、能や歌舞伎ではなく、舞楽の特集展示が行われている(3月7日まで)。このところ、舟木本洛中洛外図目当てに何回か足を運んでいるので、ついでにこの舞楽の展示も楽しんでいるのだが、そこに展示されている絵巻にも「萬歳楽」の場面がある(写真)。
 6人の楽人が赤を用いた装束で舞っている姿が描かれている。唐楽(「左方」)は赤系を基調とした装束で舞うと言うが、絵巻に描かれた姿は、今年の元日の放送ほど真っ赤ではなく、能装束の「紅入り(いろいり)」に近い色彩感がうかがわれる。腰に巻きつけているのは赤ではなく黒地に金。私見では、現在の宮内庁楽部の方々の装束よりもセンスが良いように思われる。そして、元旦の放送では舞人が4人だったが、絵巻には6人描かれている。ちょっと調べてみることにしよう。

 「萬歳楽」は『源氏物語』にも描かれている。「若菜上」で2度、「若菜下」で1度、計3か所で触れられていて、その中で最も詳しいのは「若菜下」の次の記述である。

「右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿の宮の孫王の君たち二人は、万歳楽、まだいと小さきほどにて、いとらうたげなり。四人ながら、いづれとなく高き家の子にて、かたちをかしげにかしづき出でたる、思ひなしもやむごとなし。」
(拙訳)「(髭黒の)右大臣殿の4男の君、夕霧の大将殿の3男君、兵部卿の宮の御子息で帝の孫に当たるお2人は、万歳楽を舞った。まだとても小さいうちで、とてもかわいらしい。4人とも、甲乙つけがたい家柄の子で、顔だちも美しく、大切に世話されて着飾って出て来たお姿は、そう思うせいもあって高貴に見える。」

 新日本古典文学大系(岩波書店刊)だと、この万歳楽について「唐楽、舞人四人」と注を付している。

 舞楽と言えば、平安時代以来今日まで変わらずに伝承されているものというイメージが強いが、やはり変遷やヴァリエーションがあるようだ。『源氏物語』を紐解くことで、元旦の放送で舞人が4人だったことは根拠があるとわかる。ただ、舞楽の装束には基調とする決まった色があるものの選択の幅もあるということ、舞人の数も絶対に固定されているわけではないことなど…。今年の放送も、故実を現代に伝えてくれたという意味では貴重だったが、筆頭に出て来た楽人の方が私ほどではないものの同様の体型(メタボ型)で「をかしげなり」とは言えなかったのが残念だ。前回「萬歳楽」が公開で演じられたのがいつなのか、私にはわからないが、「時分の花」のある楽人たちで演じられるように伝承して行くことも大事なのではないかと思う。
 とは言え、舞楽をキーワードとして『源氏物語』の一場面を読むのも、また趣深い。
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2010年01月26日

舟木本洛中洛外図屏風〜東京国立博物館平常展〜

RIMG0375a.JPG1月24日(日)
 午後から久しぶりに上野の東京国立博物館に出かけた。と言うのは、1月13日から「舟木本洛中洛外図」が平常展に展示されているからだ。昨夏に「上杉本洛中洛外図」を見て、他の洛中洛外図も見たいと思っていたのだ。舟木本は2月21日までの展示でまだ期間があるが、室町時代の「月次風俗図屏風」(重要文化財)の展示が24日(日)までで、2つを併せて見られるのはこの日が最後だったからだ。
 その「月次風俗図屏風」は「月次」ということで6曲1双、全12面の屏風を期待していたのだが、8曲のやや小ぶりな屏風だった。右から1月(正月)、3月(花見)、4月(田起こし)、5月(田植え)…と季節が推移して行く。後代の作品に比べると4月5月などが地味なので、どうしても正月に目が行く。中でも目を引いたのは羽根つきの光景が描かれている部分だ。羽子板の形が今と全く変わらない点や男性も羽根つきをしている点が興味深い。退館した後で博物館のニュースを見たら、同じ部分が写真つきで解説されていたので、誰が見ても目につく部分なのではないかと思う。なお、解説によれば、制作当初は左右一対で「より多くの年中行事を含む」ものだったと推定されているそうだ。
 さて、お目当ての「舟木本」だが、これも「上杉本」に比べると小ぶりな6曲1双だった。私は、日本美術に関しては、こうして時折英楽館に書くけれど、まったく門外漢である。「上杉本」も、見ればすばらしい作品だということはわかるのだが、実際に「舟木本」と見比べて、初めて規模の違いなどがわかって来る。「舟木本」は豊広寺の大仏がまだあった頃の京都の街を南西から俯瞰する角度で描かれている。初めて見るので、鴨川や堀川などを目印に場所を確かめながら八坂神社や南禅寺など京都の名所を面白がりながら見るうちに時間が過ぎて閉館時間になってしまった。鴨川べりでは、現在も南座のある四条に「かぶき」の興行をしている小屋が2軒、「浄るりあやつり」が1軒など、芝居町と呼べる光景が描かれているが、五条にも四条よりも小さな「かぶき」が描かれているのが特に興味深かった。大芝居と中芝居もしくは小芝居の区別は、江戸時代初期からあったのだろうか。
 ちなみに、博物館ニュースでは、「舟木本」に関しては、色街の情景や稚児の手を引く僧の姿などに注目して解説されていた。次回はそうした点にも注目して見ることにしたい。
 他の展示品では、国宝室に雪舟の「秋冬山水図」(2月7日まで)が出ていた。これも写真や映像では度々目にするが、思ったよりも小ぶりだと感じた。左側の「冬図」の画面に縦に長く伸びる太い線は何を描いたものか、など、わからない点もたくさんある。また、寅年にちなんで、1月いっぱい虎の絵や工芸品の特集展示がある。写真は円山応挙の「虎図」。私は「秋冬山水図」が出ているうちにもう一度訪れたいと思っている。国立博物館の平常展は、館蔵品なら撮影も可能(ストロボ不可)なので、御興味のある方は、カメラ持参でお出かけになってはいかがだろうか。
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2009年11月30日

出光美術館 ユートピア展

11月28日(土)

仕事帰りに久しぶりに出光美術館に立ち寄って「ユートピア〜描かれし夢と楽園〜」を観る。展示作品数はけっして多くないが、見応えがあった。
中でも思わず見入ってしまったのは「吉野龍田図屏風」。桃山時代の作品で、作者不明。狩野派とも宗達とも違う画風。6曲1双で右に吉野図、左に龍田図。とりわけ桜を描いた吉野図に惹かれる。満開の桜を見たときの「うわあー」という感動が伝わって来る絵だ。それぞれに描かれた大木の根元の苔の蒸し方も描き分けられている。場所が違うからと言うよりも、冬を経た春と、晩秋とでは土に含まれる水分も違うということか。そんなことを思いながら観ていると、ガラスの奥の屏風からではなく、自分の記憶の中で桜を見る時の桜の匂いや土の匂いが思い出されて来る。
 円山応挙(1733〜1795)の「福禄寿・天保九如図」(三井記念美術館蔵、〜11/29)も、穏やかな表情の福禄寿が興味深かった。応挙の絵にしばしば感じられる緻密な計算よりも軽さを感じさせる福禄寿だった。応挙も、パトロンの豪商三井家を寿いで、こうした絵を描いた。三井家との関わりの深さをうかがわせる一品だった。
 もう一品、俵屋宗達の「伊勢物語図色紙『武蔵野』」も、草深く描かず、写実を離れて物語の世界をうまく表現しているところに感服した。この絵は、古典の授業のネタとしてはぜひ絵葉書にしてほしい。
 会期中にもう一度観るつもりで、図録をまだ購入していない。私見に的外れなところがあったら御容赦を。
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2009年10月26日

ブックデザインの展覧会

RIMG0288.JPGRIMG0290.JPG10月24日(土)
 中間試験が終わった。まだ 採点や原稿の締め切りが残っているが、少しホッとした。夕刻、神田錦町の「Kandada」に立ち寄り、「高麗隆彦と桂川潤のブックデザイン」展を見る。最終日で、到着した時には既にエンディング・パーティーが始まっていたが、展示されていた本を手にとって1時間あまりの時間を楽しんだ。絵画や彫刻、写真ではなく、本の装丁の展覧会というのは、珍しい企画なのではないだろうか。
 本というものは、書店で手にとって買いたくなっても、懐具合や書棚のスペースの関係で、全部は買えるものではない。それでも、何度も手にとって「やっぱり買おう!」と決心して買ってしまうことがしばしばある。そんな時には、本の装丁に心をひかれるかどうかも決断を左右する要素になると思う。
 高麗隆彦(=長尾信)氏は、歴史や哲学、美学など、人文関係の本を多く手がけておられる。桂川潤氏も幅広く仕事をされているが、キリスト教関係や在日韓国・朝鮮人に関わる書籍を多く手がけておられるのが特色だ。そして、私がこの展覧会にどうしても足を運んでおきたいと思ったのは、自分にとって大きな影響を受けたシリーズである講談社の「現代思想の冒険者たち」の装丁が、このお2人の仕事だったことを今になって知って、とりわけ興味を持ったからであった。「現代思想の冒険者たち」は、かつて、予備校で古文を教えていた私が、高校の非常勤講師として始めて現代文の授業を担当した際に、同僚のSさんに薦められて何冊かを読んだ、もしくはかじったシリーズなのである。
 はたして、会場に足を運んでみると、既に持っている本が何冊かあり、気になっていて買っていない本も何冊かあった。こうした本との出会いは、「積ん読」状態の本に手を出したり、気になっていた本を買おうと決心をしたりする大きなきっかけになることだろう。そして、それは本の装丁に携わっている方々にとっても、本意であるはずだ。
 とは言え、実際の現場で、短期間に、予算の制約もある中で、本の中身をうまく表現するデザインを考えるのは大変なようだ。イラストを描いたり、CGを使いこなしたり…。でも、限られた時間でその本を出来るだけ読み、本質を視覚化するには、技術だけでなく、装丁家の教養が大きくものを言う世界だと思う。高麗隆彦氏に「哲学や美学の本が多いですね」と声をかけたら、氏は「具体的な形のないものに、形を与える仕事に興味がある」とおっしゃっていた。
 展覧会は終了してしまったが、御興味のある方は、図録(¥500)を入手することは可能だと思う。桂川潤氏のホームページを紹介しておこう。
http://www.asahi-net.or.jp/~pd4j-ktrg/
写真説明:左は図録、右はチラシ。図録は、白の表紙(右綴じ)から開くと高麗隆彦氏の作品、反対側の黒の表紙(左綴じ)から開くと桂川潤氏の作品が掲載されている。白地に銀字の高麗氏の表紙は、私の小さなカメラではうまく写らないため、桂川潤氏の表紙のみ紹介した。
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2009年09月06日

光悦も筆の誤り〜シアトル美術館展〜

9月6日(日)その2
 一休みした後は、六本木のサントリー美術館へ。「シアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展」の最終日を見る。結局、この1週間で3回足を運んで、各展示室を見たが、やはり「鹿下絵新古今集和歌巻」の見ごたえが抜群。秋晴れの日に、秋の景物の鹿が描かれた巻物で、秋の歌を味わうのは、なかなかの風流というものだ。
 俵屋宗達が金で描いた鹿の絵が、シアトル本だけでなく国内からもたくさん集められた中で、私が一番心惹かれたのは、MOA美術館蔵の巻物の冒頭の、式子内親王の歌が書かれている部分の鹿だった。「それながらむかしにもあらぬ秋風にいと〔ど〕詠(ながめ)を賤のをだ巻」(秋上・368)の上の句と下の句の間に、雌雄一対の鹿が描かれている。上に雄、下に雌という配置で、雌鹿は見る者からは後ろ向きで、雄鹿の方を見ているという構図。この鹿の後姿を描いた線が実に上手いと思う。動物を描く時、背中の輪郭線でそれとわかるように描くのは、もちろん容易ではないだろうけれど、常套手段だと思う。ところが、ギリシャ文字のΩ(オメガ)のような形で鹿の後ろ足と臀部を簡潔に描き、その奥に軽やかに後ろから見た鹿の頭部が描かれている。この構図は、普通は、細密に線を重ねるのでない限り、なかなか描けないのではないか。宗達の天才がさりげなく示された一品だと感じた。
 大概の人は絵だけを御覧になるのだろう、人の流れは少しずつ進んで行くけれど、足をゆっくりと止めて本阿弥光悦の書を見るのも、様々な意味で面白い。シアトル本は、連作の最後の部分に当たり、水辺に群がる鹿の姿が目を引く。鹿の密度が高くなり過ぎないようにという配慮であろうか、群れで描かれている分、光悦の書だけのスペースも多く、かつて、この画巻を商売の種にした古美術商も、書だけの掛け軸はあまり売値がつかないから切断しなかったものと思われる。そうした偶然から、原形を留めているのは幸いなことだ。
 この巻には、光悦の筆で『新古今和歌集』秋上の378番歌(左衛門督通光「むさし野や…」)から389番歌(藤原家隆朝臣「にほの海や…」)までの12首が続けて書かれている。思わず笑ってしまうのは、最初の378番歌の詞書と左衛門督通光の名を書いた後の一瞬に名手光悦の集中が緩んだのであろうか、379番歌(前大僧正慈圓「いつまでか…」)の初句が「いつまで」まで書かれて、「見せ消ち」にされているところだ。今日、書類を書き間違えた時のように二重線で消すのではなく、字の左に濁点のような点を添える形(これは、かつては一般的な訂正の形の一つだった)で、できるだけさりげなく訂正がなされている。墨の濃淡から察するに、光悦さん、さらさらと軽く書き過ぎたのではありませんか?
 他にも、織部焼と志野焼の名品が2点ずつ。とりわけ、No16の「織部片輪車星文四方鉢」の☆の文様はなんとも斬新で、こんなデザインが400年も前にあったとは驚きである。
 このシアトル美術館名品展は今日で終わり。今度は、会期末にならないうちにレポートします。
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2009年08月31日

宗達&光悦

8月31日(月) その1
 夕方から出かけて、サントリー美術館へ。会員登録の期限だったので継続。シアトル美術館展のうち、「鹿下絵和歌巻」だけを見て来た。
 つくづく思うのは、絵に天賦の才能を発揮する人は、柔らかい線が描けるのだなあということ。俵屋宗達の下絵に本阿弥光悦が新古今集の歌を書いたという「鹿下絵和歌巻」に描かれた鹿は、簡潔なのに、柔らかい線に、何とも言えない「鹿」の感触が伝わって来る。奈良公園とかで見かける実物の鹿を写真に撮っても出ない柔らかさで、それでいて、馬や牛など、他の動物を描いたら絶対に出ないだろうと思えるような線の素晴らしさ。金という色の柔らかさも相まって、思わず目だけではなく気持ちが和む。素人目には、同じ宗達でも、あの国宝「風神雷神図」の力強さとは別人のような味わいだけれど、じっくり見ると、きっと共通項も見つかるはずだと思うと、残りの会期(9月6日まで)に日参したくなった。
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2009年07月20日

出光美術館「大和絵の譜」展A

 サントリー美術館で見た「洛中洛外図」が面白かった理由の一つは、6月21日の日記で書いたように、出光美術館の「大和絵の譜」展で「江戸名所図屏風」(作者不詳、八曲一隻)を見ていたからでもある。江戸時代の初期の江戸と、江戸時代になる直前の京都の対照が実に興味深い。
 出光の「江戸名所図屏風」は、絵の質では狩野永徳には及ばないものの、1人1人の姿を活写している点では、なかなかのものだ。7月14日(火)と19日(日)にも繰り返し見に行った。前回の記事に訂正すべきこともあれば、加筆すべきこともある。まず、訂正だが、神田明神で行われているのは、どうやら神楽ではなく能のようだ。江戸時代には庶民は特別な機会以外は能を見ることが出来なかったと言うが、なぜこの屏風に能が描かれているのか、少し時間をかけて考えてみる必要があると思っている。そして、繰り返し見ていると、気付くこともたくさんある。今日の御茶ノ水駅の北側辺りであろうか、材木屋が描かれている。銀座の東側(画面下側)の建物は普請中だ。こうした描写が、開幕直後の新興都市江戸の雰囲気をよく現しているように思う。
芝居小屋から得られる風俗的な情報も多い。浄瑠璃小屋では、破風のような屋根のついたところで1人使いの手妻人形が操られている。奥に大夫と三味線。2人とも客席からは見えないところで、床机に腰掛けて浄瑠璃を語り、弾いている。客席から見て、太夫が右、三味線が左というのは、今日の浄瑠璃諸流派とは逆だ。
 この展覧会は、今日(7月20日)が最終日。出来ればもう一度足を運びたい。
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2009年07月19日

上杉本「洛中洛外図屏風」

上杉本「洛中洛外図屏風」
 最近見た、美術品の中でも、一際興味深かったのが、この一品。サントリー美術館で7月12日(日)まで開催されていた「天地人展」後期に出品されていた。期末試験などで忙しい時期で、ブログもお休みしていたが、これだけは何とか時間を作って3回見に行った。
 1回目(6月28日)に印象に残ったのは、「洛中洛外図」や「祇園祭礼図」など、京都を描いた屏風の中でも特に豪華なものだということと、視点の面白さだった。「洛中洛外図」に金箔が用いられるのは当たり前のことだが、この上杉本は、一際金が厚いという印象を受けた。それは、この屏風が織田信長によって上杉謙信に贈られたと言われるこの屏風の来歴を、知識ではなく感覚で伝えてくれるように思う。右隻の祇園祭の光景は、鉾や山を曳く人々の服装以外は現代とほとんど変わらない。この右隻は、西から京都を一望するような角度で描かれているのが独特で面白い。
 2回目は7月4日(土)に見た。この日は、豊臣秀吉の直書など、4階の展示も見た上で、階下の「洛中洛外図」に見入った。見れば見るほど、描かれた人々の精彩が伝わって来る。嵐山の渡月橋なども、既に桃山時代からあったのだということが伝わって来る。ああ、この辺りが今の嵐電の嵐山駅、こっちが阪急の嵐山駅などと思い浮かべる一方で、平安時代に『大鏡』に描かれた大堰川での藤原道長の舟遊び(公任三舟の才の逸話で名高い)の光景がもしこうした絵画に描かれて残されていたら、さぞ面白かったろうになどという想像の脱線もしてしまった。
 3回目は最終日(7月12日)の夕方。16時半くらいから1時間半くらい見ていただろうか。それなりに混んでいたのに、抵抗なく見続けることが出来たのは、西洋絵画と違って、遠近法で一点から透視するように描かれていないからではなかったかと感じる。部分部分をじっくり見ていると、時間はあっと言う間に過ぎて行くし、しかもその細部に精彩があってまったく見飽きない。例えば左隻左下(第6扇下)の御霊会の光景。何だろうと思って解説を見てこれが「御霊会」の光景だと知ったのだが、右隻の祇園祭の光景とは違った活き活きとした空気が伝わって来る。あるいは、御火焚きの光景。子どもが尻をまくって火に向かって突き出し、暖を取っている。様々な身分、年齢の人々が描かれているだけでなく、動物の描写も多彩だ。犬や馬のほかに、猿回しの猿が芸を見せる様子も描かれている。闘鶏の場面も興味深かった。狩野永徳には、何度見ても見飽きないだけの豊かな筆力があることを実感しつつ、会場を後にした。
 この後は、米沢市上杉博物館で10月10日(土)〜11月6日(金)に展示される予定だそうだ。
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2009年06月21日

出光美術館「やまと絵の譜」展@

6月21日(日)
 今週は、C大高校の生徒の漢字テストをしなかったから、日曜の朝も採点の仕事をせず、完全にオフ。横浜、みなとみらいホールでの読売日響を聴く前に出光美術館に立ち寄る。開催中の「やまと絵の譜」展は、展示されている作品数は30点あまりだが、見応えはずっしり。小1時間では全然見切れず、会期中できるだけ小まめに通おうと思った。
 菱川師宣、岩佐又兵衛など、期待を裏切らない名品揃い。加えて、筆者不詳の「江戸名所図屏風」が、美術品としても風俗史料としても一級品の面白さで、見入ってしまった。この「江戸名所図屏風」には、新吉原に移転する前の元吉原の情景や女歌舞伎、浄瑠璃、軽業の舞台が描かれている。歌舞伎芝居が興行されているのは木挽町で、現在も歌舞伎座があるあたり。絵の中の風景と自分自身が木挽町に時々足を運んでいる体験とが重なると、歌舞伎の歴史は古いという実感になる。神田明神では神楽が行われていて、笛と太鼓の囃子方も描かれている。浅草寺は、仲見世通りがないが、門には現在の雷門に通じる風情が感じられた。解説によれば、この屏風には総勢2000人以上が描かれているのだそうだ(とても自分で数えようとは思わない)が、この八曲一双をじっと見ているだけでも、江戸の昔にタイムスリップが出来る。
 岩佐又兵衛の「野々宮図」は、鳥居にたたずむ光源氏の脇に描かれた女童(めのわらわ)が妙に小さくて、光源氏へのスポットの当て方が独特という印象を受けた。ここのところ、遠近法について講ずる機会があって、遠近法を採用していないという点では共通でも、ヨーロッパの絵画と日本の絵画では視点への感性が違うことが強く意識されるからだろうか。
 英一蝶「凧揚げ図」の奴凧の絵柄がかわいい。この絵の絵葉書がないのは残念。また、「桜花紅葉図」も、桜や紅葉の木に結ばれた、上質の料紙を用いた短冊の紙質など、現実には成立しにくい図柄ながらも、質感の豊かな絵に仕上がっている。
 この続きは、再度見に行ってから、書くことにしよう。
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2009年01月24日

都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み

1月21日(水)
 劇団四季は16:30に終演。直帰OKだったので、東京オペラシティ・アートギャラリーへ出かけた。1つには、夜はオペラシティ・コンサートホールで東京シティ・フィルを聴く予定だったし、もう1つには、1月18日に「ぐるっとパス」を買ったので、せっかくの機会だからオペラシティのアートギャラリーにも行ってみようと思ったのだ。ここへ来たのは2006年の6月の武満徹展以来、2年半ぶりだ。
 「都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み」という建築をテーマにした展覧会が開かれていた。建築に関する展覧会というのは、何しろ実物を持ってくるわけにはいかないので、模型と写真、図面を見比べて行かねばならないから、見る側にも根気と想像力や構成力が要求される。でも、何年か前に同じオペラシティ・アートギャラリーで開かれたジャン・ヌーヴルの展覧会が面白かったから、今回も見てみようという気になった。
 ロジェ・ディーナーというスイスの建築家が今回の主役。ヨーロッパの既存の建築を増改築する際に、創造性と周囲の景観との調和の両面を考えながら仕事を進めているのが特色の建築家のようだ。新築の建物でも、建物の中で過ごす(働く・住むetc)人々が建物からの景観をどう感じるかに配慮しているのが興味深い。
 ディーナーの提案は、私たちの住む日本にも当てはめることの出来るものが少なくない。たとえば、私の勤務する学校は、細長いマッチ箱のような長方形の建築なのだが、これを、2つのマッチ箱を横長に、上下に少しずらして並べるようにすると、大きな長方形から小さな細長い2つの長方形を切り取ったような8角形になる。そうすれば、建物の中央付近からの眺望が多彩になる。もし東西に横長の建物があれば、その建物の中央付近からは、南北だけでなく東西も見えるようになるというわけだ。学校みたいに、校庭のほかにもテニスコートなど、いろいろなものが配置される空間には、特に当てはめやすいではないか。
 話をディーナーに戻すと、彼の設計した「作品」が建造されている都市に、バーゼルやベルリン、ケルン、アムステルダムなど、私も知っている都市が数多く含まれていたのも、この展覧会を興味深いものにしていた。
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2008年08月18日

出光美術館「ルオー大回顧展」

8月17日(日)
 出光美術館の「ルオー大回顧展」を観る。行こうと思いつつ、つい最終日になってしまったが、会場に入って、まず「もっと早く、繰り返し見に来ればよかった」と後悔する。私は今回、ルオーの絵をまとまった形で見て、ジョルジュ・ルオーという画家に、同じフランス人の作曲家オリヴィエ・メシアンや、19世紀オーストリアのアントン・ブルックナーと同じような親しみを感じることが出来た。ルオーもメシアンも、画業や作曲を通じて、キリスト教徒としての自ら生を神に捧げたという点では本質的に変わらない。
 印象に残った作品を幾つか挙げてみよう。銅版画集「ミセレーレ」37番「人は人にとりて狼なり」や、54番「死者よ起て!」は、第一次世界大戦の酷さを告発する作品の中でも、特に強烈に思われた。ルオーの描く戦争は、我々の生きる21世紀の戦争と比べたとき、「人と人が(直接に)殺しあう」戦争として意識されていたように思う。戦争には、国家が国民に「人殺し」を命令するという側面もあるが、ルオーの絵からは、国家に対する告発以上に、キリスト教徒として「戦争」という人殺しに加担する罪の意識が表れているのではなかろうか。
 後期の油彩画の1つ、「たそがれ あるいは イル・ド・フランス」は、この日最も印象深かった素晴らしい作品だ。イル・ド・フランス地方の夕暮の風景は、夕陽のきらきらとした輝きが目に焼き付く。実景以上のリアリティーを持って迫って来ると言ってもいいだろう。その風景の中心に立つのはキリスト。イスラエルではなく自分の故郷のフランスの村にキリストが姿を現すという、歴史を超越した構図を想像し、具体化できるのは、ルオーの信仰が自身の深い所で突き詰められていた証に他ならないだろう。
 1通り見終わった後で、これらの作品を再度じっくりと見た。「たそがれ あるいは イル・ド・フランス」を時間をかけて眺めていたら、私の頭の中にはブルックナーのアダージョ(交響曲第5番の第2楽章)の響きが浮かんで来た。
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2008年07月28日

エミリー・ウングワレー展

7月27日(日)その2
 午後から六本木の国立新美術館へ出かけた。28日までのエミリー・ウングワレー展を見るためである。エミリー・カーメ・ウングワレー(1910頃〜1996)の作品を集めた大規模な展覧会。と言っても、彼女は晩年の8年間くらいしか絵を描いていない。それまではボディー・ペインティングや砂絵など、オーストリアのアボリジニの文化的伝統の中でしか描いていなかったために、作品が残されていないのだそうだ。
 会場に入ってすぐに、私はそれが自明のことであるかのように、エミリーの作品の世界に引き込まれてしまった。彼女が絵画に取り組む以前の、ロウケツ染めの作品を見て、強く心を惹かれた。多彩な色遣いの中でも、黄色に特に惹かれたと言ってもいい。続く点描の世界でも再び黄色を多用した作品に惹きつけられた。1日経って振り返ってみると、それは、彼女の描く黄色に、太陽の光の豊かさを伝える力があったからではないかという気がする。ヤムイモの根のような線描の作品、そして亡くなる直前の、大木が抽象化して描かれているように見える最後の作品にも力があった。単にカンヴァスと出会うだけでは、これだけ多くの作品を残すことは出来なかっただろう。天然の顔料ではなくアクリル絵具を使いながら、絵に直に触れると人工的な味気なさとは無縁だった。
 混んでいたのに、それが不思議と苦痛にならない展覧会だった。それは、集まった人々が皆一様にエミリー・ウングワレーの世界に真剣に向き合っていたからではなかろうか。評価の定まった西欧の近代絵画の展覧会とは違う観客層が集まっていたということでもあろうが、エミリー・ウングワレーの芸術の持つ説得力が、場内の観衆に広く伝わっていた証でもあろう。
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2008年06月01日

出光美術館 「柿右衛門と鍋島」展

 出光美術館で今日まで行われていた「柿右衛門と鍋島」展を、5月30日(金)と最終日の今日、2回見に行きました。今日はすごい混雑ぶりだったので、本当に気に入った作品を少しだけ見て早々に退散。
 それでも収穫は多かった。鍋島藩窯の好きな私にとっては、佐賀県立九州陶磁文化館
http://www.pref.saga.lg.jp/at-contents/kanko_bunka/k_shisetsu/kyuto/index.html
に収蔵されている「染付鷺文三脚付皿」(重要文化財)に出会えたのが最大の喜び。同館のホームページのお勧め収蔵品のコーナーで写真を見ることもできますから、御興味のある方は御覧になってください。
http://www.pref.saga.lg.jp/sy-contents/bunka/pixup.htm
シンプルに描かれた鷺の表情になんとも愛嬌が感じられます。それは、技術が優れているからだけでなく、職人の鷺、もしくは鳥を見る眼に動物への共感が籠もっているからでしょう。佐賀県は旅行したことがないのですが、こういう陶磁器の博物館や窯、窯跡などを訪ねる旅も楽しいだろうと思いました。
 出光所蔵の鍋島で印象に残ったものとしては、「色絵松竹梅文大皿」「色絵野菜文皿」など。前者は、松を葉の部分に注目することでコンパクトにまとめ、咲き誇る梅をたっぷりと描くことで、松竹梅の三つを絶妙のバランスでまとめている点に惹かれました。また、後者は「お盆の風俗を題材にしたもの」と推定されているとのことですが、瓜や茄子など、身近な題材が深みのある色合いで表現されているのが魅力です。
 柿右衛門では、「色絵周茂叔愛蓮文大皿」のシンプルだけれど静かな波の様子がよく伝わる水の描き方(流水紋に工夫あり)が印象に残りました。また、2点の「十角鉢」の造形も「5」という数字の持つ独特の安定感があり、この感覚は「八角」と違って建築等では表現しづらい、陶磁器なればこそ表現出来るもので面白いと感じました。2点のうちでもやや小ぶりな「色絵草花馬文十角鉢」は、中心部分(見込の中央)に梅花の文様が描かれています。梅や桜の花びらが4枚になってしまったら、どんなに魅力がなくなってしまうことでしょう。5枚の花びらそれぞれの中心線が細い線で延ばされていて、「十角」のそれぞれの面に幾何学的に美しいバランスで対応していました。柿右衛門の3点はいずれも出光美術館の収蔵品です。
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2008年05月12日

三愚舎ギャラリー 桂川寛展

katusragawa 001.jpg 国立小劇場で文楽公演昼の部を観た後で、メトロと都電を乗り継いで雑司が谷の三愚舎ギャラリーへ。桂川寛展《漂白(さすらい)の日の記録》“走り描いた古き街々の面影”を見に行った。ちょうど都電の鬼子母神前で降りたら、会場に向かう桂川寛さんと出会い、お話をうかがいながら会場に向かった。桂川寛さんは、北海道出身の画家で今年84歳。安部公房の小説の挿絵を描いていたことで知られる。その桂川氏が70年代に日本各地をスケッチ旅行した際のスケッチを集めた展覧会で、見る人それぞれに自分の思い出のある場所、郷愁を感じる場所が描かれていると、様々な感慨を受ける。小さな展覧会だが、同行した人それぞれが楽しんでいたと思う。
 さて、写真は、私が心ひかれた中山道芦田宿のスケッチの1枚。桂川氏の許可を得て、撮影・掲載したものである。金丸土屋旅館は、現在は営業していないが、かつてはこの宿場の中心となっていた旅館だった。左上には7:15〜35、′75.9.24とメモされている。朝の20分間でさっと描かれた1枚。スケッチ旅行の際には、日没近くまで描いてから宿を探したら怪しまれて突然訪ねた旅館に宿泊を断られたとか、朝食前にスケッチに出かける際は宿賃を払わずに逃げる客だと疑われないよう気を遣ったなどの苦労談、笑い話もうかがうことが出来た。
高校時代(1979年)から立科町に通っている筆者にとっては、芦田、茂田井、八幡、塩名田などの風景のスケッチに、「ああ、今もこの道は、風景こそ変わったけれど、同じような曲がり具合だ」とか、「この建物は、今もそのまま残っている」等々、自分と立科の30年近い関わりを振り返って、いろいろなことが思い出された。
 この展覧会は、5月14日まで。12:00〜18:30。場合によっては会期延長されることもあるそうなので、御興味のある方は直接会場の三愚舎(03−5950−0205)へお訊ねください。
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2008年01月28日

江戸東京博物館 特別展 北斎

今年の英楽館は、鑑賞した日が前後する場合もありますが、自分の印象に残った舞台や芸術作品を、出来るだけ紹介して行きたいと考えています。
※      ※      ※
1月21日(月)
 今日は、午前中の仕事が休みなので、それを利用して、両国の江戸東京博物館に、特別展「北斎」を観に行った。美術に関してはまったくの素人の私でも、展示の充実ぶりを実感。昨日の三井記念美術館とはまた違った見応えがあった。同じ近世絵画でも、三井家が収集した応挙とは全然違う味わいで、近世を支えた人々の美意識の多様性が実感される。
 葛飾北斎が活躍したのは文化文政期から幕末に至る時代だから、私の好きな歌舞伎や落語の世界との重なりという点では、先日見た円山応挙よりも直結する。
 北斎の画業という視点からは重視される作品ではないかもしれないが、「韓信股潜り図」(図録195)を興味深く見た。韓信が3人の男たちの股をくぐらされている場面が描かれているのだが、今月も歌舞伎座で上演されていた歌舞伎十八番『助六由縁江戸桜』の「股ぁくぐれッ!」の場面を見る場合に、こうした典拠を視覚的に見ている方が、パロディも面白くなるというものだ。
 「新板浮絵忠臣蔵」九段目(75)で、奥の部屋の襖の間から顔を覗かせているのは、大星由良之助ということになろう。どうしたわけか、この中年男性は、あまり賢そうな顔には描かれていない。虚無僧姿の加古川本蔵が上手に見えるのは、歌舞伎の『忠臣蔵』ではなく、文楽の『忠臣蔵』を連想させる。
 順路の最後の方に展示されていた北斎肉筆の「松下群雀図屏風」(200)もすばらしい。私は、この屏風そのものを純粋に楽しむだけでなく、落語「抜け雀」を思い出した。この屏風には「止まり木」は描かれていないが、雀たちは、今も気持ち良さそうに飛んでいる。まあ、絵を抜け出すこともなければ、疲れることもないか。
 偶然だろうが、大山参詣に関する作品が多かった。「大山講の山帰り」(18)、「東海道五十三次 藤沢」(19)、「大山詣」(43)には納太刀を肩に担ぐ男たちの姿が活き活きと描かれているし、「諸国瀧廻り 相州大山ろうべんの滝」(131)に水垢離(みずごり)の風俗が描かれているのも貴重だ。もちろん、ここで連想するのは落語「大山詣り」。最近の噺家には、こうした大山参詣の風俗紹介にあまり時間を費やさない人もいるようだが、三遊亭圓生の「大山詣り」を聴いた記憶と展示作品がぴたっと一致するので、実に面白かった。
 寄席芸に絡む画題としては、「太神楽」(63)などもあった。
 劇場や寄席に毎日のように通うのも楽しいが、こうした鑑賞体験は、舞台への鑑賞眼をも高めてくれるので、現在の私にとっては、かけがえのない楽しみである。
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