2014年08月05日

ジャン・エシュノーズ『ラヴェル』

P1010324a.jpgジャン・エシュノーズ著(関口涼子訳)『ラヴェル』
2007年10月19日 みすず書房刊

 毎日の仕事に追われているうちに暦は8月。立秋ももう目の前だ。よく「学校の先生はいいよなあ。夏休みが長いから!」などと言われるが、これは誤解も甚だしい。私の勤務校では夏期講習の真っ最中。私も、7月22日から8月7日までと8月18日以降、日曜日を除いて毎日、授業がある。しかも、国語教育の学会は「夏休み」がシーズンだから、このところ、日曜日ごとに自分が発表をしたり、司会をしたり、勤務校の仕事ではないけれど、十分に仕事。つまり週休2日でもなく休みなしに仕事をしなければならないのが「夏休み」なのだ。
 それでも、会議やら生活指導の当番やらの雑用から解放される分、少し気持ちに余裕が出る。目の前の課題に追われながらの調べ物ではない読書のための時間を少し見つけることのできる季節なのだ。
 この春から気になっていて、ようやくじっくりと読めたのがこの1冊。伝記・評伝ではなく、小説だが、作曲家モーリス・ラヴェルの晩年10年間を描いているから、登場人物にはピアニストのマルグリット・ロンやパウル・ヴィットゲンシュタイン、指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニなどが出て来る。トスカニーニなど、巨匠としてではなく、ラヴェルの作品を作曲者の好みと違うテンポで指揮してラヴェルをイライラさせた指揮者という脇役で登場するのが面白い。そしてラヴェルが晩年の10年間に描いた作品が当然話題になる。音楽好きには楽しい小説だ。
 作家のエシュノーズ(1947〜)の脚色を楽しみながら、せっかくだから、今年の夏はラヴェルの伝記も読んでみようかと思った。
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2012年08月18日

クロード・クレ著 『ココ・シャネル』

P1000634.JPG『ココ・シャネル』(クロード・クレ著、上田美樹訳、1989年、サンリオ刊)

 私が評伝を好んで読むようになった一つの転機は、6年前の秋に、『評伝ヘルマン・ヘッセ――危機の巡礼者』(ラルフ・フリードマン著、藤川芳朗訳、草思社刊)に触れたことだった。この年、初めて中1の国語の授業を担当した私は、『少年の日の思い出』の授業の予習を兼ねて、この上下2冊の大著に接したのだった。それが翌年夏にドイツで『少年の日の思い出』の原典を追い求めての旅の原動力になったし、当時、ドイツの書店で店頭を見回した時に、日本の書店よりも伝記・評伝の占める位置が大きいことに気づき、以来、日本人の読書は小説や実用書に偏り過ぎている、伝記は必ずしも青少年向けに限定されたものではなく、私たち大人が、その時々に応じて読み、学ぶものをたくさん持っていると考えるようになった。

 音楽について文章を書く関係で、作曲家の伝記を読む機会は多い。でも、この夏は、誰か音楽家以外の人物の伝記もしくは評伝を読みたいと思っていた。そんな時に、先述の『ブダペストの世紀末』と一緒に古書店の店頭で見つけたのがこの本だった。

 原著は1983年にパリで出版されている。晩年のココ・シャネルと親交のあった筆者の聞き書き風の評伝。マリー=フランス・ビジュ主演の映画『ココ・シャネル』の原作に使われたエッセイ風の1冊で、年代記的な性格に乏しいのが難点でもあり、魅力でもある。と言うのは、歴史書のような厳密な記述は肩が凝るという人にも読みやすい文体だからだ。ただし、登場人物が実に多岐にわたる(そのこと自体が、交際範囲の広かったココ・シャネルの特徴でもあろう)のに人物名の索引が付いていないので、一読しただけでは内容を把握しきれないきらいがあるが…。
 もともと偶然出会った本だが、予想通りに、そして予想以上に面白かった。予想通り、ファッションや香水の話題ばかりではなく、芸術家や芸術作品の話題に事欠かず、飽きずに読み通してしまった。予想以上だったのは、言わば「脇役」として登場する芸術家たちの裏話が思いがけなく面白かったことだ。たとえば、ストラヴィンスキー(1982〜1971)の名前は何回出て来たことだろうか。
 『エディプス王』の脚本をジャン・コクトーが、そして初演の衣装をココ・シャネルが担当したことはよく知られている。だが、シャネルのベッドサイドのテーブルに、いつも、そして彼女の死の床にまでストラヴィンスキーから贈られた聖像画が置かれていたこと、シャネルはストラヴィンスキーには「あなたのコンサートにはかならず行きます。」と電報を打っておいて、ロシアのディミトリ大公と一緒に南仏に出かけてしまうが、友人?のミシア・セールがストラヴィンスキーに真相を電報で知らせてしまったこと等々。
 索引がないので、第4章「両面の鏡、あるいは二人の友」だけ、登場する芸術家や言及されている作品を書き留めてみた。ディアギレフ、ニジンスキー、ジャン・コクトー、そしてストラヴィンスキー、ピカソ、アポリネール等々錚々たる顔ぶれが並ぶ。作品も、『ボリス・ゴドゥノフ』『イーゴリ公』『火の鳥』『ペトルーシカ』『春の祭典』『ヨゼフ物語』『パラード』等々。1929年当時17歳でパリに出て来たイゴール・マルケヴィッチについてもごくわずかだが言及されている。マルケヴィッチがニジンスキーの娘と結婚していたことも私はこの本で初めて知った。
 ただし、気になった点も指摘しておくならば、本書はヴィシー政権時代のココ・シャネルにはほとんど言及していない。私は、本人が語ろうとしなかったことは書かなかったというのが著者の姿勢なのだろうと考えている。年代記的な書き方がなされていないのは、そうした点をぼかす意図があってのことと考えられなくもない。そうした点には留意が必要だし、興味深い逸話の数々も、歴史的な作品と具体的に結び付けて考える前に他の書物等で裏付けを取る必要があるだろう。
 この記事を書きながら、ウィキペディアなども参照してみると、なんと、既に『シャネル&ストラヴィンスキー』なんていう映画まであるではないか。自分のアンテナの伸ばし方はまだまだ足りなかったと思いつつ、つい、アマゾンでDVDを注文してしまった。
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チェコ革命 1848年

P1000633.JPG『チェコ革命 1848年』(スタンレイ・Z・ペフ著、山下貞雄訳、2011年9月、牧歌舎刊)

 昨年11月に、仕事で出かけた折に紀伊国屋福岡本店で現物を見かけて迷わず買い込んだ1冊。今年1月に読んだ。2段組で300ページを越える大著だったが、第3章あたりまでですっかり面白くなってしまい、通勤途上などに着々と読み進めることが出来た。

 まず、目次を紹介しておこう。

 第1部 事の成り行き
  第1章 三月以前
  第2章 革命の奇跡:三月の日々
  第3章 フランクフルト問題
  第4章 議会と選挙
  第5章 スラヴ会議
  第6章 プラハ六月蜂起
  第7章 チェコ人と帝国議会
  第8章 反動の影
  第9章 五月の陰謀
 第2部 集団
  第10章 チェコ人とスロヴァキア人
  第11章 農民
  第12章 労働者
  第13章 学生
  第14章 女性
 第3部 結論
  第15章 四八年革命物語の幾つかの考察

 私がこの本に興味を持った背景には、自分はチェコの作曲家、スメタナやドヴォルジャーク、ヤナーチェクの作品が好きなのだが、スメタナやドヴォルジャークの伝記で新しいものにろくなものがないという不満がある。特に音楽之友社の内藤久子『ドヴォルジャーク』にはいたく失望した。私は内藤氏のようにチェコ語が読めないし、今後も読めるようになるとは思えないが、スメタナやドヴォルジャークの人物像を築く上で、当時のチェコの政治や社会への理解を深めることは避けて通れない課題であり、内藤氏の著作にはそうした点が大きく欠けていると感じている。
 1848年革命の当時、スメタナ(1824〜1884)は既に24歳になって、リストの後援でプラハに音楽学校を設立しており、チェコ民族の音楽的自立への道を歩み始めているが、ドヴォルジャーク(1841〜1904)はまだ幼年期だった。私は、この2人の世代差は、単に17年の年の差以上に大きく、とりわけ1848年革命前後のチェコにおける教育政策の変化に起因する要素が少なくないと考えている。

 さて、本書は、チェコスロヴァキア出身でカナダに移住した歴史学者スタンレイ・Z・ペフの1969年初版の著書(原著は英語)を翻訳したもので、訳者の山下貞雄は翻訳家や英語の先生ではなく、京都の福知山市民病院の産婦人科の先生というのが面白い。語学が専門ではなくても、コツコツやればこれだけの仕事が出来るという意味でも大いに啓発された。
 まず、第1章の1848年以前のプラハの社会の描写が面白い。例えば、検閲の関係から、1848年革命以前にプラハで読めた外国の新聞はアウグスブルガー・ゲネラルアンツァイガー紙一紙に限られていたこと、等々。フランクフルト国民会議への参加をめぐる問題を活写した第3章は、チェコ音楽を離れて、ドイツの統一に対する自らの思考を深める上でもとても興味深い。会議を主催する側は、ドイツ語で支配されていたプラハのチェコ人たちを「ドイツ人」として招待したが、プラハのチェコ人たちは、「自分達はドイツ人ではない」として参加を断った経緯を描いている。支配する側はされる側よりも往々にして無神経なのである。
 1848年のプラハの革命は、この年の他の都市での革命の動きと同様に、19世紀後半のチェコ民族主義に大きな影響を与えた。この時の政治的な経験が、チェコと他のハプスブルク諸国とのその後の歴史の違いにもつながっている。チェコの歴史や音楽に興味を持つ人はもちろん、ハプスブルク帝国に興味を持つ方々にもお勧め出来る1冊である。
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『ブダペストの世紀末』

P1000636.JPG『ブダペストの世紀末』(ジョン・ルカーチ著、早稲田みか訳、1991年7月・白水社刊)

 夏休み。私の場合、8月4日(土)までは連日の講習や説明会業務などで勤務だったが、先週、今週と一息ついている。今年の夏休みに読んでいる本の中からいくつかを紹介したい。
 『ブダペストの世紀末』は、ブダペストの1896年から1906年までの10年間に焦点を当てた歴史書。もう20年ちょっと前の刊行で、原著はベルリンの壁の崩壊前年の1988年にアメリカで出版されたもの(原題“Budapest 1900 A Historical Portrait of city and Its Culture”)。従って、壁の崩壊以後の視点は含まれていないが、そのことがこの書を古びさせるものではない。英語の原題に示された通り、ブダペストという都市とその文化の肖像が、1900年前後の10年間に的を絞って描かれている。
 目次は

  第1章 色彩、言葉、音
  第2章 都市
  第3章 人々
  第4章 政治と権力
  第5章 1900年世代
  第6章 問題の種
  第7章 その後

の7章から成る。筆者の特色は、第1章の立て方によく現れているだろう。1900年前後にブダペストで発表されたか、後の時代に、時代設定を1900年前後に据えて書かれたマジャール語の文学作品から、ブダペストの素描が構成されている。言語の壁の問題があり、マジャール語の文学作品で日本語で読めるものはごくわずかしかないのが現状だが、この章を読むと、1900年当時、既にブダペストには文学的伝統が成立していたことも読み取れる。
 このことは、バルトークやコダーイなどの音楽を通じてハンガリーに接しているわれわれにも大きな意味を持つ。他の領域とのバランスは都市によって異なるとは言うものの、音楽だけが発達して、文学や美術が生成されない都市というものはあり得ないからだ。バルトークやコダーイは「5線譜」という普遍的な言語で書かれたテクストだが、その背景にあるハンガリーの文学への理解なしに、やれ民謡がどうだこうだと言っても始まらない。
 筆者は、バルトークやコダーイと並べて、「1900年世代」に属する音楽家として、指揮者ジョージ・セルやユージン・オーマンディ、ヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティを挙げている。彼らはいずれもブダペスト生まれだ。「バルトークはどこが面白いのか?」という古典重視の趣味をお持ちの方でも、セルやシゲティについて考える土台として、彼らの生まれた街や時代について知っておくことは無益ではないだろう。
 もう1つ、この本の面白さは、歴史書を何冊読んでもわかった気になれない「オーストリア=ハンガリー二重帝国」について理解する大きな助けになるという点にもある。世界史の教科書や概説書は、いずれもウィーンからの目線で書かれているので、ハンガリー側に視点を据えた記述は貴重だ。当時の「ハンガリー」が現在のハンガリー共和国よりもはるかに広い領域を指すことは、この時代のハプスブルク帝国に詳しい方なら御存知とは思うけれど、その「ハンガリー」の首都ブダペストが、19世紀後半、「妥協(アウスグライヒ)」以降にどのように発展を遂げていたのか、一方で、どれだけ政治的に未熟だったのかを知ることが出来た。
 なお、ハプスブルク帝国の「妥協」については、やはりこの夏に読んだ大津留厚著『ハプスブルクの実験』(中公新書1223、1995年刊)も興味深かった。地図や統計などの資料が豊富で、丁寧に読むと19世紀後半か20世紀初頭のハプスブルク帝国について、自分なりのイメージを持つ上で大いに役だったことを書き添えておこう。
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2011年03月21日

桂川潤著『本は物である 装丁という仕事』

RIMG0333a.JPG本好きのどなたにもお薦めしたい1冊
 いつも英楽館にコメントをくださるあかねこさんから昨年末にいただいていたのに、年末年始には読めないままでいました。入試と期末試験の実施が一段落した2月末日に、一気に読んで、「なんでこんな素敵な本をすぐに読まなかったのか」と悔やんだ次第。本好きの人にはどなたにもお薦めしたい1冊です。
 私は、著者桂川潤さんが装丁家として現在に至るまでを自伝的に書いた第3章から読み始めて、桂川さんと様々な方々との交流を描いた第4章・第5章、あとがき、まえがき、電子ブックへの問題意識をまとめた第1章、本の制作過程を詳しく解説してくれている第2章という順に読み進めました。もちろん、著者には主張があて各章の排列が考えられているわけですけれども、私は、桂川潤さんがどんな人か(何回かお会いしてお話したことはあるのですが)を本を通してより詳しく知った上で、彼の主張や仕事の詳細に接してみたかったので、このような順を選びました。「本好きの人にはどなたにもお薦めしたい」と述べたのは、第2章を読むと、本づくりにいかに多くの職人的な仕事が関わっているかがわかって、興味深いからです。
 強く印象に残ったのは、第5章とエピローグです。第5章で紹介されている杉田徹さんの本のことは、既に「英楽館」にも書いていますが、一昨日入手したので、読んだ後に再度コメントを書こうと思っています。それから、在日韓国人でハンセン病患者として苦難の日々を歩まれながら和歌を詠み続けている金夏日(キム・ハイル)さんのことを記したエピローグには、とても強く心を打たれました。視力を失い、指の感覚も失ってしまった金夏日さんたちがどうやって本をお読みになるのかは、ここで簡単に紹介するのではなく、ぜひ桂川さんの本を手にとってお読みいただきたいと思います。本という「モノ」についてだけでなく、「読む、書く、話す、聞く」すべてを含めて、私たちが「ことば」を使うということの意味について考えさせられます。私は、現在、金夏日さんの歌集を入手して、彼の歌を授業に使えないかを検討しているところです。(私は、現在は中学の国語の授業を担当しておらず、高校の古典の授業がほとんどなので、「指導案」という形でしか実現しないかもしれませんが…。)
 『本は物である』は、私の知らなかった他の何冊もの本への架け橋としても、新鮮な出会いをたくさん作ってくれた本という意味でも、常に手元に置いて置きたい大切な1冊となりそうです。自分の書棚だけでなく、勤務校の図書室にも、早速購入してもらいました。
 なお、著者の桂川潤さんは、2月25日(金)の朝日新聞「ひと」欄でも紹介されています。
http://www.asahi-net.or.jp/~pd4j-ktrg/tp110306.html
『本は物である』は書店やアマゾンなどのネット通販で容易に入手できると思います。新曜社刊(¥2,400+消費税)です。

追記
 この機会に、英楽館に「わたしの本棚」というコーナーを作って、本の紹介をまとめてみることにしました。「国語教室」の中にも「わたしの本棚」に移した方がよいかと思う記事がありますが、前後のつながりもあるので、現在はこの記事も含めて4つの記事からスタートすることにします。
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2010年12月26日

田口晃著『ウィーン 都市の近代』

田口晃『ウィーン 都市の近代』
(岩波新書新赤版 1152 2008年10月 岩波書店刊)
 クラシック音楽が好きな人で、海外旅行の目的地にウィーンを選ぶ人は多い。私もその例外ではなく、ウィーンは何度訪ねたか自分でもよくわからないし、地図なしでも大概の場所はあるける。
 浄瑠璃翻刻の仕事から解放されて、久しぶりに好きな本を読める時間が出来た私にとって、『ウィーン』という書名は魅力的だった。だが、いざ読み始めてみると、読み進めるのに意外に時間のかかる一冊だった。政治学者である筆者の堅い文章もその一因だが、何よりも、これまでオーストリアに関して読んで来た歴史の本の大半が、ハプスブルク家の皇帝の事跡を中心に記した「帝紀」のようなスタイルだったのに対して、この本のウィーン市政に的を絞った叙述は、それまでに同様の本を読んだことのなかった私にとって、新しい知識の連続だったからである。
 言い方を換えれば、歩き回ったことのあるウィーンという街、オーストリアという国についての自分の感覚の中で、これまで読んだ本では理解や納得に至らなかった部分に、いろいろと光を当ててくれる一冊だった。たとえば、ハプスブルク帝国が崩壊した時に、現在のオーストリアが形成されたことを、田口晃氏は「ウィーンは、従来あまりつながりのなかった西部地域を一つの国家を形成することになった」と述べているが、こうした歴史的、地理的認識があってこそ、ハプスブルク帝国解体以前の世界を舞台にしたR.シュトラウス&ホフマンスタールのオペラ『ばらの騎士』や『アラベッラ』の登場人物たちの感覚への理解が深まることだろう。
 ヒトラーとウィーンとの関係についても、ドイツ中心の叙述からは見えなかったことがわかるようになったのは収穫だ。著者の学問の対象からは外れるかもしれないが、社会民主党市政からナチスによるオーストリア併合に至る過程、特にドルフス市政についても、もう少し踏み込んだ解説があれば、ウィーンの歴史に対する知識・認識が断絶なくつながることで、この本が、ウィーンを散策するより多くの人にとって、もっと身近な本になったことだろう。
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2008年08月09日

『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』

2008May-July 060.jpg 今日は、先日に続いて、もう1冊、最近読んで面白かった本を紹介したい。それは、岩波書店から7月25日に刊行された『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』である。演劇評論家の長谷部浩氏が10代目坂東三津五郎の談を整理して1冊の本にまとめたもの。初心者向けの入門書ではなく、歌舞伎をある程度見ている人に、歌舞伎の愉しみを深めてもらうことを狙った企画とのことだ。
 実は、この本を知ったのは、このブログにも時々書き込みをしてくださっているあかねこさんに紹介されてのことだった。表紙は三津五郎格子と呼ばれる大和屋にゆかりの格子文様をあしらったもので、あかねこさんのお兄様が装丁を担当されたという。早速、書店で買い求めたのだが、とにかく納得、感心する記述が多くて、一気に読んでしまった。
 一口に歌舞伎と言っても幅が広いが、当代の三津五郎は、先代以上に幅の広い芸域を持っており、時代物、世話物、新作と言った括りだけでなく、荒事、踊りと、様々なテーマについて語ってくれている。義太夫節の好きな私の場合、時代物、それも丸本物でいい仕事の出来る役者が好きで、それが自分の役者に対する最大の評価基準になっているのだが、そういう私の視点で読んでも、丸本物の役々をどんな心構えで演じているのかという話は、思わず肯くこと度々の極めて充実した内容だ。
 その三津五郎が、得意の踊りや、菊五郎劇団で叩き込まれた世話物についても、次々と語ってくれる。歌舞伎を一通り見ている人はもちろん、歌舞伎初心者の人でも、演目の解説書と照らし合わせながら読んだら面白いだろう。最近読んだ古典芸能関係の本の中でも出色の1冊である。
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2008年08月01日

新刊書『仮名手本忠臣蔵を読む』を読む

RIMG0318_copy_edited klein.JPG 過日、黒石陽子先生が服部幸雄編『仮名手本忠臣蔵を読む』(吉川弘文館 刊)をお送りくださったので、夏休みに入って早速読ませていただいた。奥付によれば本日発売とのことなので、ここに紹介させていただこうと思う。

 概要は以下の通り。
仮名手本忠臣蔵とその時代          服部幸雄
T 仮名手本忠臣蔵と史実の周辺
 元禄時代と赤穂事件の真実        谷口眞子
 赤穂事件と「忠臣蔵」における武士道   笠谷和比古
 仮名手本忠臣蔵の作者たち        黒石陽子
U 仮名手本忠臣蔵の史実と虚構
 各段を読む               田口章子
V 仮名手本忠臣蔵と大衆文化
 忠臣蔵と舌耕文芸            今岡謙太郎
 南北・黙阿弥の『忠臣蔵』とその時代   犬丸 治
 忠臣蔵の近代              神山 彰
 忠臣蔵の浮世絵             大久保純一

 私はまず、巻頭の服部幸雄先生の文章に敬服した。昨年暮れに亡くなられた服部先生の最後のお仕事の一つだが、先生の視野の広さが読み手に伝わって来て、作品を読み直すときの新たな力をいただくような気がした。そしてまた、『忠臣蔵』のお好きな方にどなたにでも読んでいただきたい文章だと思った。
 第T章では、歴史学の分野からの論考が私にとっては新鮮。また、第V章では、今岡謙太郎氏や犬丸治氏の論が興味深かった。特に舌耕芸から『忠臣蔵』の舞台へという逆の影響をも指摘している前者は、「忠臣蔵と舌耕文芸」というと「中村仲蔵」や「淀五郎」のような落語しか思い出せない、別の言い方をすれば『仮名手本忠臣蔵』から舌耕芸への影響しか思い浮かばない私にとっては、視野を広げてくれるものだった。
 残念だったのは、第U章に校正ミスが多いこと。私も、オン・ステージ新聞などではしばしば校正ミスを出してしまい赤面の至りなので、まずは自身の肝に銘じなければ…。
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