2012年10月31日

10月のコンサートから 聴き応えのあったマゼール&N響

しばらく更新を怠っていました。今日、中間試験の採点が終わって、一息ついています。0時を過ぎて明日の朝になりそうですが、マゼールが初客演した10月のN響定期のことから書いていこうと思います。
(以上10月31日 記)

10月20日(土) 15時 NHKホール
 ロリン・マゼール指揮 NHK交響楽団
 ワーグナー(マゼール編):「言葉のない指環」〜ニーベルングの指環 管弦楽曲集

10月24日(水)・25日(木) 19時 NHKホール
 ロリン・マゼール指揮 NHK交響楽団
 クラリネット独奏:ダニエル・オッテンザマー

 モーツァルト:交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」
 ウェーバー:クラリネット協奏曲第2番変ホ長調
 ラヴェル:スペイン狂詩曲
 同:ボレロ

 10月のNHK交響楽団は、巨匠ロリン・マゼールと初共演。スクリャービンが演奏されたAプログラムも是非とも聴きたかったのだが、自分自身の公開授業と重なってしまってどうしても足を運べず、CプログラムとBプログラムを聴いた。

 マゼールが日本のオーケストラを振るのを聴くのは3回目だ。昨年の東京交響楽団との演奏会は、震災の影響で会場がミューザ川崎からテアトロ・ジーリオ昭和に変更になって、とりわけデッドな音響の会場でのマーラー『巨人』をメインに据えたプログラムだったので、マゼールが振ったことでオーケストラの音色がどう変わったのかが直に伝わって来ないもどかしさがあったが、いかに無駄のない指揮をしているのかは、日ごろ聴き慣れた日本の楽団との演奏を見て、聴いて実感することが出来た。そしてもう一つ、もう四半世紀前のことになるが、読売日本交響楽団を振ってマーラーの『復活』を演奏した時のことは未だに忘れ難い。男性楽員だけで設立され、当時も男性だけだった時代の末期で、平均年齢が極端に高く、また常任指揮者を置かずに名曲コンサートばかりやっていて、楽団の演奏力がかなり下がっていた時代の読売日響だったが、マゼールが振った時は、過密スケジュールでリハーサル時間も少なかったはずなのに、全てピタッと統率されていて、音色の豊かさこそ不足していたものの、当時の読売日響の日ごろの水準からは信じ難いような見事な演奏だった。そういうわけで、マゼールがN響に登場すると知った時から、練習時間の使い方にシビアな要求を持つ楽員の多いN響との相性はさぞかし良いだろうと期待しいていたが、実際、期待に違わぬ演奏を楽しむことが出来た。

 Cプログラムは、かつてベルリン・フィルとも録音しているマゼール自身の編曲による管弦楽版『ニーベルングの指環』。16型で低弦を補強(16−14−12−12−10)した大編成での演奏。期待通り、日ごろのN響にはない艶のある音色が出て来たこと、マゼール自身の「円熟」の現れなのか、テンポがかつてのベルリン・フィルとの録音とは随分違って遅くなったことに驚きながら楽しんだ。編曲のぜひはさておき(筆者は、『指環』の管弦楽版で満足の行くものを作るのはおそらく無理だと考えているため)、『神々の黄昏』第3幕のジークフリートの葬送行進曲以下の部分は、それにしてもテンポが遅いと感じたのも事実だ。もちろん、歌手の息のことを考えなくて良いからこそ、こうしたテンポ選択がなされたのだろう。とは言え、ゆったりとしたフレーズの中で、N響が普段にはなくよく歌っていたのも事実だ。楽団の力をどれだけ引き出したかという点で、興味深い演奏だった。

 一方、ドイツ系の古典とロマン派の作品とラヴェルの管弦楽曲を組み合わせたBプログラムは、N響の高い潜在力が存分に引き出され、聴衆も大いに沸いていた。今回は『週刊オン・ステージ新聞』で批評を担当した関係で、初日は自分の会員席(Pブロック)ではなく招待席で聴き、2日目は自分の会員席(RAブロック)で間近に聴いた。最後の『ボレロ』は、両日でかなり表情が違って面白かった。
1曲目のモーツァルトの「プラハ」交響曲は、曲の多彩さを十分に示し、対向配置やピリオド奏法と言った近年の流行以外にも、隅々までスコアを見通せばまだまだ解釈の可能性があることを示して秀逸。マゼールは、9月のプレヴィンとは違って、モーツァルトでもかなり細かく振っているが、それが、第1楽章を例にとると、序奏でファゴットを鳴らして陰翳のある響きを作ったり、第1主題で2拍目から始まるフレーズの跳ねるような感じを引き出したりと、良い方向に作用していた。展開部の冒頭の2分音符が主体となる進行など、とても上品な響きを引き出していて快かった。第2楽章では特に木管と弦が重なる場面での豊潤さが魅力的。終楽章も、冒頭のフレーズで言えば最初の小節のヴィオラの1拍目など、アンサンブルの要の音を的確に振って、力づくではなく、テンポ、リズムに緩みのない音楽を築いて行く様が心地よかった。

 ウィーン・フィルの若き首席奏者ダニエル・オッテンザマーを迎えてのウェーバーのクラリネット協奏曲第2番変ホ長調もすばらしい演奏。私は、ウェーバーのクラリネット協奏曲と言うと第1番ヘ短調のイメージが強かったのだが、第2番は、技巧的にも音楽的にも凝った、難しい作品のようだ。オッテンザマーは、タンギングや指遣いなど極めて優れた基礎的技術に裏付けられた独奏で、作品の面白さを十分に伝えてくれた。第1楽章ではオーケストラだけの提示部に続く最初のフレーズでの力強い音と次のフレーズでの柔らかい弱音の2つだけで、既に聴衆を魅了して自分の世界に引き込んだ。それほどにオッテンザマーの音色には極上の質感がある。展開部から再現部へと飛び込む2オクターブの音階も爽快。第2楽章は、ソロの非凡な技巧を楽しんだのももちろんだが、ウェーバーのロマン派的な作風も十分に味わうことが出来た。チェロのピチカートなどがドイツの森のざわめきを連想させる冒頭と最後のメロディー、ソロの合間に二度顔を出すいかにもプロテスタントのコラール風のメロディーなど、ソロ以外のも散りばめられた個性的なフレーズのそれぞれの性格をマゼールがN響から十分に引き出していたからだ。快活な第3楽章もソロの明るい魅力が光った。

 後半はラヴェルの『スペイン狂詩曲』と『ボレロ』。前者は、ゆったりとしたテンポでしっかりとオーケストラを歌わせ、スペインの夜の濃密な空気を感じさせてくれた。私の語彙が貧しいので、ここでもまた「艶のある音色」という言葉くらいしか思い浮かばないが、前週のワーグナーとは違った「艶」を感じた。『ボレロ』は、初日は、無事にスタートした後、木管がソロをバトンタッチして行く前半部分で、「演奏中も指揮を見るんだ」と言わんばかり、マゼールが急に大きなアクションを取りだして、リズムやメロディーの単調に繰り返すのではなく、各楽器の性格に合った表情を引き出したり、メロディーにアクセントをはっきり付けさせたりしていたようだ。(2階席からはマゼールの表情が見えなかったので、この時どんな顔を振っていたのか、放送で確認してみたいと思っている。)後半、小太鼓が2台になり、トランペットにメロディーが回って来る辺りから銅鑼の入る最後までしっかりとクレッシェンドを続けさせる辺りが名伯楽ならではのオーケストラの操り様ではなかろうか。最後はテンポを落として豪快さも加えて圧倒的な演奏。2日目の『ボレロ』は、初日のような前半でのアクションはなく、マゼールのペースにオーケストラがしっかり付いて行った感があった。一夜のプログラムを通じてマゼールの指揮の語法の豊かさに改めて感服。もとより明晰な彼の指揮の魅力が、外来オケの来日公演ではなく、様々な指揮者で毎月聴くN響の10月の変貌ぶりを通じて余すところなく伝わった。ぜひ再共演に期待したい。
(以上 11月11日 更新)
posted by 英楽館主 at 23:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月15日

広上淳一と東京シティ・フィルのハイドン

9月12日(水) 19時 東京オペラシティ・コンサートホール

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調
(フルート独奏:高木綾子、ハープ独奏:吉野直子)
ハイドン:交響曲第102番変ロ長調

 ハイドンの交響曲第102番は、ザロモン・セット第2期の6曲の中でも、最も斬新な響きに到達し得た曲だと言ってもいいだろう。第99番から第104番までの中で唯一クラリネットが使われていない曲なので、オーケストラの規模で「最大」というわけではないのだが、第1楽章の序奏や第2楽章での陰翳のある響きが味わい深い。また、オーケストラ全体が基本的に同じリズムで動いて、言わば「山が動く」ような瞬間的なパワーを発揮する箇所があるのが大きな特徴だ。
 後者に該当するのは、第2楽章の54小節目から56小節目、第4楽章の78小節目からの8小節と234小節目からの8小節である。普通は、交響曲のオーケストレーションというのは、各パートに様々なリズムが振り分けられていて、建築物のように「崩壊しない」構造を持たされているものだ。それは、時には低弦や管楽器のロングトーンだったり、またある時には第2ヴァイオリンやヴィオラの刻みであったり、様々なのだが、オーケストラ全体のリズムは、一つだけにはならないように趣向が凝らされているものである。ハイドンの100曲以上ある交響曲も、基本的にはこうした発想で書かれているが、第102番に至って、本当に一瞬だけれども、「筋交い」や「鎹」のような役割のパートが取り払われて、劇的な効果を発揮するのが上述の箇所なのである。別な言い方をすれば、ハイドンの交響曲の特に両端楽章(序奏を除く)では、普通は、極端なテンポの変更は出来ないように作曲されているのだけれど、先述の箇所は、オーケストラ全体が一斉に「走れば」、急激なテンポ変更も出来なくはない、そういう雰囲気が、ハイドンの数ある交響曲の中でもこの第102番に特有の面白みだと言ってもいいだろう。

 演奏のことではなく、私のハイドン論が長くなって恐縮だけれど、「ハイドンはどの曲を聴いても同じに聞こえる」という方に、1曲1曲それぞれの面白さを伝えることは、演奏家であれ評論家であれ、ハイドンの作品に愛着を持つ者にとっては共通の課題なのではないだろうか。
 広上淳一が10年ぶりに東京シティ・フィルに登場してのハイドンの交響曲第102番は、作品の面白さを味わう上でも、現在の広上が指揮者として到達している高い境地を知る上でも、とても充実した演奏だった。第1楽章の序奏(ラルゴ)と第2楽章は速め、第1楽章の主部はじっくり弾くというテンポ設定で、パート間の掛け合いの妙をしっかりと聴かせてくれた。第2楽章の最後、先述の54小節目からのフォルティッシモの後、56小節目では、ホルンの2分音符だけが響きが残る感触も、音の最後まで行き届いていた。第3楽章の4分音符3つの連続がトランペットやティンパニーに回って来る箇所などは、単純なリズムだけれどはっきり強調して刺激的。スリリングな掛け合いが続くプレストの第4楽章は、休符が多いコーダを大いに楽しんだ。
 東京シティ・フィルのホームページに掲載されている広上淳一のインタビュー
http://www.cityphil.jp/foyer/interview/iv_hirokami20120904.html
が面白い。「ハイドンの交響曲は、簡単に言えば『お遊び』。(中略)交響曲は最後の104番『ロンドン』まで遊びがあります。」と言う広上自身の演奏が即興性という遊び心にあふれているのが、演奏の成功の最大の原動力なのではないだろうか。
 1曲目のモーツァルトの交響曲第31番『パリ』は、私自身の勤務時間の関係で間に合わなかった。2曲目のフルートとハープのための協奏曲は真摯な演奏。高木綾子は、ルックス重視の「Jクラシック」系だけでなく、もっと音楽そのものを問われる場で聴きたいフルーティストだと思う。
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2012年08月24日

文楽補助金カット問題 橋下大阪市長の欺瞞的な態度は許せない!

追記(8月28日)
 8月24日(金)にヤフー・ニュースの速報を見てこの記事を書きましたが、元の記事に誤りがあるようです。他の報道と照らし合わせると、文楽協会側は非公開の協議を望んだけれど橋下市長側は公開にこだわったというのは真相のようです。
 それはともかく、一番重要なことは、大阪府知事、大阪市長として橋下徹が大阪独自の文化であり、大阪の庶民が300年以上にわたって育てて来た文化である人形浄瑠璃文楽を理解しようとせず、攻撃を続けているということです。大阪フィルなど、オーケストラへの補助金カットも非常に困った問題ですが、文楽の場合には、江戸でも京都でもない大坂(大阪)の文化だという点でも問題が大きいと思います。


《以下、8月24日に私が書いた文章》
 先ほど、ヤフー・ニュースを見たら、「文楽協会や技芸員(演者)らに公開での意見交換を求めている大阪市の橋下徹市長は24日、今年度は協会への補助金を支出しない意向を明らかにした。」との報道が流れていた。「市側が意見交換の前提として非公開協議を打診したが、協会側が拒否したためで、橋下市長は『お会いできなければ税の投入はできない。非常に残念な結果』と述べた。(毎日新聞)」という。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/osaka_city/?1345790028

 しかし、橋下市長の論理は明らかにおかしい。橋下市長が、大阪市の税金を補助金として文楽協会に支出するかを決めるのは公務であり、公人としての活動が「非公開」でなければならない理由はどこにもないからである。大阪市は文楽の分裂を収拾して文楽協会を設立する際に、母体の一つとして大きな役割を果たして来た。文楽が大阪の庶民に根付いた芸能だったことも理由の一つだった。
 今日の報道の背景には、橋下市長および大阪市側が「公開での意見交換を求めている」と言いながらも実際には非公開協議にしか応じようとしない矛盾した姿勢があると考えざるを得ない。それは、橋下市長自らが補助金カットについて公人として論理的な対応が出来ないということに他ならないのではないか。
私は大阪市民でも大阪府民でもないが、人形浄瑠璃文楽の研究に少しでも関わっている者の1人して、橋下大阪市長のやり方に対して怒りと抗議の意を表明したい。
山之内英明

※ 報道の引用は毎日新聞の許可を得たものではない。ヤフー・ニュースから勝手に引用したことをお断りしておく。
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2012年08月21日

田中洋一編著『中学国語科 教科書新教材の授業プラン』説明的文章編

P1000637.JPG もう1点、本の宣伝と紹介。国語の話がメインですが、クラシックのお好きな方も、どうぞお付き合いください。ホルストの組曲『惑星』に絡む話題でもあるからです。この本は、一般の読者向けではなく、教員用の授業指導事例集。新学習指導要領の全面実施に伴って、この4月から中学校の教科書は全面改定され、従来の教科書にはなかった新しい文章が数多く採録されました。そうした新教材は、指導書以外の授業案がまだ出回っていないので、現場の先生方が指導書とは違ったアプローチを試みたい場合に、参考にしていただくというのが本書のねらいです。
 私が担当させていただいたのは、渡部潤一「冥王星が『準惑星』になったわけ」(三省堂・中学3年)です。新しい指導要領には、中学3年生の言語活動例として「論説や報道などに盛り込まれた情報を比較して読むこと」が挙げられており、本教材も、天文学者の渡部潤一氏の説明文の他に、「冥王星が惑星から『降格』」になったことを伝える新聞記事が比較の材料として掲げられています。
 しかし、私がこの教材の指導案を作成する上で考えたのは、天文学の側からの説明やそれに基づいた報道だけではなく、全く違った角度から冥王星を論じた論説や報道と組み合わせて読ませたいということでした。新学習指導要領での理数系重視の傾向を踏まえてでしょうか、新しい中学の教科書では、各社それぞれ、理科系の話題の文章を新しく採り入れています。そうした文章と、非「理科系」的なアプローチの文章を組み合わせて読ませたいと考えたわけです。
 その際に、私の頭に思い浮かんだのが、コリン・マシューズ作曲の「冥王星」である。ホルストの組曲『惑星』に続けて演奏されるように書かれたマシューズの作品は、かなり大きな反響と是非の議論を呼び、2001年4月には大友直人指揮の東京交響楽団によって日本初演が行われました。私もその時の演奏を聴いていたので、この題材を思い付いたのです。その後、いくつか録音も発売されていますが、冥王星が惑星から「降格」してしまった現在、最も手に入りやすいのはサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルのCD(EMI)だと思います。
 理科系のアプローチに沿って考えれば、冥王星が「準惑星」になったのは合理的なことです。太陽系の外縁部に多くの天体が見つかった以上、惑星の定義に再検討が加えられたのは当然のことですし、軌道の問題などを考えても、冥王星以外の小惑星を「惑星」に加えるよりは、新たに見つかった天体と冥王星を合わせて「準惑星」というカテゴリーを創った方が我々素人の目にも整合性があります。
 一方、私が言いたいのは次のようなことです。「文化とは、その時代を反映するものであり、社会や科学の発達など、様々な要素の影響を受けながら変わって行くものである。」だから、冥王星をどう分類するかという天文学の課題と、冥王星を地球から最も遠い「惑星」だと考えて人々が想像力をめぐらした時代に創造された芸術作品の価値とは別問題で、芸術の対象となった「冥王星」の価値は変わるものではないだろうということです。この場合、コリン・マシューズの「冥王星」に生き残るだけの価値があるかどうかは全く別個の問題です。
 当初、私は、図書館に通って日本初演の批評などで適切な新聞記事がないか探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。コンサート評は、わずか数分の「冥王星」だけに焦点を当てて書かれるものではないし、それを担当した当時の批評家たちも、どちらかと言えばマシューズの作品を評価することを避けて、他の曲目で紙数を費やしていたからです。結局、自分の趣旨に合う文章が見つからず、私自身が「比べ読み」の材料となり論説文を書き下ろしてしまいました。単純な読み比べだけでなく、「自分の考えをもつ」ということを重要視した結果、そうせざるを得ませんでした。それが、こうした授業指導案において「禁じ手」に当たるかどうかが、この指導案の評価の分かれるところだと思います。

 写真の緑色の表紙の「説明的文章編」のほか、私は執筆していませんが、オレンジ色の表紙の「文学的文章編」もあります。(東洋館出版社刊、¥2,300)
posted by 英楽館主 at 11:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 国語教室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クラシック・ジャーナル046 『オペラ演出家 ペーター・コンヴィチュニー』

P1000638.JPG この春に刊行された出版物の話題を2つ。いずれも私の原稿を掲載していただいたものなので、これは書評ではなく「宣伝」である。
 『クラシック・ジャーナル』は不定期刊で流通上では「単行本」扱いの「雑誌」。毎回、特色のあるテーマを取り上げている。いつもオペラの客席でお目にかかる山崎太郎氏、旧知の森岡実穂氏から、「山之内さんも書きませんか?」とお誘いを受けたのが去年の秋口、ほぼ1年前のことだ。それ以前からお2人を中心に、東京二期会『サロメ』の上演(2011年2月)やびわこホールでのワーク・ショップなどで丹念な取材が続けられていた。
 私が担当させていただいたのは、DVDの解説。2004年春に教員になるまでは頻繁に渡欧していたので、それ以前に現地での舞台を観たシュトットガルトの『神々の黄昏』を担当させていただいた。私の文章は、日本版のDVDの解説と趣旨が重複しないようにしながら、コンヴィチュニーの手法、特にジークフリートやブリュンヒルデを英雄視しない脱神話化の手法や、登場する女性(ブリュンヒルデとグーツルーネの2人)への共感を忘れない視点について論じたものだ。
 夏休みに、それ以外の様々な記事・文章にじっくり目を通したのだけれど、コンヴィチュニーについて知りたい人にはもちろんのこと、オペラの演出について、あるいはオペラの制作現場について興味を持つ人にとっては実に面白い1冊であり、格好の入門書にもなっていると思う。大きな書店で手に入るので、ぜひ手に取って御覧いただけたらと思います(定価¥1,470)。
posted by 英楽館主 at 07:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | オペラ雑談集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

従来とは違う曲の魅力を引き出した清水直子のバルトーク

《7月中旬に書きかけたままになっていた文章を補足して掲載します。》

7月11日(水) 19時 東京オペラシティ・コンサートホール
7月12日(木) 19時 サントリーホール

広上淳一指揮 読売日本交響楽団
ヴィオラ独奏:清水直子

武満徹:『トウィル・バイ・トワイライト』
バルトーク:ヴィオラ協奏曲 Sz.120(ピーター・バルトーク版)
リムスキー=コルサコフ:『シェエラザード』

 期末試験の作成が一段落して、オペラシティへと足を運ぶ。学期末はいろいろな締め切りに追われているので、なかなか記事が書きにくい。「締め切りに遅れておいて、こんなものを書いているのか!」と叱られないタイミングが難しいからである。
それはともなく、この日は、読売日響の創立25周年記念の委嘱作品『トウィル・バイ・トワイライト』の再演から。中学生の頃から武満の初演や日本初演はたくさん聴いて来たが、『トウィル・バイ・トワイライト』は、その中では最悪の初演だった。初演の当時、読売日響はまだ「男性だけ」を売り物にしていた時代錯誤のオーケストラだった。加えて常任指揮者不在で、いわゆる「名曲」ばかり演奏していて、現代の作品に反応する力という点では東京のオーケストラの中で最低の状態にあった。あの頃、武満徹の管弦楽曲を聴く機会は今以上に多かったが、読売日響だけは武満を含めて日本人の作品をほとんど演奏していなかったのである。そして、当時の常任指揮者は旧東ドイツ出身のハインツ・レークナー。彼を全面否定する必要はないが、少なくとも武満の作品に関しては、経験不足、理解不足は明かだった。
 今回は、広上淳一という適材を得て、曲の味わいをしっかりと楽しむことが出来た。

 バルトークのヴィオラ協奏曲は、ピーター・バルトーク版での演奏。久しぶりに聴く清水直子の独奏も冴えていたけれど、その前に、このピーター版と従来のシェルイ版との違いがとても興味深い。これまでシェルイ版で聴き続けて来た印象が、かなり大きく変わるのである。
 個人的な思い出話も書くと、ヴィオラ協奏曲は、中学生の頃、私が初めて生で聴いたバルトークの作品だった。忘れもしない、定期会員になって初めて聴いた都響の定期演奏会。前半が江藤俊哉の独奏でバルトークのヴィオラ協奏曲、後半はブラームスの交響曲第4番だった。個人的な感傷はここまでとして、これまで何度も聴いてきたシェルイ版だと、ヴィオラの主題が始まると、2小節目からコントラバスのピチカート4つが主題を受ける対旋律の役割を果たすが、ピーター・バルトーク版は同じ音型がティンパニーで演奏される。その印象の違いはとても大きく、ティンパニーで聴くと、『管弦楽のための協奏曲』のティンパニー・ソロなどを連想して、「これこそバルトーク!」と言いたくなった。その他にも、シェルイ版の第2楽章の最後にあるファゴット・ソロのフレーズの扱いが全く違う等、オーケストレーションの違いは、まだまだこの作品の補筆にはいろいろな可能性があると知ったことが何よりも面白かった。
 アンコールは、読売日響ヴィオラ首席の鈴木康浩とのデュオでバルトークの「44の二重奏曲」からの1曲。ベルリンで活躍する清水も素晴らしいが、鈴木も少しも負けない。しかも張り合っていないところがとても素敵だ。
 後半はR.コルサコフの『シェエラザード』。広上淳一の指揮を、音楽の中身の多彩さと視覚的な多彩さの双方で堪能。コンサートマスター小森谷巧のソロも健闘していたが、それ以上に、他の楽器に楽しいソロがどれだけ散りばめられているかを改めて実感した。
posted by 英楽館主 at 07:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月19日

今年前半のコンサートを振り返って (1)

 今月に入ってから、まだ生の舞台には1つも接していない。この機会に、今年前半のコンサートを振り返っておこうと思う。まずは、批評を書き損なったコンサートの話題から。

 今年に入ってからの公演で、週刊『オン・ステージ新聞』に批評を書いたのは以下の11本である。

2月12日(日) ベルトラン・ド・ビリー指揮N響定期
  ※ ヴァイオリン独奏:イザベル・ファウスト。シューベルト『グレート』ほか。
2月 ヴァンスカ指揮読売日響のアホ作品の連続演奏
※ 特にクラリネット協奏曲は曲も演奏も素晴らしかった。
3月8日(木)・9日(金) 広上淳一指揮東京フィル定期
※ 黛敏郎特集。10年ほど前の岩城宏之指揮での同プログラムを思い出しつつ書いた。
3月16日(金) ラザレフ指揮日本フィル定期 チェロ独奏:横坂源
  ※ エルガーのチェロ協とラフマニノフの第2番。日本フィルの向上を喜んだ。
3月 バーデン州立歌劇場『ダントンの死』ほか&シュトットガルト歌劇場『運命』ほか
  ※ 現代物2本立を2公演併せて1本の記事にした。
5月2日(火)東京フィル100周年記念コンサート
&5月5日(土)新日本フィル40周年記念特別演奏会
※ 連休の休刊があった関係で、2公演で1つの記事とした。
5月25日(金) アルミンク指揮新日本フィル定期
※ エスケシュのヴァイオリン協奏曲の日本初演を中心に書いた。
6月2日(土) ゾルタン・コチシュ指揮東響定期
  ※ 硬質の音が印象深かったモーツァルト弾き振りと精神性を感じたバルトーク
6月8日(金)・9日(土) ヘンシェルSQベートーヴェン全曲チクルス(後半2公演)
  ※ とにかくパワフルで上手かった。
6月19日(火) 大野和士指揮 都響定期 ヴァイオリン独奏:庄司沙矢香
  ※ シマノフスキのヴァイオリン協奏曲ほか。
7月13日(金) 下野竜也指揮 日本フィル定期
※ 日本フィル・シリーズの再演特集

 実は、『オン・ステージ新聞』に紙面が用意されていたのに、書き損なってしまったコンサートが1つある。それは群馬交響楽団の第481回定期演奏会だ。現在首席指揮者・芸術アドヴァイザーを務めている沼尻竜典の指揮、今井信子のヴィオラ独奏で、
三善 晃:祝典序曲
バルトーク:ヴィオラ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調
というプログラム。土曜日の夕方の公演で、仕事の後、大宮から新幹線に乗って間に合うはずだった。ところが、実際に大宮駅に着いて、トイレに寄ってからホームに上がると、1本前の新幹線がちょうどホームに着いてドアが開いたところだった。私は、もともと乗る予定の新幹線だと到着がぎりぎりになる予定だったから、「10分早い新幹線に乗れてラッキー」と思い、自由席に座ったが、なんとその「あさま537号」は高崎通過で軽井沢までノン・ストップの列車だったのだ。というわけで前半を聴き逃してしまい、批評を書き損なってしまった。1日に4本しかない高崎通過の列車に当たってしまうとは、と自らの不運を嘆いた。
 このコンサートに注目したのには、いくつかの理由があった。まず、最近あまり取り上げていなかった群馬交響楽団の今について批評を書くなら、現在のシェフである沼尻氏の指揮する定期演奏会を選びたかった。もう一つは、もう20年前になるけれど、ドミトリー・キタエンコ指揮の群響の東京公演で聴いたショスタコーヴィチの第7番が感動的な演奏で、群響はショスタコーヴィチできっと頑張ってくれるのではないかという期待が自分にあったからだ。
 実際、軽井沢から折り返して駆けつけた群馬音楽センターで聴いたショスタコーヴィチの第4番は、なかなかの熱演だった。第1楽章中間の「あの猛烈な」フーガでも、オーケストラ全体でよく喰らい付いて頑張っていた。弦の各パートだけを取り出したら響きの厚みという点ではもう一頑張りしてほしい面もあったけれど、一体感という点では本当に上々の演奏だったし、それ以上に私が感心したのは、かなり年配の方の多い客席が、ショスタコーヴィチの中でもとりわけ難解な交響曲第4番を、それこそ一瞬たりとも聴き逃すまいと必死で喰らい付いている場内の雰囲気だった。東京のお客さんと違うのは、「どっちが上手い」みたいな比較をしようと思わずに純粋に聴いているところなのではないか。第4番は、70分もかかるのに3楽章構成で第1楽章と第3楽章が長いところにも特徴があるが、長くて掴みどころのない第3楽章も、緊張感の途切れない好演だった。
 ショスタコーヴィチというのは、楽譜に書いてあることを音に出すということとは別に、精神的な緊張をどれだけ持続できるかということが演奏の成否を左右する作曲家だと私は思う。交響曲の場合だと、オケが上手いかどうか以上に、指揮者とオケが一緒に音楽を作ろうという意志が途切れずに続くかどうかが他の作曲家の交響曲以上に大切だ。オケが指揮について行かないのも言語道断だが、オケが上手くない時に指揮者がオケを見下してしまっても、こうした緊張は完全に切れてしまう。かつてのキタエンコと群響の熱演も、この2つの要素が噛み合って初めて成り立ったものだったし、今回の第4番は、ステージ上の指揮者とオーケストラを全面的に信頼して聴いている聴衆の力も相まっての演奏だったと思うので、書き損なったことはとりわけ残念だった。
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2012年08月18日

クロード・クレ著 『ココ・シャネル』

P1000634.JPG『ココ・シャネル』(クロード・クレ著、上田美樹訳、1989年、サンリオ刊)

 私が評伝を好んで読むようになった一つの転機は、6年前の秋に、『評伝ヘルマン・ヘッセ――危機の巡礼者』(ラルフ・フリードマン著、藤川芳朗訳、草思社刊)に触れたことだった。この年、初めて中1の国語の授業を担当した私は、『少年の日の思い出』の授業の予習を兼ねて、この上下2冊の大著に接したのだった。それが翌年夏にドイツで『少年の日の思い出』の原典を追い求めての旅の原動力になったし、当時、ドイツの書店で店頭を見回した時に、日本の書店よりも伝記・評伝の占める位置が大きいことに気づき、以来、日本人の読書は小説や実用書に偏り過ぎている、伝記は必ずしも青少年向けに限定されたものではなく、私たち大人が、その時々に応じて読み、学ぶものをたくさん持っていると考えるようになった。

 音楽について文章を書く関係で、作曲家の伝記を読む機会は多い。でも、この夏は、誰か音楽家以外の人物の伝記もしくは評伝を読みたいと思っていた。そんな時に、先述の『ブダペストの世紀末』と一緒に古書店の店頭で見つけたのがこの本だった。

 原著は1983年にパリで出版されている。晩年のココ・シャネルと親交のあった筆者の聞き書き風の評伝。マリー=フランス・ビジュ主演の映画『ココ・シャネル』の原作に使われたエッセイ風の1冊で、年代記的な性格に乏しいのが難点でもあり、魅力でもある。と言うのは、歴史書のような厳密な記述は肩が凝るという人にも読みやすい文体だからだ。ただし、登場人物が実に多岐にわたる(そのこと自体が、交際範囲の広かったココ・シャネルの特徴でもあろう)のに人物名の索引が付いていないので、一読しただけでは内容を把握しきれないきらいがあるが…。
 もともと偶然出会った本だが、予想通りに、そして予想以上に面白かった。予想通り、ファッションや香水の話題ばかりではなく、芸術家や芸術作品の話題に事欠かず、飽きずに読み通してしまった。予想以上だったのは、言わば「脇役」として登場する芸術家たちの裏話が思いがけなく面白かったことだ。たとえば、ストラヴィンスキー(1982〜1971)の名前は何回出て来たことだろうか。
 『エディプス王』の脚本をジャン・コクトーが、そして初演の衣装をココ・シャネルが担当したことはよく知られている。だが、シャネルのベッドサイドのテーブルに、いつも、そして彼女の死の床にまでストラヴィンスキーから贈られた聖像画が置かれていたこと、シャネルはストラヴィンスキーには「あなたのコンサートにはかならず行きます。」と電報を打っておいて、ロシアのディミトリ大公と一緒に南仏に出かけてしまうが、友人?のミシア・セールがストラヴィンスキーに真相を電報で知らせてしまったこと等々。
 索引がないので、第4章「両面の鏡、あるいは二人の友」だけ、登場する芸術家や言及されている作品を書き留めてみた。ディアギレフ、ニジンスキー、ジャン・コクトー、そしてストラヴィンスキー、ピカソ、アポリネール等々錚々たる顔ぶれが並ぶ。作品も、『ボリス・ゴドゥノフ』『イーゴリ公』『火の鳥』『ペトルーシカ』『春の祭典』『ヨゼフ物語』『パラード』等々。1929年当時17歳でパリに出て来たイゴール・マルケヴィッチについてもごくわずかだが言及されている。マルケヴィッチがニジンスキーの娘と結婚していたことも私はこの本で初めて知った。
 ただし、気になった点も指摘しておくならば、本書はヴィシー政権時代のココ・シャネルにはほとんど言及していない。私は、本人が語ろうとしなかったことは書かなかったというのが著者の姿勢なのだろうと考えている。年代記的な書き方がなされていないのは、そうした点をぼかす意図があってのことと考えられなくもない。そうした点には留意が必要だし、興味深い逸話の数々も、歴史的な作品と具体的に結び付けて考える前に他の書物等で裏付けを取る必要があるだろう。
 この記事を書きながら、ウィキペディアなども参照してみると、なんと、既に『シャネル&ストラヴィンスキー』なんていう映画まであるではないか。自分のアンテナの伸ばし方はまだまだ足りなかったと思いつつ、つい、アマゾンでDVDを注文してしまった。
posted by 英楽館主 at 10:50| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

チェコ革命 1848年

P1000633.JPG『チェコ革命 1848年』(スタンレイ・Z・ペフ著、山下貞雄訳、2011年9月、牧歌舎刊)

 昨年11月に、仕事で出かけた折に紀伊国屋福岡本店で現物を見かけて迷わず買い込んだ1冊。今年1月に読んだ。2段組で300ページを越える大著だったが、第3章あたりまでですっかり面白くなってしまい、通勤途上などに着々と読み進めることが出来た。

 まず、目次を紹介しておこう。

 第1部 事の成り行き
  第1章 三月以前
  第2章 革命の奇跡:三月の日々
  第3章 フランクフルト問題
  第4章 議会と選挙
  第5章 スラヴ会議
  第6章 プラハ六月蜂起
  第7章 チェコ人と帝国議会
  第8章 反動の影
  第9章 五月の陰謀
 第2部 集団
  第10章 チェコ人とスロヴァキア人
  第11章 農民
  第12章 労働者
  第13章 学生
  第14章 女性
 第3部 結論
  第15章 四八年革命物語の幾つかの考察

 私がこの本に興味を持った背景には、自分はチェコの作曲家、スメタナやドヴォルジャーク、ヤナーチェクの作品が好きなのだが、スメタナやドヴォルジャークの伝記で新しいものにろくなものがないという不満がある。特に音楽之友社の内藤久子『ドヴォルジャーク』にはいたく失望した。私は内藤氏のようにチェコ語が読めないし、今後も読めるようになるとは思えないが、スメタナやドヴォルジャークの人物像を築く上で、当時のチェコの政治や社会への理解を深めることは避けて通れない課題であり、内藤氏の著作にはそうした点が大きく欠けていると感じている。
 1848年革命の当時、スメタナ(1824〜1884)は既に24歳になって、リストの後援でプラハに音楽学校を設立しており、チェコ民族の音楽的自立への道を歩み始めているが、ドヴォルジャーク(1841〜1904)はまだ幼年期だった。私は、この2人の世代差は、単に17年の年の差以上に大きく、とりわけ1848年革命前後のチェコにおける教育政策の変化に起因する要素が少なくないと考えている。

 さて、本書は、チェコスロヴァキア出身でカナダに移住した歴史学者スタンレイ・Z・ペフの1969年初版の著書(原著は英語)を翻訳したもので、訳者の山下貞雄は翻訳家や英語の先生ではなく、京都の福知山市民病院の産婦人科の先生というのが面白い。語学が専門ではなくても、コツコツやればこれだけの仕事が出来るという意味でも大いに啓発された。
 まず、第1章の1848年以前のプラハの社会の描写が面白い。例えば、検閲の関係から、1848年革命以前にプラハで読めた外国の新聞はアウグスブルガー・ゲネラルアンツァイガー紙一紙に限られていたこと、等々。フランクフルト国民会議への参加をめぐる問題を活写した第3章は、チェコ音楽を離れて、ドイツの統一に対する自らの思考を深める上でもとても興味深い。会議を主催する側は、ドイツ語で支配されていたプラハのチェコ人たちを「ドイツ人」として招待したが、プラハのチェコ人たちは、「自分達はドイツ人ではない」として参加を断った経緯を描いている。支配する側はされる側よりも往々にして無神経なのである。
 1848年のプラハの革命は、この年の他の都市での革命の動きと同様に、19世紀後半のチェコ民族主義に大きな影響を与えた。この時の政治的な経験が、チェコと他のハプスブルク諸国とのその後の歴史の違いにもつながっている。チェコの歴史や音楽に興味を持つ人はもちろん、ハプスブルク帝国に興味を持つ方々にもお勧め出来る1冊である。
posted by 英楽館主 at 10:36| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ブダペストの世紀末』

P1000636.JPG『ブダペストの世紀末』(ジョン・ルカーチ著、早稲田みか訳、1991年7月・白水社刊)

 夏休み。私の場合、8月4日(土)までは連日の講習や説明会業務などで勤務だったが、先週、今週と一息ついている。今年の夏休みに読んでいる本の中からいくつかを紹介したい。
 『ブダペストの世紀末』は、ブダペストの1896年から1906年までの10年間に焦点を当てた歴史書。もう20年ちょっと前の刊行で、原著はベルリンの壁の崩壊前年の1988年にアメリカで出版されたもの(原題“Budapest 1900 A Historical Portrait of city and Its Culture”)。従って、壁の崩壊以後の視点は含まれていないが、そのことがこの書を古びさせるものではない。英語の原題に示された通り、ブダペストという都市とその文化の肖像が、1900年前後の10年間に的を絞って描かれている。
 目次は

  第1章 色彩、言葉、音
  第2章 都市
  第3章 人々
  第4章 政治と権力
  第5章 1900年世代
  第6章 問題の種
  第7章 その後

の7章から成る。筆者の特色は、第1章の立て方によく現れているだろう。1900年前後にブダペストで発表されたか、後の時代に、時代設定を1900年前後に据えて書かれたマジャール語の文学作品から、ブダペストの素描が構成されている。言語の壁の問題があり、マジャール語の文学作品で日本語で読めるものはごくわずかしかないのが現状だが、この章を読むと、1900年当時、既にブダペストには文学的伝統が成立していたことも読み取れる。
 このことは、バルトークやコダーイなどの音楽を通じてハンガリーに接しているわれわれにも大きな意味を持つ。他の領域とのバランスは都市によって異なるとは言うものの、音楽だけが発達して、文学や美術が生成されない都市というものはあり得ないからだ。バルトークやコダーイは「5線譜」という普遍的な言語で書かれたテクストだが、その背景にあるハンガリーの文学への理解なしに、やれ民謡がどうだこうだと言っても始まらない。
 筆者は、バルトークやコダーイと並べて、「1900年世代」に属する音楽家として、指揮者ジョージ・セルやユージン・オーマンディ、ヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティを挙げている。彼らはいずれもブダペスト生まれだ。「バルトークはどこが面白いのか?」という古典重視の趣味をお持ちの方でも、セルやシゲティについて考える土台として、彼らの生まれた街や時代について知っておくことは無益ではないだろう。
 もう1つ、この本の面白さは、歴史書を何冊読んでもわかった気になれない「オーストリア=ハンガリー二重帝国」について理解する大きな助けになるという点にもある。世界史の教科書や概説書は、いずれもウィーンからの目線で書かれているので、ハンガリー側に視点を据えた記述は貴重だ。当時の「ハンガリー」が現在のハンガリー共和国よりもはるかに広い領域を指すことは、この時代のハプスブルク帝国に詳しい方なら御存知とは思うけれど、その「ハンガリー」の首都ブダペストが、19世紀後半、「妥協(アウスグライヒ)」以降にどのように発展を遂げていたのか、一方で、どれだけ政治的に未熟だったのかを知ることが出来た。
 なお、ハプスブルク帝国の「妥協」については、やはりこの夏に読んだ大津留厚著『ハプスブルクの実験』(中公新書1223、1995年刊)も興味深かった。地図や統計などの資料が豊富で、丁寧に読むと19世紀後半か20世紀初頭のハプスブルク帝国について、自分なりのイメージを持つ上で大いに役だったことを書き添えておこう。
posted by 英楽館主 at 10:24| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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